銀行の封筒収集  ~ライフワーク~

短資会社

短資会社

 短資会社とは、金融機関や証券会社等の相互間で資金の運用や決済を行う市場において、主として1年未満の短期的な資金の貸借またはその媒介を業として行う会社をいう。この短期金融市場(コール市場)は、日本銀行によるオペレーション(金融政策実行)の場であり、日銀との関係も深い。
 法的には、「主としてコール資金の貸付け又はその貸借の媒介を業として行う者で金融庁長官の指定するもの」として、貸金業の規制等に関する法律の適用を除外されているが、それに代えて、1983年改正前の出資法の部分的な適用を受けることとなっており、監督当局への届出が必要となっている。
 歴史的には、1902年、ロンドン金融市場の手形仲介を範にとり、初めて藤本ビルブローカー(後の大和証券グループ)が設立された。このように短資会社は、第二次世界大戦前はビルブローカー(手形仲介業者の意)と呼ばれていたが、敵性語とされ言い換えが行われた。1928年までは銀行の付帯業務として認められており、ビルブローカー銀行という業態があったが、1927年の昭和金融恐慌を受けた銀行法(昭和二年法律第二十一号)で5年の猶予の後、兼営を禁止された。日本では信用のある手形が十分に流通しなかったため、コール資金の流通(銀行間の短期資金貸借)が主な業務になった。

東京短資

東京短資㈱本店が11階に入る東短室町ビル:Author:タウンフォトネット

 1909年4月18日、柳田ビル・ブローカーが創業。1919年10月、株式会社栄城銀行を買収し、柳田ビル・ブローカー銀行と改称、一般銀行業務のほかコールおよびビル・ブローカー業務を営んだ。1930年7月、銀行法改正により銀行業務を廃止し、柳田ビル・ブローカー株式会社と改称1942年7月、柳田短資株式会社と改称。1949年1月、早川短資株式会社を吸収合併、大和証券株式会社資金部(旧 藤本ビル・ブローカー株式会社)の短資業務を譲受し、東京短資株式会社と改称した。
 1978年12月、トウキョウ フォレックス株式会社を設立し、外国為替仲介業務を移譲。1997年6月以降、証券、デリバティブ関連の子会社を展開している。
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セントラル短資

103-0021 東京都中央区日本橋本石町3-3-14のセントラル短資本店:Author:Fouton

 1909年7月、山根十吉が藤本ビルブローカーから独立し、山根ビルブローカーを創業。1942年7月、山根短資株式会社に改組し社名変更。1956年6月、日本割引短資株式会社が創業。1963年1月、名古屋短資株式会社として業務移譲し開業。1988年6月、日本割引短資株式会社から日本短資株式会社に社名変更。2001年4月1日、山根短資㈱を存続会社として名古屋短資㈱、日本短資㈱を合併し、セントラル短資㈱と社名変更した。
 3本のラインは、セントラル短資の「C」と、合併した3社を表している。力強い波をイメージしており、3社が一体となることにより、さらなる大きな波となりダイナミックに前進、躍進する新会社を表現している。
 セントラル短資封筒がございません。封筒をお持ちのかたがいらっしゃいましたら、お問い合わせページよりご連絡をいただけましたら幸いです。

上田八木短資

上田八木短資(株)東京本社:Author:OSAKAビル景

 1918年6月20日、匿名組合上田商店を大阪で創業。1937年2月、㈱上田商店に改組。1942年6月、社名を上田短資㈱と改称。1984年10月、上田ハーロー㈱を設立。
 2001年7月、上田短資㈱と八木短資㈱が合併し、上田八木短資㈱となった。2007年11月、上田八木証券㈱を設立した。
 シンボルマークは、創業以来、業務遂行にあたり貫かれている「正」「清」「誠」の「三セイ主義」の信条をベースに、時代の流れとの調和やマネーマーケットの円滑な運営を表現している。
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