信託銀行
信託銀行
信託銀行は、銀行法上の銀行が、金融機関の信託業務の兼営等に関する法律(いわゆる兼営法)によって、信託業務を兼営する形態をとっており、銀行に認められている全ての銀行業務を営むことができるほか、全ての信託業務を営むことができる。
信託業務は、委託者が信託契約や遺言等によって、受託者である信託銀行に対して、金銭や土地などの財産を移転し、受託者は委託者が設定した信託目的に従って受益者のために信託財産の管理・処分などをする業務である。
第二次世界大戦後、GHQによる財閥解体を経て徐々に銀行の分業が進んだ。1948年には証券取引法第65条が制定され、銀行と証券の分離が始まった。また、1952年には長期信用銀行法により長期金融を担う長期信用銀行が生まれ、兼営法によって信託会社が信託銀行へと移行した。金銭信託や貸付信託によって得られた資金は、主に鉄鋼や化学など多額の資金の長期運用として貸付が行われ、高度経済成長期の企業の資金需要に応えた。しかし、1970年代に入るとこのような資金需要は低下し、信託銀行は新たな融資先として不動産や鉄道、流通などの分野に進出するようになり、信託勘定そのものも規模が縮小していった。バブル期には、不動産などへの貸付が活発に行われる一方で、資金不足の商業銀行に対して預け入れられるいわゆる銀貸が横行し、信託銀行の地位が低下した。90年代に入ると、不良債権の増大によって信託銀行は生き残りが厳しくなり、資産管理や証券代行などに特化する一方で、関係の深い都市銀行との連携を強めるようになった。
このような信託業界の再編によって、信託銀行は従来の貸付信託や金銭信託を極めて縮小しており、特にメガバンクの傘下に入った信託銀行は、企業への貸付や金銭・貸付信託の募集を停止して、資産管理業務などに特化する傾向を強めた。信託銀行は従来のように長期資金の運用主体としてではなく、特定の業務に特化した銀行となりつつあり、信用創造機能を持った金融機関としての信託銀行は過去のものになりつつある。これに代わって力を入れているのが、富裕層に対する資産管理サービスや、証券代行業務、投資信託などの運用性商品の販売、知的財産信託などファイナンススキームの提供などの手数料収益中心への業務転換である。
三菱UFJ信託銀行
2005年10月1日、三菱信託銀行とユーエフジェイ信託銀行が合併して改称した。
2006年6月、旧東洋信託銀行が早期健全化法により注入を受けた公的資金2,000億円を(株)三菱東京フィナンシャルグループとして完済した。
本店は、丸の内の旧三菱信託銀行本店を使用している。
三菱信託銀行(消滅)
1927年4月5日、信託業法に基づき、三菱信託会社が開業。1948年8月2日、朝日信託銀行に改称し、普通銀行業務を兼営。1952年6月1日、三菱信託銀行に改称した。
1998年3月、旧安定化法により500億円の公的資金の注入を受け、翌1999年3月、早期健全化法により3,000億円の公的資金の注入を受けた。しかしながら、2000年12月、500億円を完済し、翌2001年1月、3,000億円を完済した。
2001年4月2日、東京三菱銀行及び日本信託銀行と共同で、株式移転により、持株会社「㈱三菱東京フィナンシャル・グループ」を設立、完全子会社となった。同年10月1日、旧三菱銀行が実質買収した日本信託銀行及び東京銀行の信託子会社である東京信託銀行を合併。2005年10月1日、ユーエフジェイ信託銀行と合併し、三菱UFJ信託銀行と改称した。
↓変遷前名称より日本信託銀行を削除。
↑在庫1
日本信託銀行(消滅)
1927年7月18日、川崎財閥下で川崎信託㈱として京都に開業。1937年3月11日、東京に移転。1947年8月15日、GHQによる財閥解体で日本信託㈱と改称。1948年7月20日、日本信託銀行㈱と改称し銀行業務を開始。1994年6月6日、三菱銀行を引受先とする第三者割当増資を行い、子会社となった。2001年4月2日、三菱東京フィナンシャル・グループの設立により、同社の完全子会社となった。2001年10月1日、三菱信託銀行に吸収合併された。
