他 外国銀行
他 外国銀行
日本国内に拠点のない外国銀行( 拠点のある銀行は、外国銀行 国内に示す )
ロイズTSB銀行(東京支店消滅)
ロイズ銀行は、1765年、英国バーミンガムで設立された。合併を繰り返すことにより、英国4大銀行の1つとなった。
TSBは、1985年に議会法令により、グレートブリテンに残る全ての貯蓄銀行を、TSB銀行の下に統合して設立された。しかしながら、TSBはその起源を、1810年にダンフリーシュシャーの田舎町ルースウェルにおいて、ヘンリー・ダンカンによって創設された最初の信託貯蓄銀行にまで遡ることができる。
ロイズTSBは1995年12月28日、ロイズ銀行とトラスティー・セービング・バンク (TSB) が経営統合で合意し、設立された。この時点で英国においては、資本金でHSBCホールディングスに次いで第2位、市場シェアでは第1位の銀行であった。ロイズTSBの誕生は、イギリス銀行市場における大規模合併の始まりであった。ロイズTSBも、この合併競争に参加し続け、2001年には大手銀行アビー・ナショナルに対する株式公開買い付けを行った。しかし、これは後に、英国競争委員会により差し止められた。
2000年、グループは、エジンバラを拠点とする相互生命保険会社スコティッシュ・ウィドウズを70億ポンドで買収した。これによりグループは、プルーデンシャルに次いでイギリス第2位の生保・年金プロバイダー会社となった。グループは後に、セントリカからゴールドフィッシュ・フィナンシャル・サービス・グループを買収した。しかし、このブランドは後に、モルガン・スタンレーに売却されることとなった。
2000年9月、ロイズTSBはスタンダードチャータード銀行からチャータード・トラストを6億2700万ポンドで買い取った。そして、これをブラック・ホースに商号変更し、イギリス国内において自動車金融、小売金融、個人金融を提供するロイズTSBの資産金融部門として組織した。
設立当初、ロイズTSBはイギリスおよびヨーロッパで最大の銀行であった。しかしながら、他のイギリス銀行、とりわけロイヤルバンク・オブ・スコットランドの急成長に後れを取ることになった。スコティッシュ・ウィドウズ生命保険組合の獲得は、金額的に安くない買い物と判断された。
2008年以降の世界不況の影響を受けた業績の悪化により、ロイズTSBは多くの海外資産を処分せざるを得ず、ブラジル及びニュージーランドの業務から撤退した。しかしその後、財政状況を回復させている。2009年、同業のHBOSを買収し、金融持ち株会社であるロイズTSBグループは、ロイズ銀行グループに改称し、TBSの名は消失した。
1975年、ロイズ銀行は日本における窓口として、東京支店を開設した。外貨預金業務のほか、海外送金サービスに注力していたが、2013年3月1日に新生銀行に営業を移管し、2013年9月30日に閉鎖した。
↓収集困難度★★★★★★★★
ロイヤルバンク・オブ・スコットランド・ピーエルシー銀行(東京支店消滅)
1727年5月31日に、英国王ジョージ1世の勅許により設立。1939年、ロンドン商業銀行を買収。1980年代には、一時ロイズ銀行の支援を受けるが、個人向け業務や中小企業向け業務の拡充により高い収益率を誇った。1985年、RBSグループとしてロイヤル・バンク・オブ・スコットランドとウィリアムズ&グリンズ銀行を合併。海外進出にも積極的で、1988年には米国のニューヨーク州を拠点とするCitizens Financial Groupを買収した。2000年にはイングランドの四大商業銀行の一つであるナショナル・ウエストミンスター銀行を敵対的買収により子会社化し、イギリスで最大の商業銀行となった。2004年には中国銀行の株式10%を取得した。2007年3月にバークレイズが、海外店舗網の拡充を図るため、オランダのABNアムロに合併を提案し、一旦合意されたが、これにロイヤルバンク・オブ・スコットランド、スペインのサンタンデール・セントラル・イスパノ、ベルギーのフォルティスの3銀行が連合で、ABNアムロの株式公開買い付けを実施し、対抗買収に成功した。2008年10月13日、英国政府より経済危機対策として、200億ポンドの資金注入を受けた。
バンク・オブ・スコットランド(スコットランド銀行)などと共に、1727年からスコットランド・ポンドの発行を行う3つの商業銀行のうちの一つであった。
日本へは、2001年4月1日、ナショナル・ウエストミンスター銀行(ナットウエスト)が開設していた東京支店を改組する形で、RBS東京支店、並びにRBS証券東京支店(後のアール・ビー・エス証券会社)を開設した。また、2009年6月27日、エービーエヌ・アムロ・バンク・エヌ・ブイ東京支店の事業の全部を譲り受けたことに伴い、貿易金融や預金・送金業務を行っていた。
2019年1月、日本国債の売買業務から撤退した。
<参考 海外支店>
クアラルンプルのペトロナスツインタワーの隣に建つマキシスの9階には、パスポートを提示して上ります。日本から来たコレクターだと言うと50枚くらいの紅包を札束のようにいただきました。立派な紙質です。
ウエスト・エル・ビー・アーゲー銀行(消滅)
LBは地方銀行を意味するLandesbankenに由来している。1969年1月1日に株式会社化された、北ライン川西岸州における貯蓄銀行の中央機関であった。2011年12月20日に欧州委員会によって承認された再建計画を実行した。
日本においては、1977年に東京支店を開設し、2009年に閉鎖された。後継銀行はポーティゴン・アーゲー銀行であったが、2014年9月、銀行免許を返還した。
↓収集困難度★★★★★★★★
デクシア クレディ ローカル銀行(東京支店消滅)
1996年に、ベルギー系のCrédit Communal de Belgiqueと、フランス系のCrédit Local de Franceが合併して誕生した。1999年に二元上場を解消し、ベルギー法人となったが、グループの拠点は主にフランスにあり、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、トルコで商業銀行を営み、ヨーロッパで20位以内に入る金融グループであった。
日本には、2006年12月4日、千代田区丸の内2丁目に東京支店を開設した。
2011年ギリシャ国債のデフォルト危機が起こり、ギリシャ国債の保有割合が大きいことから、株価が急落し預金取り付け騒動も起こり、資金調達難となった。2011年10月10日、フランス・ベルギー両国政府の公的支援の下、経営破綻することになった。不良債権を本体から切り離して受け皿機関に移し、これにフランス、ベルギーが政府保証を与える形を取った。東京支店は撤退した。
↓収集困難度★★★★★★★★
オーストリア国立銀行
1816年6月1日、通貨制度の統制を目的にオーストリア初の通貨発行銀行としてオーストリア国立特別銀行 (Privilegirte Oesterreichische National-Bank) を設立。紙幣発行の独占権を得ていた。1878年、アウスグライヒを受けてオーストリア=ハンガリー銀行となった。
1923年1月1日、ハンガリー王国の独立を受けてオーストリア国立銀行(Oesterreichische Nationalbank; OeNB)となった。
