-関東
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東和銀行
1917年6月11日、現群馬県館林市に群馬貯蓄無尽㈱を創立、1918年4月11日に本店を前橋市に移し、群馬無尽㈱に商号を変更。1942年9月30日、群馬無尽㈱、関東無尽㈱、上毛無尽㈱の3社が合併し群馬大生無尽㈱を設立。1949年5月4日に大生無尽㈱に商号を変更。
1951年9月20日、小川無尽㈱と合併、同年10月20日、相互銀行法の施行により㈱大生相互銀行に改称。1973年4月1日、深川信用組合、1977年4月1日、赤羽信用組合と合併。
1989年2月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて、普通銀行に転換し、第二地方銀行としての東和銀行に改称した。2001年5月15日、新潟中央銀行の一部譲渡を受けた。2009年12月、金融機能強化法により公的資金350億円の注入を受けた。2018年5月11日、公的資金200億円を返済し、残債は150億円になった。
栃木銀行
1942年12月8日、農商無尽㈱、富源無尽㈱、足利無尽㈱の3社合併により栃木無尽㈱が創立。
1952年7月1日、相互銀行法の施行により㈱栃木相互銀行に改称した。
1989年2月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて、普通銀行に転換し、第二地方銀行としての栃木銀行に改称。2002年6月24日、栃木県中央信用組合の事業譲渡を受けた。
茨城銀行(消滅)
1921年6月9日に茨城無尽株式会社として設立。
1952年5月20日に相互銀行法により、茨城相互銀行に社名変更した。
1989年2月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて、普通銀行に転換し、第二地方銀行としての茨城銀行に商号変更し、「いばぎん」の名で親しまれた。2004年に関東つくば銀行と「ひたちの銀行」発足で合併の合意をしたが、2006年に一度白紙化され、再度2009年に合意し、2010年3月1日に合併して「筑波銀行」となった。
京葉銀行
1913年10月16日、共和金融仲介㈱として創立。1916年に共和金融無尽㈱に、1934年6月15日に千葉無尽㈱に商号変更。1943年3月31日、大昭無尽㈱、千葉共栄無尽㈱と3社合併し、千葉市院内町に千葉合同無尽㈱を設立。1944年6月、千葉市本町に本店を移転。1945年7月1日、国民共済無尽㈱を吸収合併した。
1951年10月20日、相互銀行法により千葉相互銀行に社名変更。1965年5月、富士見に本店を移転した。
1989年2月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて普通銀行に転換し、第二地方銀行としての、京葉銀行になった。
特殊詐欺事件の増加に対して、2014年中頃より顧客が詐欺に遭わないよう、封筒裏面に具体的な注意を注意を促す文言をシリーズ的に記載している。
東日本銀行
1924年4月5日、茨城県水戸市に常盤無尽㈱として設立、4月9日開業。1951年10月20日、相互銀行法により常盤相互銀行に名称変更。
1952年6月2日、本店を千代田区飯田町に移転。1953年4月、千代田区神田富山町に本店を移転。1973年10月1日、ときわ相互銀行に商号変更。1975年11月、中央区日本橋に本店を移転。
1989年2月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて普通銀行に転換し、第二地方銀行としての東日本銀行に名称変更した。2001年3月31日、早期健全化法により公的資金200億円の注入を受けた。2001年5月14日、新潟中央銀行の営業の一部の譲渡を受けた。2011年3月11日、公的資金を完済した。2016年4月1日、横浜銀行とともに共同株式移転によって金融持株会社であるコンコルディア・フィナンシャルグループを設立し、完全子会社になった。
↑所有枚数2枚に変更
東京スター銀行
2001年6月11日、東京相和銀行に対する金融庁の管理命令処分が取り消され、米国の投資ファンドであるローンスターが設立した株式会社東京スター銀行に営業譲渡した。設立当初は、破綻した小規模金融機関の営業譲渡を積極的に受けた。すなわち、2002年7月15日、東京信用組合、同年7月22日には東京中央信用組合、同年8月19日には千葉商工信用組合の一部、2003年3月3日には中部銀行の一部の営業譲渡を受けた。2011年6月20日、赤坂1丁目より2丁目に本店を移転した。
東京相和銀行(消滅)
山梨県高根町出身の長田庄一氏が1950年、東京興産株式会社、東京殖産株式会社、平和勧業株式会社の3社の事業承継のため、東京協和殖産無尽株式会社を設立。
1989年2月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて普通銀行に転換し、第二地方銀行としての、東京相和銀行になり、西の兵庫銀行とともに、トップを競った。
しかしながら、バブル経済が崩壊すると、経営不安が囁かれ、1997年より3回にわたり950億円の増資を行ったが、後に架空増資の判決を受けた。1998年に入り、取引先の三井埠頭、ヤオハン等が相次いで破綻し、金融庁の調査により189億円の債務超過が公表された。株価は下落し、経営不安から預金は流出し、増資手段も尽きた。1999年6月12日、金融再生委員会が金融整理管財人による業務及び財産の管理を命じ、破綻認定。
2001年6月11日、管理命令処分が取り消され、米国の投資ファンドであるローンスターが設立した株式会社東京スター銀行に営業譲渡した。
神奈川銀行
1953年8月14日、横浜市中区弁天通で営業開始。1955年5月、中区尾上町に、1978年11月、中区長者町に、それぞれ本店を移転。1989年4月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて普通銀行に転換し、第二地方銀行としての、神奈川銀行に名称変更した。