※のちの大和証券となった㈱日本信託銀行とは異なる。
UFJ信託銀行(消滅)
1927年4月5日、三菱信託株式会社が東京に開業。1948年8月2日、GHQによる財閥解体に沿って朝日信託銀行と改称し、銀行業務を開始。1952年6月1日、三菱信託銀行に改称。2001年4月2日、三菱東京フィナンシャル・グループの設立により、同社の完全子会社となった。同年10月1日、日本信託銀行及び東京信託銀行を合併。
一方、1959年12月8日、当時の大蔵省の信託分離政策に沿い、神戸銀行及び三和銀行の信託業務と野村証券の証券代行業務の統合継承会社として東洋信託銀行が東京に開業。1966年9月26日、福井銀行が信託勘定を閉鎖し、信託財産を再委託。1999年10月1日、三和信託銀行を合併。2001年4月2日、ユーエフジェイホールディングスの設立により、同社の子会社となる。2002年1月15日、UFJ信託銀行と改称した。2003年3月、ユーエフジェイホールディングスとして、旧東洋信託銀行に注入された旧安定化法による公的資金500億円を完済した。
2005年7月、東海信託銀行を合併した。
2005年10月1日、三菱信託銀行とUFJ信託銀行とが合併し、三菱UFJ信託銀行となった。
東洋信託銀行(消滅)
1959年12月8日、当時の大蔵省の信託分離政策に沿い、神戸銀行及び三和銀行の信託業務と野村証券の証券代行業務の統合継承会社として東京に開業。1966年9月26日、福井銀行が信託勘定を閉鎖し、信託財産を再委託した。
1998年3月、旧安定化法により500億円の公的資金の注入を受け、翌1999年3月、早期健全化法により2,000億円の公的資金の注入を受けた。
1999年10月1日、三和信託銀行を合併。2001年4月2日、ユーエフジェイホールディングスの設立により、同社の子会社となる。2005年7月、東海信託銀行を合併。2002年1月15日、ユーエフジェイ信託銀行と改称した。
みずほ信託銀行
1925年6月1日、信託業法に基づき共済信託会社が大阪に開業。1926年2月12日、安田信託会社と改称。1933年2月11日、本店を東京に移転。1943年8月2日、財閥解体政策により中央信託銀行と改称し、銀行業務を開始した。1952年6月1日、安田信託銀行と改称した。1962年9月26日、秋田銀行が信託勘定を閉鎖し、信託財産を引継。
1995年12月22日、第一勧業銀行の信託銀行子会社として第一勧業信託銀行が開業。1995年11月1日、日本興行銀行の信託銀行子会社として興銀信託銀行が開業。1996年6月28日、富士銀行の信託銀行子会社として富士信託銀行が開業。1999年4月1日、第一勧業信託銀行と富士信託銀行が合併し第一勧業富士信託銀行が開業。1999年10月1日、安田信託銀行の年金、証券代行、証券管理業務を第一勧銀富士信託銀行に譲渡。2000年10月1日、第一勧業富士信託銀行と興銀信託銀行が合併し旧みずほ信託銀行となった。
2002年4月1日、旧みずほ信託銀行はみずほアセット信託銀行に改称。2003年3月12日、みずほアセット信託銀行を存続会社として旧みずほ信託銀行と合併し、みずほ信託銀行に改称した。2004年9月、旧安田信託銀行が注入を受けた1,500億円をみずほフィナンシャルグループとして完済した。2011年9月1日、株式交換により株式会社みずほフィナンシャルグループの完全子会社となった。
みずほアセット信託銀行(消滅)
2002年4月1日、安田信託銀行は、みずほアセット信託銀行に改称した。2003年3月12日、みずほアセット信託銀行を存続会社としてみずほ信託銀行と合併し、みずほ信託銀行に改称した。
安田信託銀行(消滅)