オーストリア共和国の中央銀行であるが、1995年のEUへの加盟により、欧州中央銀行規程、国立銀行法などにより欧州中央銀行制度(ESCB)に加わり、また欧州中央銀行の傘下に置かれている。オーストリア国立銀行が欧州中央銀行制度に組み込まれたことにより、中央銀行としての多くの機能は欧州中央銀行(ECB)に移管された。欧州中央銀行制度の枠組みにおける金融政策協力において、オーストリア中央銀行の任務は、物価安定の維持が主要な目的となっている。
オーストリアは、19世紀のオーストリア・シリング紙幣が使われていた時代から、20世紀ドイツに占領されてドイツ・ライヒスマルクを使わなければならなくなった時代。そして再びシリングの時代から、EUへの加盟によりユーロの時代となっている。封筒は、ちょうどユーロ発行の当時である2002年8月にオーストリア国立銀行に置いてあったもので、デザインに1000シリング紙幣が使用されている。裏面は、偽札の識別ポイントの解説がされている。
エービーエヌ・アムロ・バンク・エヌ・ブイ銀行(東京支店消滅)
アムステルダム・ロッテルダム銀行(AMRO)は、1871年設立のアムステルダム銀行と、1863年設立のロッテルダム銀行が、1964年に合併して誕生した。また、ABN(Algemene Bank Nederland)は、1826年設立のNederlandsche Handel-Maatschappijと、1841年設立のトウェンテ銀行が、1964年に合併して誕生した。1991年にAMROとABNが合併してABNアムロ銀行が誕生した。前身のトウェンテ銀行とロッテルダム銀行は、英国型の植民地銀行を模範として、オランダ領東インドにおいて活動したために、東南アジアに強力な支店網を有している。その前身は、1799年に解散したオランダ東インド会社である。2007年には台湾の台東區中小企業銀行を買収し、台湾における業務拡大を行っている。
2007年3月にバークレイズが、海外店舗網の拡充を図るため、ABNアムロに合併を提案し、一旦合意されたが、これにロイヤルバンク・オブ・スコットランド、スペインのサンタンデール・セントラル・イスパノ、ベルギーのフォルティスの3銀行が連合で、ABNアムロの株式公開買い付けを実施し、対抗買収に成功した。このため、2009年6月27日、ABNアムロ銀行東京支店は、ロイヤルバンク・オブ・スコットランドに継承された。
↓収集困難度★★★★★★★★
ラボバンク ネダーランド銀行(東京支店消滅)
ネダーランズの農業向け金融機関は、139行弱の地域金融機関と統轄金融機関の相互信用で構成される。日本におけるJAバンクと農林中央金庫に類似しており、協同組合形式をとるラボバンクは農林中央金庫に相当する統括金融機関である。
1898年、北部のユトレヒトでは協同組織銀行6行が中央組織銀行であるセントラル・コーペラティブ・ライファイゼン銀行を設立したのに対して、南部のアイント・フォーフェンにおいても協同組織銀行22行が中央組織銀行であるコーペラチィブ・セントラル・ボエレンリーン銀行を設立した。1972年、両中央組織銀行が合併し、頭文字Ra及びBoをとってラボバンクとなった。
農業国であるネダーランズ国内におけるリテール部門では強みを持つが、1987年には農業以外のセクターへの貸出件数が農業セクターを上回り、現在では農業銀行からの脱却を図り、インターネットバンキングにも力を注いでいる。ユトレヒトに本店を置き、ABNアムロ、INGとともにネダーランズ三大銀行となっている。
2014年3月、支店から駐在員事務所に変更された。
海外進出にも積極的であり、1981年にニューヨークに事務所を開設したことを皮切りに、2000年8月7日には東京支店を開設。2010年6月には中国農業銀行と業務提携するなど、44カ国に展開している。
(参考文献:分権化と集権化を同時追及するオランダの地域金融機関ラボバンク・グループ 林 宏美 資本市場クオータリー 2007 Winter 150-161)
↓オランダ資本→ネダーランズ資本(2020.01略称廃止による)
↓収集困難度★★★★★★★★
ВТБ銀行
1922年、ゴスバンク(旧ソ連国立中央銀行)と外資により、㈱ロシア商業銀行が設立された。外債の誘致と貿易為替業務が目的であったが、実態は個人との外貨取引等、貿易外取引に関わる金融しか行わなかった。貿易金融はゴスバンクが担っていた。
1924年、ソ連政府がロシア商業銀行株のスウェーデン保有分をいくらか買収し、ロシア商業銀行を新設の外国貿易銀行(Vneshtorgbank)に編成した。これがВТБ(VTb)の原点である。 当時ソ連政府の対外経済政策は露亜銀行が主であったが、ほどなく清算された。
1925年、パリの北欧商業銀行を買収した。1961年1月、外国貿易銀行は、外国為替専門銀行になり政府の貿易金融を担った。1987年、ソ連対外経済関係銀行(ロシア開発銀行)になった。
1990年10月、ロシア連邦が設立した中央銀行は、ロシア開発銀行に国家債務を移管しВТБとして再編した。1991年1月2日、正式に銀行免許が与えられた。1997年、株式を公開した。2002年、中央銀行はВТБを政府に譲渡した。2004年、リテール銀行であるグタ銀行を買収。2005年、買収したグタ銀行をВТБ24に改称した。
メイ銀行(馬來亞銀行)
1960年5月31日、OCBC出身の Khoo Teck Puatにより設立。マラヤンバンキング公開会社が持株会社となっているマレーシア最大の銀行。総資産で東アジア5位、ブルネイ、シンガポール、フィリピン、パプアニューギニア、ベトナム、インドネシア国内においても主要な銀行であり、ニユーヨーク、ロンドン、上海など20カ国に支店がある。
CIMB銀行
1924年、ウィ・ケン・チャンによって、マレーシアのクチンで、ビエンチャン銀行が設立。1935年9月17日、マレーシアのペナンでバン・ヒン・リン銀行が設立。1948年、インドネシアにてリポ銀行が設立。1955年、インドネシアにてニアガ銀行が設立。1965年、マレーシアのペナンでサザン銀行公開会社が設立。マレーシア初のATMシステムを導入。同年、ブミプトラ銀行がマレーシアで設立。プミプトラ銀行は1980年代までに、資産規模でマレーシア最大の銀行となり。ニューヨーク、ロンドン、東京、バーレーンおよびホンコンに支店を設置した。1982年、東南アジア最大の銀行となった。1972年、ユナイテッド・アジア銀行がマレーシアの支店及びインドのインド・オーバーシー銀行、インド銀行及びユナイテッド商業銀行が合併してクアラルンプルで設立された。1974年4月、ペルタニアン・バリング・三和多国籍公開会社がマレーシアのベルタニアン銀行、英国のバリングブラザーズ・マルチナショナル銀行、日本の三和銀行によって設立。1979年11月、ビエンチャン銀行は、フリーグループに買収され、コマース銀行に改称し、JPモルガンの管理方式を取り入れた。1986年、ペルタニアン・バニング・三和多国籍公開会社は、コマース・インターナショナル・マーチャント・バンカーズ(CIMB)公開会社に改称した。
1991年11月、CIMB銀行はユナイテッド・アジア銀行を合併。持株会社をコマース・アセット・ホールディングス公開会社(CAHB)に改称。1999年10月、プミプトラ銀行とコマース銀行が合併。CAHBの下にプミプトラ・コマース銀行が誕生。2000年7月1日、政府の銀行統合政策によって、サザン銀行は、バン・ヒン・リー銀行、ユナイテッド・マーチャント・ファイナンス公開会社(サザン・ファイナンス公開会社が改称)、ペルデナ・ファイナンス公開会社、コンパカ・ファイナンス公開会社を合併。2002年、CAHBは、インドネシアのPTニアガ銀行の株式をインドネシア政府から過半数を譲受。2003年6月、CIMBイスラム銀行の設立に着手。2005年6月、CIMBはブミプトラ・コマースグループを買収。2006年9月、CIMBグループは、CIMB、ブミプトラコマース銀行、サザン銀行の合併によってリージョナルユニバーサルバンクとしての道を歩み始め、新しいロゴを発表した。2008年、中国のインコウ銀行及びタイのタイ銀行に出資。同年、インドネシアのニアガ銀行、リポ銀行を買収。同年、CIMBグループは、プリンシパル・フィナンシャルグループと折半出資して、CIMB-プリンシパル・イスラム・アセットマネージメントを設立。2009年、CIMB銀行及びCIMBイスラム銀行の本部を移設。同年5月、CIMB タイのロゴを発表。同年9月、シンガポールにてリテールバンキングを開始。2010年10月9日、カンボジアに全額出資の子会社を設立し、支店を開設。2012年、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドと、シドニー、メルボルン、香港、ソウル、台北、ロンドンおよびニューヨークでの投資銀行業務での業務提携を行った。
パブリック銀行(大眾银行)
1966年8月6日、タンスリ・ダトースリ鄭鴻標によって設立。商業銀行。リース、ファクタリング、証券および先物仲介、認可済公用車向けの融資などの銀行・金融サービスを提供。香港、中国、スリランカ、ラオス、カンボジア、ベトナム、ミャンマーに海外支店を持つ。2008年、イスラムパブリック銀行を子会社として設立。資本規模はマレーシア国内で5位、総資産額で2位である、りそな銀行と業務提携している。
ホンリョン銀行(豊隆銀行)
1905年、東マレーシアのサラワク州クチンにおいてLAM Ji Chiewにより Kwong Lee Mortgage & Remittanceという社名で設立。先物取引と華僑向けの本国送金サービスを行った。1934年10月26日、 Kwong Lee銀行に組織変更。1977年、ジョホール州の王族であるYang Amat Mulia Tunku Osman Ibni Tunku Temenggong AhmadがKwong Lee銀行の事業を継承し、マレー半島での事業拡大を行った。1982年1月1日、本店をクチンからクアラルンプルに移転。同年5月、MUIグループに買収された。1983年2月2日、Malayan United銀行と改名。1989年、MUI銀行に改称。1994年1月3日、ホンリョン銀行グループが、ホンリョンクレジット社(後のホンリョン・フィナンシャル・グループ)を通して、MUI銀行を買収し、ホンリョン銀行に改名。2011年5月6日、EON銀行グループを買収。香港(初のイスラム銀行)、シンガポール、カンボジアやベトナムにも出店し、全体では300支店を超えている。
アール・エイチ・ビー銀行
1913年、コンイク銀行がマレーシア初の地方銀行として、クアラルンプールのオールドスクエアに設立された。1959年、マレレーシアとシンガポールのゴム工業のチャン・ミン・チェンの実業家グループがマレーシア連邦銀行を設立。翌1960年にマレーシア初の商業銀行として営業を開始。1966年、開発商業銀行(D&C銀行、後のDCB銀行)が設立された。1976年、商業銀行としてウタマ銀行が上場。1996年、マレーシア連邦銀行は、サイム・ダービー傘下に入り、サイム銀行と改称した。
1997年7月1日、ヨンイク銀行とDCB銀行が合併し、RHB銀行となり、マレーシア三大銀行の一つとなった。1999年、サイム銀行とRHB銀行が合併し、RHB銀行グループ入りした。2003年、ウタマ銀行がRHB銀行と合併してRHB銀行グループ入りした。2005年、RHBイスラム銀行をグループ傘下に収めた。
アム銀行
1975年8月5日、創立。1976年4月1日、開業。マレーシア第6位の銀行で、特にイスラム金融に特化している。1977年、マレーシアの産業金融株式会社MIFCLの70%の株式を取得し、AMFBと改称。1986年12月、Antahホールディングス公開会社と東海銀行㈱がそれぞれ20%のグループ株式を取得。2007年5月18日、オーストラリア・ニュージーランド銀行と業務提携した。
アライアンス銀行(安联银行)
1958年、デクシア・ドゥ・インドシナは、クアラルンプルのジャランプーズーのセランゴール州カントン協会ビルで初の支店を開業。1975年、デクシア・ドゥ・インドシナ・デ・スエズ(デクシアインドスエズ)に変更名称。同年、クアラルンプルのジャランラジャチュランに本店移転。1982年、マレーシアフランス銀行公開会社は、デクシアインドスエズの2地方支店を吸収した。これは、デクシアインドスエズのフランス政府による国有化と、地元の銀行の規制に準拠するためにマレーシアの銀行再構築であった。1984年、マルチパーポス・キャピタル・ホールディングス公開会社はマレーシアフランス銀行の株式の70%を取得。1996年、マルチパーポス銀行公開会社に社名を変更。1999年、マルチパーポス銀行公開会社はマレーシア政府の銀行統合における基幹銀行の一つとして選択され、インターナショナル銀行マレーシア公開会社、サバ銀行公開会社、サバ州ファイナンス公開会社、ボルトンファイナンス公開会社、アマナマーチャント銀行公開会社、ブミプトラ・マーチャントバンカース公開会社を合併。2000年、マレーシアの10大銀行の一つとなった。Mプラントはマルチパーポス銀行の70%の株式を取得した。
2001年1月19日、アライアンス・バンキング・グループは、アライアンス銀行マレーシア公開会社(アライアンス銀行)、アライアンスファイナンス公開会社、アライアンスマーチャント銀行公開会社、アライアンス・ユニット・トラスト・マネジメント公開会社を含む7金融機関を傘下に収めロゴを発表。2004年8月1日、アライアンスファイナンス公開会社は、アライアンス・銀行と合併。2005年1月1日、Mプラントは、アライアンス・バンキング・グループの持株会社として30%の株式を取得。2006年8月、アライアンス・インベストメント・バンク公開会社(AIBB)に社名変更。同年12月、 KLCSとAIBBが合併。2007年4月、アライアンス・ユニット・トラスト・マネジメント公開会社は、アライアンス・キャピタル・アセット・マネジメント公開会社と合併し、アライアンス・インベストメント・マネジメント公開会社となった。同年6月、アライアンスイスラム銀行公開会社を、アライアンス銀行の全額出資子会社として設立。同年8月31日、アライアンス・ファイナンシャル・グループ公開会社にマレーシアプランテーション公開会社からの持株会社の社名変更に伴い、アライアンス・バンキング・グループは、主要なブランド再生運動を受け、アライアンス・ファイナンシャル・グループに改称。2008年4月1日、アライアンスイスラム銀行公開会社は、イスラム銀行業務を開始。2011年1月、アライアンス銀行、AIA 公開会社はタカフル貯蓄、保護および投資商品を提供。合弁のAIA AFGタカフル公開会社を発足。2013年1月、アライアンス銀行は、AIA AFGタカフル公開会社での30%の持分の売却を完了。 同年4月、アライアンス・インベストメント・マネジメント公開会社は、アライアンス銀行の70%の持分の売却によってグループから外れた。