1925年6月1日、信託業法に基づき共済信託株式会社が大阪に開業。1926年2月12日、安田信託株式会社と改称。1933年2月11日、本店を東京に移転。1948年8月2日、財閥解体政策により中央信託銀行と改称し、銀行業務を開始した。1952年6月1日、安田信託銀行と改称した。1962年9月26日、秋田銀行が信託勘定を閉鎖し、信託財産を引継ぎ。1998年3月、旧安定化法により1,500億円の公的資金の注入を受けた。1999年10月1日、年金、証券代行、証券管理業務を第一勧銀富士信託銀行に譲渡。2002年4月1日、みずほアセット信託銀行に改称した。
三井住友信託銀行
2011年4月1日、中央三井トラスト・グループと住友信託銀行グループの経営統合では、中央三井トラスト・ホールディングスが株式交換で住友信託銀行を完全子会社化し、改称して三井住友トラスト・ホールディングスになった。2012年4月1日 、持株会社傘下の住友信託銀行が、中央三井信託銀行と中央三井アセット信託銀行を吸収合併し、三井住友信託銀行に改称した。本店は、丸の内の住友信託銀行東京営業部に置かれ、従来の本店営業部は、大阪本店営業部となった。
2013年3月、旧中央信託銀行が早期健全化法により注入された1,500億円を三井住友トラスト・ホールディングスとして完済し、すべての公的資金の返済を終了した。
三井住友を冠するものの、三井住友フィナンシャルグループに合流したわけではない。
シンボルマークは未来の開花をテーマとしており、封筒のデザインは、住友信託銀行のイメージを残し、「フューチャーブルー(未来を表す造語)」を採用している。
住友信託銀行(消滅)
1925年9月2日、信託業法に基づき大阪市東区淡路町に住友財閥の信託会社として住友信託㈱が開業。1948年8月2日、富士信託銀行と改称し、普通銀行業務を開始した。
1952年6月1日、住友信託銀行に改称。1962年7月、本店を大阪市中央区北浜に移転。2000年6月、日本トラスティ・サービス信託銀行を大和銀行と共同で設立。2000年8月1日、大和インターナショナル信託銀行及びすみぎん信託銀行を合併。不良債権問題に伴い1998年3月に旧安定化法により注入された公的資金1,000億円を2003年3月に完済し、同様に1999年3月に早期健全化法により注入された公的資金2,000億円を2004年1月14日に完済した。2004年4月、UFJホールディングスからUFJ信託銀行を買収することで基本合意したが、同年7月、合併を白紙撤回され、UFJ信託銀行は三菱東京フィナンシャル・グループとの統合を決めた。2008年2月1日、バークレイズ・グローバル・インベスターズ信託銀行を吸収合併した。
2011年4月1日、中央三井トラスト・ホールディングスとの株式交換による経営統合に伴い同社が三井住友トラスト・ホールディングスと改称、同社の子会社となる。2012年4月1日、三井住友トラストグループ3社の統合として、中央三井信託銀行、中央三井アセット信託銀行を合併し、三井住友信託銀行になった。
↓消滅により収集困難度に★★★を追加して下さい。(294-str-131を除く)
↓スキャナ画面外のため上部カット
中央三井信託銀行(消滅)
2000年4月1日、中央信託銀行と三井信託銀行が合併して中央三井信託銀行が生まれた。2002年2月1日、三井トラスト・ホールディングスの完全子会社となった。同年3月25日、年金信託・証券信託部門を三井アセット信託銀行に分割譲渡した。
不良債権処理のため、1999年までに三井信託銀行が5,003億円、中央信託銀行が2,100億円(拓銀資産の譲受が主因)の公的資金が優先株形式で注入された。本来10年後の2009年7月までに全株買い戻す計画であったが世界金融危機による株式評価損などで赤字決算となり達成出来なかったため、同年8月3日付けで残りの優先株2,003億円分が普通株式に強制転換され、整理回収機構が中央三井トラストホールディングスの筆頭株主となった。