ラクヤット銀行
1954年9月28日、協同組合法によりアゴング銀行やアペックス銀行など11金融機関が合併して設立。1967年、ケルジャサママレーシア公開会社に改称。1973年1月6日、ラクヤット銀行という呼称の使用を開始した。マレーシアで最も大きな資産規模のイスラム系の開発銀行である。
アグロ銀行
1969年9月1日、農業部門向けに特化した金融機関として設立。1970年1月1日、開業した。2007年12月、政府の資本注入により財務省傘下の政府系銀行となり、2008年4月8日、呼称を変更した。
ベトナム外国貿易銀行
1963年4月1日、ベトナム中央銀行の外為部門が独立して設立されたベトナム最大手の国営商業銀行である。2006年5月23日、民営化された。
総資産ベトナム4位の銀行で、みずほフィナンシャルグループが15%を出資している。幅広い法人・個人銀行取引に加え、外国為替、 トレードファイナンス及び決済関連業務に圧倒的な強みを持ち、傘下に証券会社、資産運用会社、保険会社を抱える金融コングロマリットとして、ベトナム国内において広範な金融サービスを提供している。
ベトナム輸出入商業合資銀行(Eximbank)
1989年5月24日、ベトナム輸出入銀行は閣僚評議会議長によって140 / CTに従って署名され、公式にベトナム最初の合資商業銀行の1つとして設立された。 1990年1月17日、営業を開始した。
1992年4月6日、ベトナム国家銀行総裁によって署名された免許証第11号/ NH-GPに基づき、50年に渡って運営することが許可され、当時の資本金は500億ドン(1250万米ドル相当)であった。その名称はベトナム輸出入商業合資銀行(略称ベトナム輸出入銀行)に変更された。
自己資本比率では最大級の商業合資銀行である。207支店のネットワークを持っており、84ヶ国、869の銀行と業務提携を行っている。
アグリ銀行
1988年3月26日、農村部や農業部門の開発を目的として、ベトナムの中央銀行であるState Bank of Vietnamの代理店としてVietnam Bank for Agricultural Developmentが設立された。
1990年11月14日、英名をVietnam Bank for Agricultureに変更。1996年11月15日、Agribankに名称変更された。ベトナムの国営銀行において、最大の商業銀行である。
セントラル・アジア銀行
1955年、サマランニット工場と商社がセントラル・アジア銀行(BCA)の前身である。
1957年2月21日、ジャカルタにて、開業した。
1997年、アジア金融危機により、インドネシア政府の援助を受け一時国有化された。2000年、株式を一般公開した。2002年、モーリシャスのFarindo Investment Limitedが過半数の株式を取得した。
2016年、DBSを抜いて、東南アジア最大の貸出資金量となった。経営の効率化を図り、インターネットバンキングが97%を占めている。
ビー・ジェイ・ビー(ジャバル)銀行
1961年5月20日、地域会社(PD)カリヤ・ペンバングナンダエラ・ジャワ・バラト銀行PD Bank Karya Pembangunan Daerah Jawa Baratが設立した。
1978年6月27日、Bank Pembangunan Daerah Jawa Baratに改称した。
1992年11月2日、外国為替商業銀行に昇格し、新しいロゴとともにジャバル銀行(Bank Jabar)に改称した。
1999年4月15日、ジャバル銀行の法的形態が地域会社(PD)から有限責任会社(PT)へと変更された。
2000年4月15日、ジャバル銀行はインドネシアで初めて、伝統的な銀行業務とイスラム法シャリーア銀行業務の両サービスを提供する地域開発銀行(BPD)となった。
2010年7月、証券取引所に株式を上場したインドネシア初のBPDとなった。
シナマス銀行
1989年8月18日、PT銀行シンタインドネシアが設立。1990年2月16日、開業した。
2006年12月、PT.Bank sinarmasに改称した。
2022年4月22日、シャーリア商業銀行を設立。
インドネシア最大のコングロマリットPT. Sinar Mas Multiartha Tbkの子会社である。
Jトラスト銀行
2014年11月20日、インドネシア預金保険機構よりムティアラ銀行(PT Bank Mutiara Tbk.)の株式(99.0%)を取得し、Jトラスト株式会社の連結子会社となった。
2014年12月14日、ムティアラ銀行として設立された。
2015年5月29日、Jトラスト銀行(PT Bank JTrust Indonesia Tbk.)に改称した。
韓国輸出入銀行
1976年7月1日、韓国輸出入銀行が1,500億ウォンの資本で設立された。1986年8月31日、新本店が落成した。東京、アビジャン、サンチアゴ、ジャカルタに駐在員事務所、香港に子会社がある。本店所在地は、150-996ソウル特別市永登浦区銀行路38である。
1979年6月19日、日本に東京事務所が開設された。
NH農協銀行
2012年3月2日、新農協法の施行により、中央会の下に経済持株会社及び金融持株会社を置き、金融持株会社の下にNH農協銀行、NH生命保険、NH損害保険を置いた。
農協(韓国)(消滅)
1956年、株式会社としての農業銀行が設立。1961年8月15日、旧農協と農業銀行が合併し、全国農業協同組合連合会になった。当時は、里・洞組合、市・郡組合、中央会の3段階制であった。1981年、市・郡組合が廃止された。1995年、前年の農協法改正により、中央会の経済、金融の独立事業部制となった。
2012年3月2日、新農協法の施行により、中央会の下に経済持株会社及び金融持株会社を置き、金融持株会社の下にNH農協銀行、NH生命保険、NH損害保険を置いた。
sh水協銀行
1962年4月1日、韓国水産業協同組合中央会(通称、水協中央会)により設立された特殊銀行である。
1990年、1995年、さらに1997年より毎年赤字が拡大し、2000年5月、金融監督院の財産実態調査を受け、1兆2,000億ウォン余りの公的資金の注入を受けた。
2016年12月1日、水協法の改正により水協中央会より分離した。
(参考文献:韓国協同組合の歴史と動向1 金 奇泰 松本 武祝ら(訳) 共済総合研究 69号 134-151)
郵便局(韓国)
1884年、郵政総局として設立。2000年7月1日、郵政事業、貯蓄及び保険等の金融関連事業等を情報通信部管轄から未来創造科学部に移管し、郵政事業本部を設置した。
光州銀行
1968年9月17日、地方銀行としての光州銀行が設立。1995年3月、一番相互信用金庫を買収した。1997年の金融危機の際、年末にIMFから支援を受ける条件として金融構造改革が求められた。2000年12月、不良金融機関に選定。2001年4月2日、金融構造改革の一環として、ハンビット銀行、平和銀行、慶南銀行とともにウリ金融持株会社に強制編入。2014年8月2日、解体した。