2005年3月、旧三井信託銀行が旧安定化法により注入された公的資金1,000億円を完済。2006年7月、旧中央信託銀行が旧安定化法により注入された600億円を完済。2008年7月、旧三井信託銀行が早期健全化法により注入された公的資金4,003億円を完済した。
2012年4月1日、三井住友トラストグループ3社の統合として、中央三井アセット信託銀行とともに、住友信託銀行に吸収合併され、三井住友信託銀行になった。
↓収集困難度を★★★★に変更。
三井信託銀行(消滅)
1924年4月15日、信託業法による日本最初の信託会社として三井信託㈱が東京に開業。1948年8月2日、東京信託銀行と改称し、銀行業務を開始した。1950年2月8日、日本投資信託㈱を合併。1952年6月1日、三井信託銀行に改称。1963年9月26日、第四銀行の信託勘定を引継いだ。
1998年3月、旧安定化法により1,000億円の公的資金が注入され、翌1999年3月、早期健全化法により4,003億円の公的資金が注入された。
2000年4月1日、中央信託銀行と合併し、中央三井信託銀行と改称した。
中央信託銀行(消滅)
1924年2月23日、東京に国債信託㈱として信託業務の営業免許を得た。1940年4月、第一信託㈱と改称。1943年12月、織田信託㈱を買収。1948年7月、第一信託銀行と改称し、銀行業務を開始した。
1962年8月1日、第一信託銀行及び東海銀行の信託業務及び日本証券代行㈱の証券代行業務の統合継承会社として中央信託銀行が東京に開業。1964年2月1日、中部証券代行株式会社の証券代行業務を買収。1965年3月26日、滋賀銀行が信託勘定を閉鎖し、信託財産を再委託した。
1998年3月、旧安定化法により1,000億円の公的資金の注入を受けた。1998年11月16日、北海道拓殖銀行の本州地区の営業を譲受した。1999年3月、早期健全化法により1,500億円の公的資金の注入を受けた。新本店建設中の2000年4月1日、三井信託銀行と合併し、中央三井信託銀行と改称した。
※安田信託㈱が商号変更した中央信託銀行とは異なる。
中央三井アセット信託銀行(消滅)
1996年1月31日、さくら銀行のホールセール信託銀行子会社として、さくら信託銀行が開業。2001年4月1日には、さくら銀行が住友銀行と合併し三井住友銀行として新たに発足した。同年6月にはさくら信託銀行の全株式を同じ三井グループである中央三井信託銀行に譲渡した。これにより同行の子会社となった。
2002年2月1日には、中央三井信託銀行が会計上の理由から持株会社となったため、株式のすべてを新設した金融持株会社である三井トラスト・ホールディングスに譲渡し、持株会社の直接の子会社たる三井アセット信託銀行となり商号変更した。また同年3月25日には、中央三井信託銀行が年金信託と証券信託部門を会社分割し、三井アセット信託銀行が承継した。これにより、中央三井信託銀行がリテール信託やバンキング業務等を担い、三井アセット信託銀行が機関投資家向けの年金信託部門や証券信託部門を担うこととなり、グループ内での分業体制が明確化された。
2007年10月1日に、持株会社名の中央三井トラスト・ホールディングスへの変更に合わせ、三井アセット信託銀行から中央三井アセット信託銀行に商号変更した。2012年4月1日、三井住友トラストグループ3社の統合として、中央三井信託銀行とともに住友信託銀行に吸収合併され、三井住友信託銀行になった。
↓消滅により収集困難度を★★★★に変更。
三井アセット信託銀行(消滅)
1995年12月に、さくら銀行のホールセール(法人向け)信託銀行子会社である、さくら信託銀行㈱として設立。
2001年4月には、さくら銀行が住友銀行と合併し三井住友銀行として新たに発足したこともあり、同年6月にはさくら信託銀行の全株式を同じ三井グループである中央三井信託銀行に譲渡した。これにより同行の子会社となった。