2014年10月、JB金融持株会社の子会社となり再発足した。2015年3月、CIによりロゴマークをJB金融持株会社のものに統一。2018年7月、新韓金融投資に買収された。
参考:奥田聡編 『韓国主要産業の競争力』調査研究報告書 アジア経済研究所 2007年
釜山銀行(ブサン)
1967年10月25日、韓国政府の一道一行主義方針により、土城洞で地方銀行として開業した。1972年6月、株式を公開した。1982年6月、本店を普密洞に移転した。
BSフィナンシャルグループの子会社で、韓国内に200以上の支店がある。
大邱銀行(テグ)
1967年10月7日、設立した。1985年5月28日、本店を寿城洞2街118に移転。1990年代後半、国内外の金融環境の急変にもしっかりと対応した。1997年の通貨危機も,公的資金を1度も受けなかった。2000年まで、地銀のリーディングカンパニーであった。
2011年5月17日、DGB金融持株会社を設立して、子会社になった。2014年、釜山銀行が慶南銀行を合併し、地銀ナンバー1の座を譲った。
2023年9月、都市銀行への転換認可申請の予定である。
ウェルカム貯蓄銀行
韓国の貯蓄銀行は、金利の高い第二金融圏である。総与信の一定割合を営業区域内の個人や中小企業に貸付なければならない制約がある。
1972年、相互信用金庫法により金融業者が政府の規制を受け制度化された。2001年、相互貯蓄銀行法に改正され、相互貯蓄銀行になった。2009年、貯蓄銀行に改称された。
2014年5月、ウェルカムクレディラインが預金保険公社からイェシン貯蓄銀行(旧新羅貯蓄銀行 )とヘソル貯蓄銀行(旧釜山ソロモン貯蓄銀行)を買収して発足した。2014年10月、西日貯蓄銀行を吸収合併した。2017年7月、貯蓄銀行初の外国為替業務の登録となった。
東部(相互)貯蓄銀行(消滅)
1972年10月、東部無尽として設立。同年12月、相互信用金庫業の許可を得た。
1975年3月、本店を鍾路区鍾路2-75-9に移転。1999年2月22日、本店を中区大東103(後の南大門路113)に移転。2002年3月、東部相互信用金庫から東部相互貯蓄銀行に改称。2007年より、『相互』の省略表記が認められる。2010年9月、東部貯蓄銀行に改称。2017年11月1日、DB貯蓄銀行に改称した。
MGセマウル金庫
1963年5月、政府が推奨する郷土開発事業(セマウルは新しい村という意味)の一環として、相互扶助精神をもとに慶南地域で金融協同組合ができ、韓国各地にできた。1973年3月、セマウル金庫連合会が設立。1982年12月、セマウル金庫法が制定され、翌年より施行。2011年9月、セマウル金庫中央会に改称。2013年5月、50周年を記念してCIを導入しロゴマークを変更した。
永豊銀行
永豊銀行本店の画像がありません。お持ちのかたがいらっしゃいましたら、お問い合わせページよりご連絡いただけましたら幸いです。
1948年5月4日、台北区協同貯蓄会社が設立した。1978年、台北中小企業銀行に改組。1998年5月14日、台北国際商業銀行に改組した。
1992年1月28日、華信銀行が設立した。2001年9月28日、建広証券と金華信銀証券が合併して建華証券になった。2002年6月20日、華信銀行も加わって建華金融控股(フィナンシャルグループ)となり、その際に建華銀行に改称した。
2006年11月13日、建華銀行を存続銀行として台北国際商業銀行と合併して永豊銀行になった。また永豊金融控股の子会社となった。本店は旧台北国際商業銀行の本社ビル(中山区南京東路3段36號)を使用している。2023年2月時点で国内125支店となった。
元大(商業)銀行
1961年、台北市漢口街一段21號に専門証券ブローカーとして設立。
1966年、博愛路156號に移転。1980年、富華証券金融有限公司となった。1984年、仁愛路四段第一信託ビルに移転。
1992年1月14日、亜太商業銀行が設立。2002年8月1日、復華金融ホールディングスの子会社となった。同年10月21日、復華商業銀行に改称した。2005年1月10日、台南市第七信用組合を買収。同年12月23日、台南市第六信用組合を買収した。
2006年、元大京華証券が復華金融ホールディングスの経営を引き継いだ。2007年9月26日、復華金融ホールディングスは元大金融ホールディングスに改称し、復華商業銀行は元大商業銀行に改称した。
2018年1月1日、元大商業銀行を存続会社として大衆商業銀行を合併した。総資産は1兆7,000億台湾ドル以上に達し、台湾で7番目に大きい民間銀行である。
新光銀行
[誠泰商業銀行]
1918年4月、艋舺信用組合が設立。1946年7月、有限責任台北市艋舺信用組合に改組・改称。1966年6月、保証責任台北市第三信用組合に改称。
1997年1月1日、台湾の信用組合として、初めて誠泰商業銀行に改組・改称した。
1998年、保証責任台中市第八信用組合を合併。2001年9月、保証責任嘉義市第二信用組合を合併。同年同月、保証責任高雄縣岡山信用組合を合併した。
2005年10月3日、新光ホールディングスの完全子会社となった。
[台湾新光商業銀行]
2000年7月1日、保證責任台中市第六信用組合を存続会社として保証責任屏東第一信用組合が合併して改組し、聯新商業銀行になった。
2004年9月30日、新光ホールディングスの完全子会社となった。
2004年11月15日、台湾新光商業銀行に改称した。
2005年12月31日、誠泰商業銀行を存続会社として台湾新光商業銀行と合併し、新光銀行になった。
2012年11月26日、本社を台北市中正区忠孝西路一段66號の新光生命保険タワーから信義区松仁路32號の新光信義金融ビルに移転した。
華南(商業)銀行
1919年1月29日、当時の豪族であった林雄正と華僑の財閥によって華南銀行が設立。同年3月、台北市表町2丁目2市(後の観前路45)に開業した。
1947年5月3日、台湾信託会社と合併した。
1998年1月22日、政府株式を放出し完全民営化となった。
2001年12月19日、台北市に本社を置く持株会社、華南金融控股股份有限公司が設立され、その子会社になった。
端興(商業)銀行
1917年10月25日、日本統治時代に大稲埕地区の城隍廟前街 28 (後の迪化街)に台北道江信用組合が設立。営業を開始した。1945年、稲江信用組合に改称。1947年、台北市第一信用合作社と改称し、本店を台北市延平北路二段133号に移転。1965年、保証責任台北第一信用合作社に改組した。
2007年7月1日、営業地域の拡大のため、台北商業銀行に改組・改称。2009年1月1日、大台北商業銀行に改称した。
2013年10月21日、元台北銀行の流れを汲む台北富邦銀行からの訴訟に敗訴し、端興商業銀行に改称した。
遠東國際商業銀行
1992年(民国81年)1月11日設立。1992年4月11日、開業した。
2010年4月3日、清豊商業銀行を買収した。
國泰世華銀行
1975年1月4日、國泰銀行が設立。同年5月20日、台北市永水街10號にて開業した。1995年4月17日、華僑信投股份有限公司を買収した。
2001年12月31日、国泰金融ホールディングスを設立。2002年、国泰・世華の両行は子会社となった。
2003年10月27日、世華聯合商業銀行を存続銀行として合併して、國泰世華銀行になった。
2007年1月1日、第七商業銀行を合併。同年12月29日、中国銀聯信託の一部の資産、負債及び業務を引き継いだ。合併後、国内支店数は 164支店に増加し、住宅銀行としては一位となった。