2002年2月1日には、中央三井信託銀行が会計上の理由から持株会社となったため、株式のすべてを新設した金融持株会社である三井トラスト・ホールディングスに譲渡し、持株会社の直接の子会社たる三井アセット信託銀行㈱となり、商号変更した。また同年3月には、中央三井信託銀行が年金・証券部門を会社分割し、三井アセット信託銀行が承継した。
これにより、中央三井信託銀行がリテール信託やバンキング業務等を担い、三井アセット信託銀行が機関投資家向けの年金信託部門や証券信託部門を担うこととなり、グループ内での分業体制が明確化された。
2007年10月1日に、持株会社名を中央三井トラスト・ホールディングスに変更するのにあわせて、三井アセット信託銀行株式会社から中央三井アセット信託銀行株式会社に商号変更した。
ニューヨークメロン信託銀行
1970年、東京にアービング・トラスト駐在員事務所を設立。1973年、アービング・トラスト東京支店としての免許を取得し、法人向けに総合的なサービス提供を開始した。1988年、メロン銀行がアービング・トラストを合併した。
1985年、モルガン信託銀行及びチェース信託銀行が設立。2002年、チェース信託銀行がモルガン信託銀行に業務の一部を譲渡。2006年3月20日、モルガン信託銀行がJPモルガン信託銀行に商号変更した。
2009年3月1日、ニューヨークメロン銀行のリテール業務とJPモルガンチェースの法人向け信託業務の交換により、ニューヨークメロン信託銀行に商号変更した。
BNYメロングループの日本におけるマーケッツ部門の拠点として、有価証券の運用や管理を目的とした信託を中心にエスクロー案件などにおいても受託業務を行っている。また、レポ取引などの外貨建て資金取引(担保付ファイナンス)に伴う担保有価証券のカストディ業務においてもサービスを提供している。
日本マスタートラスト信託銀行
1985年11月25日、チェース・マンハッタン信託銀行が東京に開業。1996年10月1日、ドイツ銀行がチェース・マンハッタン信託銀行を買収し、ドイチェ・モルガン・グレンフェル信託銀行に改称。1999年8月2日、日本バンカース・トラスト信託銀行へ営業の一部を譲渡し、ディーエムジー信託銀行に改称。2000年5月9日、三菱信託銀行、日本生命、東洋信託銀行、明治生命とドイツ銀行がディーエムジー信託銀行を買収し、日本マスタートラスト信託銀行と改称し、日本初の資産管理専門銀行が誕生した。有価証券の保管や管理事務を行う資産管理業務に特化した信託銀行である。
ステート・ストリート信託銀行
1792年6月25日、ユニオン銀行が銀行業の許可をボストンで得た。1865年、ユニオン銀行は公的許可を得てボストンのナショナル・ユニオン銀行に改称した。
1891年7月1日、ステート・ストリート・デポジット&トラストカンパニーがナショナル・ユニオン銀行の近くに開業。1897年、ステート・ストリート・トラスト・カンパニーに改称した。 1924年、ステート・ストリート・トラスト・カンパニーが米国初のミューチュアル・ファンドのカストディアンに指名された
1925年、ステート・ストリート・トラスト・カンパニーは、ナショナル・ユニオン銀行と合併した。1955年、第二国立銀行を合併した。
1960年、銀行持株会社であるステート・ストリート・ボストン・ファイナンシャル・コーポレーションを設立。1961年、ロックランドアトラス国立銀行を合併した。
1966年、ボストン市街で初の高層オフィスビルの本店を建設した。
1973年のボストン・フィナンシャル・データサービスの業務の一部譲渡を受けた。1975年、ウィリアム・エドギャリーは、企業戦略を商業銀行から投資銀行へとシフトした。すなわち、カストディアンや証券業務のための投資を始めた。IBMのメインフレームシステムを入手するため、100人以上のスタッフを引き抜いた。