世華聯合商業銀行(消滅)
1971年9月、第四屆世華金融聯誼會(第四回世華金融友好会)において、世界の華僑商人が台湾の経済を発展させる決意と支持を表明した。海外17ヵ国の華僑商人指導者を結ぶための金融機関の一つとして、1975年1月4日、世華銀行(世界華僑の略)として設立された。
2002年12月31日、政府による金融改革によって、国泰金融控股を設立して、国泰・世華の両行は当フィナンシャルホールディングスの子会社となった。
2003年10月27日、国泰銀行と世華聯合商業銀行(世華銀行)が合併し国泰世華銀行となった。
恒生銀行
1933年3月3日、上環の永楽街70番地に両替商店「恒生銀號」として営業を開始。1941年、日本軍の香港侵攻により営業停止し、マカオに逃れるも同名の銀號が営業していたため「永華銀號」に改称。1945年、香港がイギリス統治に復帰して、中環にて営業を再開。1952年、非上場民間企業として会社登記を行い、商業銀行となった。1960年、公開会社に転換。1965年、香港株価大暴落の影響とそれに伴う取り付け騒ぎにより経営困難に陥り、香港上海銀行(HSBC)の傘下に入る。1981年、中国への事業拡大を開始。1986年、永安銀行を買収。1993年、永安銀行を大新銀行に売却。2007年、完全子会社のHang Seng Bank(China)Limitedを設立。この子会社は、北京、上海、広州、深セン、東関、福州、南京、杭州、寧波で中国本土ネットワークを運営している。
↓収集困難度★★★★★
南洋商業銀行
1949年12月14日、中国共産党の荘才平が個人名義で設立した。その際の資本金は全額中国の国有であった。1950年、経営難に陥ったところ、中国銀行香港が200万香港ドルを貸し付けて救済した。1950年代後半、福建省銀行を合併した。
2016年5月30日、中国銀行香港は南洋商業銀行を中國信達に売却し、中國信達の子会社となった。
上海商業銀行
1950年11月、上海商業銀行の香港支店から独立銀行に再編され、「上海商業銀行」の名で香港に登録され、海外に事業を行っている。グループ銀行として、中国本土の上海銀行、台湾の上海商業銀行がある。
↓収集困難度★★★★★
大新銀行
1947年5月1日、設立した。1987年、香港工商銀行を買収し、大新金融集団有限公司(フィナンシャルホールディングス)の100%子会社となった。1993年、大新金融集団が永安銀行を買収し大新銀行に譲渡した。1997年、大新金融集団が艾比国民銀行と和亨宝銀行との間にジョイントベンチャー契約を結び、永安銀行をプライベートバンク(後の豊明銀行)に転換した。
2004年、大新金融集団有限公司が事業を再編して、大新銀行集団有限公司になった。
2010年、豊明銀行と大新銀行が統合して大新銀行となった。
上海浦東発展銀行
1992年10月、設立。1993年1月9日、開業。1996年12月、市庁舎となっていた旧匯豊銀行ビル(香港上海銀行上海支店)の使用権を獲得し本店とした。
玄関には2頭の雄ライオン(1頭は香港上海銀行本社統括のステファン、もう1頭は上海支店長のスティット)が鎮座し、回転扉を入った八角形の中央ロビーに風格を漂わせて聳え立っている7トン以上ある4本のイオニア式の大理石の円柱は、世界中でも6本しか現存しておらず、残り2本はパリのルーブル宮殿にある。
2023年3月、総資産は8兆8,600億人民元を超えた。
ノヴァ・スコシア銀行(東京支店消滅)
1832年5月10日、英国、北アメリカ及び西インド諸島の貿易を促進するためにノヴァスコシア州のハリファックスで設立され、8月29日に開業した。1882年までは近隣諸州など限られた範囲での事業を行っていたが、西部カナダへの進出で、マニトバ州のウィニペグに支店を開いたことをきっかけに、ミネアポリスやシカゴなどを含むアメリカ中西部へと事業規模を拡大させた。1883年、PEIユニオン銀行を合併。1885年、カナダ国外最初の支店としてミネアポリスに開設。1889年、ジャマイカのキングストンにカナダの銀行として初めて支店を開設。1892年、ミネアポリス支店を閉じ、イリノイ州のシカゴに移転。同年、カナダの銀行としてはニューファンドランドに初めて進出。1899年、ボストン支店を開設した。
1900年にはカナダ、アメリカ、ジャマイカに38の支店をもつようになり、ジャマイカ紙幣を発行。1901年、サマーサイド銀行を合併。1906年、キューバのハバナに支店を開設。1907年、ニューヨーク支店を開設。1910年、プエルトリコのサンフアンに支店を開設。1913年、ニューブランズウィック銀行を合併。1914年、メトロポリタンバンクを吸収。1919年、オタワ銀行を合併。1920年、イギリスのロンドン、ドミニカ共和国のサントドミンゴにそれぞれ支店を開設。1931年には12の支店をジャマイカに展開。カナダ国内ではアトランティック諸州とケベック州、オンタリオ州、マニトバ州に事業を展開。1931年にはハバナに3支店、ほかキューバの他都市に4支店となった。1994年、モントリオール・トラストを合併。1997年、ナショナル・トラストを合併。2005年、ギリシャ・ナショナル銀行を合併した。資産規模は、カナダ第3位の銀行であるが、国際業務はカナダ第1位である。
日本には、1962年、東京支店を開設し、企業への融資業務、クロスボーダーの企業買収、融資業務、一部証券業務(登録金融機関業務)、顧客との為替業務、顧客からの預金受け入れ業務、金利スワップ・クロスカレンシースワップ業務、、トレードファイナンス業務を行っている。2003年12月30日、大阪支店を廃止。2013年9月、東京支店を閉鎖した。
キー銀行
1825年、ニューヨーク州オルバニーにコマーシャル・バンクが設立。1865年、全国銀行法に基づき、ナショナル・コマーシャル・バンク・オブ・オルバニーに改称した。1971年、ファースト・トラスト・アンド・デポジットと合併して、ファースト・コマーシャル・バンクになった。1979年、キー・バンク・インクに改称した。
1970年代半ばから1980年代前半にかけてニューヨーク州北部の多くの銀行を買収。1980年代は、メイン州、マサチューセッツ州、バーモント州にも支店を広げた。さらに、ワイオミング州、アイダホ州、ユタ州、ワシントン州、オレゴン州、アラスカ州の小規模銀行を買収した。1990年代の初頭、破綻したエンパイア・フェデラル・セービング・アンド・ローンとゴルドーム・セービングス・バンクを政府から買収。1992年3月、ピュージェット・サウンド・バンコープを買収。1992年、ホーム・フェデラル・セービングズを買収した。
一方、1849年、ソサエティ・フォー・セービングスは、相互貯蓄銀行として誕生した。1867年、クリーブランド初の超高層ビルである10階建てのソサエティ・フォー・セービングス・ビルをパブリック・スクエアに建設した。1949年、創立100周年時、極めて保守的な経営で、この1つの事業所のみであった。1958年、相互会社から公開会社に転換し、1978年までの間に12の地域銀行を買収した。
1979年から1989年にかけて、ソサエティは再び成長を遂げ、数十の小規模銀行を買収し、1986年にはクリーブランドに本拠を置くセントラル・ナショナル・バンクを筆頭に、合併を4件行った。1990年、オハイオ州トレドを拠点とするトラストコープを買収。1991年9月、銀行持株会社アメリトラスト・コーポレーションを買収した。
1994年3月1日、オハイオ州クリープランドのソサエティ・コーポレーションとニューヨーク州アルバニーのキーコープが合併して新たにキーコープになった。本社はクリープランドに置き、キー・バンク・インクを名乗った。1996年6月、ソサエティの名称が廃止され、両行が合併するまで、さらに2年間、ソサエティの旧拠点で使用され続けた。
2012年1月、ファースト・ナイアガラ・バンクからニューヨーク州北部の旧HSBCバンクUSAの支店37店舗を買収。2013年5月、バンク・オブ・アメリカから住宅ローンのサービシング権を取得。2016年7月29日、ファースト・ナイアガラ・バンクを買収した。
US銀行
1853年、Farmer's and Millers Bankがウィスコンシン州のミルウォーキーで開業した。
1864年、The First National Bank of Minneapolis が設立。1929年、First National Bank of St. PaulとThe First National Bank of Minneapolisが銀行持株会社であるFirst Bank Stock Corporationをミネソタ州ミネアポリスに設立。1968年、First Bank Systemに改称した。
1891年、オレゴン州でNational Bank of Portlandが設立。1902年、Ainsworth National Bank of Portlandを合併。1969年、銀行持ち株会社U.S. Bancorp of Oregonを設立の後、オレゴン州の銀行の買収を続けた。1988年、カリフォルニア州の銀行の買収を始めた。
1997年、First Bank System は、U.S. Bancorp of Oregonを買収し、U.S. Bancorpに改称し、本拠をミネアポリスに置いた。
2000年10月、Farmer's and Millers Bank の後身であるFirstar CorporationがU.S. Bancorpを買収し、再びU.S. Bancorpに改称し、本拠をミネアポリスに置いた。2008年、Bank of NewYork Melonのロサンゼルス周辺の店舗を買収。2022年12月1日、カリフォルニア州を拠点とするMUFGユニオン銀行を三菱UFJFGより買収。米中西部と西海岸に店舗を展開する米最大規模の地銀の一つである。
ユニオン銀行(消滅)
2008年12月17日、Union Bank of CaliforniaがUnion Bankに改称。2009年4月、Union Bank, N.A.に改称した。
2010年4月17日、Tamalpais Bankを買収。2010年5月1日、Frontier Bankを買収。2012年3月12日、Pacific Capital Bancorpを買収。2014年7月1日、米国子会社を統合し、MUFG Union Bank, N.A.に改称した。
MUFG Union Bank, N.A.は、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFJ)の米国における100%子会社のMUFG Americas Holdings Corporationの完全子会社の商業銀行である。日系金融グループの在米銀行としては最大の規模であった。
2022年12月1日、U.S.Bancorpに買収されて消滅した。
↓収集困難度に★★を追加。
カリフォルニア・ユニオン銀行(消滅:東京支店消滅)
1864年、米国サンフランシスコにBank of Californiaが設立。1984年、三菱銀行に買収された。1988年、三菱銀行の米国法人である加州三菱銀行と合併し、Bank of Californiaとなった。
1975年、加州東京銀行が、California First Bankに改称した。1988年、Union Bankを合併し、Union Bankとした。
1996年4月1日、Bank of CaliforniaとUnion Bankが合併し、Union Bank of Californiaとなった。
2006年、東京支店を閉鎖した。
2008年12月17日、Union Bankに改称した。
↓収集困難度に★を追加
メカニクス銀行
1905年、アイバーソン・バンク・アンド・トラスト・カンパニーとして設立。カリフォルニア州リッチモンドにて開業。1907年、メカニクス銀行に改称した。2016年、カリフォルニア・リパブリック銀行を買収。2018年、スコット・バレー銀行を買収。2019年、ラボバンクの北米リテール事業を統合した。
カリフォルニア信託銀行
1998年10月、カリフォルニア住友銀行、グロスモント銀行、ファースト・パシフィック・ナショナル銀行が合併してカリフォルニア信託銀行になった。
1999年、リージェンシー銀行を買収。2001年、エルドラド銀行とアンテロープバレー銀行を含むエルドラド・バンクシェアーズを加えて事業を拡大。2009年2月6日、アライアンス銀行を買収。同年7月17日、ヴィンヤード銀行を買収した。銀行持株会社であるザイオンスバンコーポレーションの子会社である。
アメリカン・セービング銀行
1925年、American Building & Loan Companyとして設立した。
1942年、American Savings & Loan Associationに改称した。1971年、カウアイ貯蓄銀行を買収。1973年、マウイ貯蓄ローンを買収。1977年、パシフィックセービング&ローン協会を買収した。
1987年、American Savings Bankに改称。1997年、バンク・オブ・アメリカのハワイ事業を買収。ハワイ電力工業の子会社である。2022年、本社ビルをチャイナタウンの300ノースベレタニアストリートに建設中である。
バンク・オブ・ハワイ銀行(東京支店消滅)
1893年、ピーター・クッシュマン・ジョーンズ、ジョセフ・バラード・アサートン及びチャールズ・モンターギュ・クックによりハワイで創立され、1897年12月27日にハワイ共和国の認可を得て。1903年、カウアイ島リフェにて開業した。1922年、ファースト・バンク・オブ・ヒロを合併し、マーチャント街のフォルドの角地に本店を構えた。1931年、有限会社バンク・オブ・ハワイから、バンク・オブ・ハワイに改称した。1968年、本店をフィナンシャル・プラザ・オブ・パシフィックに移転。1979年、ロゴマークを変更。1986年、グアムのバンク・オブ・アメリカの支店を買収。1997年、パシフィック・センチュリー・フィナンシャル・コーポレーションに改称したが、2002年、バンク・オブ・ハワイに改称した。
日本には東京支店を出店していたが、撤退した。
ファースト・ハワイアン銀行 (東京支店消滅)
ホノルルに本店を置き、ハワイ、グアム、サイパンに支店を展開するBNPパリバの100%子会社である。
1858年8月17日、ハワイにて ビショップ・アンド・カンパニーとして設立 。1933年ビショップ・ナショナル・バンク・オブ・ハワイと改称。1969年、ファースト・ハワイアン・バンクと改称 。1998年、バンク・オブ・ザ・ウエストと合併し、持ち株会社バンクウエスト・コーポレーションが発足 。2001年、BNPパリバ が、バンクウエスト・コーポレーションを買収 。2010年12月16日、東京支店を閉鎖した。