1972年、ミュンヘンに初めて海外事務所を設立したのを皮切りに1980年代から1990年代にかけて、モントリオール、トロント、ダブリン、ロンドン、パリ、ミュンヘン、ケイマン諸島、ドバイ、シドニー、メルボルン、ウェリントン、香港、台北、東京など世界各地に事務所を設立した。すなわち、90年代以前には、国際市場の基礎を築いた。
1992年、大部分の収益は、基準価額計算事務、事務管理サービス、有価証券売買代行、受託資産管理サービスによって得られた。1994年、新しいグローバル・アセット・マネージメント業務を確立した。1995年、カンサスシティーにおいて、ケンパー・フィナンシャル・サービス及びミッソーリ資本のインベスターズ・フィドゥシアリー信託会社を1.62億ドルで買収した。
1997年、銀行持株会社をステート・ストリート・コーポレーションに改称した。
1999年、シチズン・フィナンシャル・グループにリテール・商業銀行部門を売却。2003年、ドイツ銀行の証券部門を15億ドルで買収した。2006年、マサチューセッツ州ボストンに本店を構えた。2007年、インベスターズ・フィナンシャル・サービスを45億ドルでの買収を発表。2010年、モーラント・インターナショナル・ファイナンス機構及びインテーザ・サンパオログループの証券部門を買収した。
ロゴマークの帆船は、創業時のボストンが船積み港として発展していたことに由来している。
日本においては、1986年3月、マニュファクチュラース・ハノバー信託銀行設立。1991年3月、ステート・ストリート信託銀行に改称。資産管理業務に特化する日本唯一の外資系信託銀行である。日本での受託資産管理サービス、生命保険会社向け事務管理サービス、投資信託基準価額計算事務、資産運用会社向けミドル/バック・オフィス・ソリューション等を提供するほか、ボストンのステート・ストリート・バンク・アンド・トラスト・カンパニー(SSBT)の国際的なカストディアン(有価証券管理代行会社)を果たしている。
SMBC信託銀行
2013年10月1日、三井住友銀行がソシエテジェネラル信託銀行の全株式を取得しSMBCの完全子会社とし、商号をSMBC信託銀行に変更した。
2015年3月、赤坂1丁目のアーク森ビル16階より、西新橋1丁目の西新橋ビル19階に本社を移転した。2015年11月1日、シティバンク銀行のリテールバンク部門を引き継いだ。
ソシエテジェネラル信託銀行(消滅)
1864年5月4日、産業・社会資本投資への資金供給を目的として公募し、ソシエテ・ジェネラル銀行として設立。1870年、32の仏国内支店と15のパリ市内支店があった。1870年の普仏戦争後、アルザス-モーゼル地方の支店がドイツ法下の子会社ソシエテ ジェネラル アルザシエンヌ ドゥ バンク(ソジェナル)に移管した。1871年には初の海外支店をロンドンに開設し、その後、ソジェナルの活動を中欧諸国(ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルク)へと拡大。1889年148の営業所となった。1909年から1911年にかけては北アフリカ各地に支店を開設。1910年には260営業所、1930年には864営業所と順調に業容を拡大、1940年には1,500店舗に達し、米国進出を果たすなど、海外ネットワークは急速な発展を遂げた。1945年、戦時体制のため国有化され、戦後復興の資金調達において積極的な役割を担った。また、新たなファイナンス技術(中期割引債、オフバランス取引、リースファイナンス)の普及に努めた。戦後は、米、伊、メキシコ、植民地解放後のアフリカでも業容を拡大した。1966年のフランス銀行制度の自由化を受けて、事業活動の多角化を推進し、個人顧客層の拡大を図った。1973年、露に駐在事務所を開設した。