セントラル・パシフィック銀行
1954年1月29日、日系二世飯田氏らと住友銀行の協力によりセントラル パシフィック バンクが銀行免許を得た。同年2月15日、開業した。
2021年1月26日、本店を新築した。
テリトリアル・セービング銀行
1921年、カイムキ・ビルディング&ローン協会として設立。
ハワイ州内に29の支店を持つ、フルサービス銀行である。
2009年7月、株式を公開した。
バンク・オブ・ザ・ウエスト銀行(東京支店消滅)
1874年、カリフォルニア州にてファーマーズ・ナショナル・ゴールド・バンク・オブ・サン・ノゼとして設立された。1880年、ファースト・ナショナルバンク・オブ・サン・ノゼに改称。
1987年、ロスガトス銀行を買収するなど、1980年代から90年代には、数々の銀行を買収した。アメリカの銀行でありながら日系銀行であったユナイテッド・カリフォルニア・バンク(2001年に加州三和銀行が加州東海銀行との合併により行名変更したもの)を買収した1998年、ファースト・ハワイアン銀行を合併し、持ち株会社バンクウエスト・コーポレーションが発足 。
2001年、BNPパリバ が、バンクウエスト・コーポレーションを買収 。2006年1月に東京駐在員事務所を開設。2010年12月16日、東京支店を閉鎖した。
カナダ帝國商業銀行
1867年5月15日、トロントでカナダ商業銀行(Canadian Bank of Commerce)が設立。1875年3月18日、トロントでカナダ帝國銀行(Imperial Bank of Canada)が設立した。
1961年6月1日、カナダ商業銀行とカナダ帝國銀行が合併し、カナダ帝國商業銀行(CIBC)になった。
1972年、57階建てのコマース・コート・ウェストに本店を新設移転した。
2021年11月1日、本店をCIBCスクエアに新設移転した。
カナダにおける五大銀行の一つである。
TDカナダトラスト銀行
1855年、トロント銀行が設立。1856年、開業した。
1869年、ドミニオン銀行が設立。1871年、開業した。
1955年2月1日、トロント銀行とドミニオン銀行が合併して、トロント・ドミニオン銀行になった。
2000年2月1日、TDフィナンシャルグループがカナダトラスト銀行を吸収合併し、リーテール・バンキング部門をTDカナダトラスト銀行に改称した。
TDバンク・ファイナンシャル・グループは、カナダ6大銀行の一つである。
МBNA カナダ
1982年、NAメリーランド銀行として設立。1989年、МBNAアメリカ銀行に改称。2000年、カナダトラストを買収。2005年、米国のバンクノースを買収。2006年1月1日、バンク・オブ・アメリカに買収され、子会社となった。同年6月10日、FIAカードサービスに改称した。同年10月10日、FIAとなった。2011年12月1日、トロント・ドミニオン銀行により買収された。МBNAは、トロント・ドミニオン銀行の一部門となった。
バンクーバー市貯蓄信用組合(Vancity)
1946 年10月11日、バンクーバーで公開債券信用組合として運営を開始。1991年、信託会社シチズンズ・トラスト・カンパニーを買収した。2008年2月、グレーター ビクトリア貯蓄信用組合を合併。カナダ最大の貯蓄信用組合である。
イタウ・ウニバンコ銀行(東京支店消滅)
1924年、ウニバンコの前身であるカーサ・モレイラ販売がミナス ジェライスで創業した。これは、ブラジルで最も古い銀行である。1995年以降、ナショナル・ウニバンコを経てウニバンコとなり、買収等によってブラジル国内第3位の規模にまで発展した。。
1945年、バンコ・イタウ(イタウは、黒い石の意)が設立された。1964年、セントラル・クレジットが改称したフェデラル・デ・クレジットとバンコ・イタウが合併し、バンコ・フェデラル・イタウ・S・Aとなり、後にバンコ・イタウS・Aと改称した。1964年以降、次々と合併を繰り返し、事業を拡大した。1979年、ニューヨークに出張所を、ブエノスアイレスにブラジル国外の初の支店を設けた。1980年代もブラジルの中小銀行の合併を進め、1984年には、ニューヨーク出張所が支店に昇格した。
1990年代にも、事業拡大を続け、1994年には、ポルトガルのイタウ・ヨーロッパ、イタウ・アルゼンチン、ケイマン諸島現地法人のイタウ銀行を子会社として設立した。また、1995年、クレディ・リヨネからバンコ フランセ エ ブラジエイロを買収し、プライベートバンキング分野に参入を開始した。また、カルドーゾ政権時代、民営化政策の波に乗り、リオ・デ・ジャネイロ州立銀行、ミナス・ジェライス州立銀行、パラナ州立銀行、ゴイアス州立銀行の買収を行った。1997年には、ルクセンブルクの銀行を買収し、イタウ・ヨーロッパ・ルクセンブルクとした。さらに、1998年にはアルゼンチンのバンコ デル ヴェン アイルを買収した。2002年、持株会社であるバンコ・イタウ・フィナンセイラを設立。2006年、バンク・オブ・アメリカの子会社であるボストン銀行のブラジル支店網及びウルグアイとチリにおける業務を買収した。
2008年11月2日、イタウはウニバンコとの合併を発表、バンコ・イタウ・ホールディング・フィナンセイラとウニバンコ・ホールディングが合併してイタウ・ウニバン・ホールディングスが誕生し、南半球で最大の時価総額の銀行となった。2009年2月、ブラジル中央銀行は、合併を承認した。この持株会社の下には、リテール銀行でサンパウロに本社を置くイタウ・ウニバンコ銀行と、ブラジル最大の投資銀行であるイタウBBA銀行を置く。また、ブラジルは日本と異なり証券業務も行うユニバーサルバンキング業務を行っている。
日本国内おいては、2004年10月に東京駐在事務所から東京支店に昇格した。2006年12月にはバネスパ銀行東京支店より預金、送金業務を譲受した。東京都以外にも、2008年5月に豊橋出張所を開設したが2011年5月31日には営業を終了した。
2009 年12 月30 日のブラジル中央銀行による本店商号変更の認可を受け、イタウ銀行東京支店は、2010 年3 月1 日よりイタウ・ウニバンコ銀行東京支店に商号の変更を行なった。2013年8月26日、個人向けの新規口座開設を取り止めた。2015年11月、丸の内1丁目の丸の内センタービル1階から内幸町1丁目のNBF日比谷ビル12階に東京支店を移転した。2016年9月1日、ブラジル本国の経済縮小を受け、東京支店を閉鎖する方針を発表し、2020年2月28日、日本での銀行業を廃止した。
バンコ・イタウ・エッセ・アー銀行(消滅)
2008年11月2日、ブラジルにおける民間銀行第3位のウニバンコとの合併を発表、バンコ・イタウ・ホールディング・フィナンセイラとウニバンコ・ホールディングが合併してイタウ・ウニバン・ホールディングスが誕生し、南半球で最大の時価総額の銀行となった。2009年2月、ブラジル中央銀行は、合併を承認した。本店はサンパオロ市である。
日本国内おいては、2004年10月1日に東京駐在事務所から東京支店に昇格した。2006年12月にはバネスパ銀行東京支店より預金、送金業務を譲受した。東京都以外にも、2008年5月に豊橋出張所を開設した。