1982年の第二次国営化により、仏政府の完全所有下に置かれたが、1987年7月29日、再び民営化された。1997年のクレディ デュ ノール買収により、地方銀行の支店網を獲得し、リテールバンキング業務の拡張・拡大に弾みがついた。それ以来、多様な事業分野での買収を通じて国際的な基盤を強化した。1999年、ライバル銀行のパリバと合併に合意したが、BNPとの競争に敗れた。2001年、TCWグループを買収。2002年、チュニジアのユニオン国際銀行とモロッコのエクドムを買収。2003年ガーナのSSB銀行、2004年、ギリシャのジェニキ銀行を買収。同年2月、グローバル証券サービスを開始した。
2008年1月24日、所属ディーラーのジェローム・ケルビエルによる株価指数取引で不正があり、49億ユーロの損失があったことを明らかにした。また、米国サブプライムローン問題の余波も相まって、米国のモルガン・スタンレーとJPモルガン・チェースを引受先とする55億ユーロの増資を行った。
仏国内をはじめ世界80ヶ国以上に展開し、3300万人の顧客を抱える仏国第2位のインベストメントバンクである。
日本には、1976年4月2日、ケミカル・インターナショナル・ファイナンスリミテッドの100%出資によりケミカル信託銀行として東京に設立。1996年8月11日、チェース信託銀行と改称。2002年6月17日ソシエテジェネラルグループに買収され、エス・ジー・信託銀行と改称。2010年1月4日、ソシエテジェネラル信託銀行と改称した。
プライベートバンキング業務に特化した日本唯一の外資系信託銀行として、預金、ローン、外国為替をはじめとする伝統的なバンキング・サービスから、指定運用ポートフォリオ管理、特定運用信託サービスなどテーラーメイドの投資ソリューション、さらに、家族信託、不動産仲介などの信託サービスまで、包括的なプライベートバンキング・サービスを提供していた。
2013年10月1日、三井住友銀行が全株式を取得しSMBCの完全子会社とし、商号をSMBC信託銀行に変更した。
エス・ジー・信託銀行(消滅)
エス・ジー・信託銀行本店画像がございません。写真をお持ちのかたがいらっしゃいましたら、お問い合わせページよりご連絡をいただけましたら幸いです。
2010年1月4日、ソシエテジェネラル信託銀行と改称した。
野村信託銀行
1993年10月1日、野村證券の信託子会社として東京都中央区日本橋に開業。2004年7月、本店を東京都千代田区大手町に移転。2009年10月、日興シティ信託銀行を子会社化。2010年3月1日、日興シティ信託銀行がNCT信託銀行に商号変更。同年7月20日、NCT信託銀行を合併した。
日興シティ信託銀行(消滅)
1993年10月1日、日興証券の信託銀行子会社として、日興信託銀行が開業。
2001年12月3日、シティトラスト信託銀行の資産管理部門の営業譲渡を受け日興信託銀行の50%の株式をシティグループに譲渡。同時に、日興シティ信託銀行株式会社に社名変更。2008年12月17日、日興シティホールディングスが、三菱UFJ信託銀行に日興シティ信託銀行の全株式を譲渡することで合意。2009年5月14日、三菱UFJ信託銀行への株式譲渡を白紙化。2009年10月1日、日興シティホールディングス及びシティグループ・インターナショナル・エル・エル・シーが、野村信託銀行に日興シティ信託銀行の全株式を譲渡。
2010年3月1日、NCT信託銀行株式会社に社名変更。
オリックス銀行
2011年10月1日、オリックス信託銀行からオリックス銀行へ商号変更。現在のところ、金融庁によれば信託銀行に分類されている。現金入出金のための店舗やATMネットワークなどのインフラコストを可能な限り抑えて、商品・サービスの特性に合わせて、安心感のある対面取引、利便性のある非対面取引を提供している。
オリックス信託銀行(消滅)
1993年8月23日、山一信託銀行として設立。1998年4月オリックスグループ傘下となった。2009年10月、本店を中央区日本橋兜町から港区芝へ移転。2011年10月1日、オリックス銀行に商号を変更した。
しんきん信託銀行(消滅)
1994年4月1日、全国信用金庫連合会の100%子会社の信託銀行として、しんきん信託銀行開業。2008年5月、中央区京橋2丁目兼松ビル6階より京橋3丁目の信用金庫会館京橋別館10階に本店を移転した。
2017年9月19日、一旦、信金中央金庫に譲渡したのち三菱UFJ信託銀行が吸収合併した。
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農中信託銀行
1995年9月22日、農林中央金庫の信託銀行子会社として開業した。
新生信託銀行
1996年11月27日、日本長期信用銀行の信託銀行子会社として東京に設立。2000年6月5日、新生信託銀行に改称。2011年12月13日、本店を千代田区内幸町2丁目より中央区日本橋室町野村ビル11階に移転した。
日証金信託銀行
1998年12月1日、日本証券金融㈱の信託銀行子会社として東京都中央区日本橋茅場町1丁目に設立。顧客分別金信託、外為証拠金信託、有価証券信託等に特化した業務を行っている。
日本カストディ銀行
2020年7月27日、日本トラスティ・サービス信託銀行を存続銀行として、資産管理サービス信託銀行及びJTCホールディングス㈱を合併して、日本カストディ銀行になった。
日本最大の資産管理専門銀行である。
ロゴマークは、黄金比で描く黄金螺旋をモチーフに、日本カストディ銀行の略称「CBJ」をデザインしている。
日本トラスティ・サービス信託銀行(消滅)
2000年7月25日、住友信託銀行と大和銀行の共同出資で資産管理専門の信託銀行として営業を開始。資産管理特化型の信託銀行であり、年金信託、単独運用指定金銭(包括)信託、特定金銭(包括)信託、証券投資信託などに係る有価証券の管理業務、ならびにレンディング等、資産管理に係る信託業務および銀行業務を行った。
2018年10月1日、資産管理サービス信託銀行との共同株式移転によりJTCホールディングス㈱を設立した。
2020年7月27日、日本トラスティ・サービス信託銀行を存続会社として、資産管理サービス信託銀行及びJTCホールディングス㈱を合併して、日本カストディ銀行になった。
資産管理サービス信託銀行(消滅)
2001年1月22日、みずほ信託銀行・朝日生命保険・第一生命保険・富国生命保険・安田生命保険の5社が出資して資産管理サービス信託銀行を設立。同年1月30日、営業を開始。2002年5月、中央区晴海の晴海トリトンスクエアに本社を移転した。
機関投資家や事業法人等の各種有価証券等の資産管理業務に特化した金融機関であり、みずほフィナンシャルクループに属していた。
コーポレートマークは、大きなドアをかたどったもので、二つの意味を持っている。一つは、顧客と資産管理サービス信託銀行との信頼のドア。二つは、顧客の未来へのドアである。オレンジ色は先進性とともに暖かさを表現している。
2018年10月1日、日本トラスティ・サービス信託銀行との共同株式移転によりJTCホールディングス㈱を設立した。
2020年7月27日、日本トラスティ・サービス信託銀行を存続会社として、JTCホールディングス㈱とともに合併され、日本カストディ銀行になった。
りそな信託銀行(消滅)
2002年3月1日、大和銀行の年金・法人部門を引継ぎ、大和銀ホールディングスの完全子会社として営業を開始。同年9月9日、あさひ信託銀行の証券投資信託・退職給付信託・特金外・年金特定信託部門の営業を分割譲受。同年10月15日、りそな信託銀行に改称。2005年3月22日、りそなホールディングスの完全子会社となった。2009年4月1日、りそな銀行と合併して解散し、唯一、信託部門をもつ銀行が再び誕生した。