-近畿
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津信用金庫
1923年3月16日、商工業者の済美講を母体として、産業組合法により有限責任津信用組合として津市中之番町大字津に設立した。
1943年8月、市街地信用組合法により、有限責任津信用組合に改組した。
1950年3月、中小企業等協同組合法により、信用協同組合津信用組合に改組した。
1952年3月、信用金庫法により津信用金庫に改組。1968年11月、本店を津市大門21に新築移転した。
営業地域は、津市一円、松阪市(旧飯南町、旧飯高町は除く)及び鈴鹿市一円である。
北伊勢上野信用金庫
2004年1月19日、北伊勢信用金庫を存続金庫として上野信用金庫と合併し、改称して北伊勢上野信用金庫になった。
営業地域は、三重県四日市市、鈴鹿市、亀山市、桑名市、津市(旧津市、旧安芸郡河芸町、旧安芸郡芸濃町、旧一志郡美杉村に限る)、伊賀市、名張市、三重郡、員弁郡、いなべ市、桑名郡、奈良県奈良市月ヶ瀬、山辺郡山添村、滋賀県甲賀市甲賀町、甲賀市甲南町、甲賀市信楽町である。
北伊勢信用金庫(消滅)
1929年6月6日、産業組合法により有限責任信用組合四日市金庫として設立。1943年10月、市街地信用組合法により、四日市信用組合に改組。1952年1月、信用金庫法により四日市信用金庫に改組。1967年4月、鈴鹿信用金庫と合併し、北伊勢信用金庫に改称。1970年4月、四日市商業信用組合を合併。1980年5月8日、本店を四日市市安島2に新築移転した。
2004年1月19日、北伊勢信用金庫を存続金庫として上野信用金庫と合併し、改称して北伊勢上野信用金庫になった。
上野信用金庫(消滅)
1921年12月、有限責任上野信用組合として設立。1943年7月、市街地信用組合法により上野信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法により上野信用金庫に改組した。
2004年1月19日、北伊勢信用金庫を存続金庫として合併し、改称して北伊勢上野信用金庫になった。
営業地域は、三重県上野市、名張市、阿山郡(伊賀町、阿山町、大山田村、島ヶ原村)、名賀郡青山町、亀山市、鈴鹿郡関町、一志郡美杉村。奈良県月ヶ瀬村、山添村。滋賀県甲賀町、甲南町、信楽町であった。
桑名三重信用金庫
2019年2月25日、桑名信用金庫を存続金庫として三重信用金庫と合併し、桑名三重信用金庫になった。
営業地域は、三重県桑名市、四日市市、いなべ市、松阪市、伊勢市、鳥羽市、志摩市、津市、鈴鹿市、亀山市、員弁郡、三重郡、桑名郡、多気郡、度会郡、愛知県名古屋市中川区・港区・中村区、津島市、愛西市、弥富市、海部郡、あま市、岐阜県海津市である。
桑名信用金庫(消滅)
1925年7月1日、桑名市片町175番地において有限責任信用組合桑名金庫として事業を開始。1927年3月19日、桑名市職人町に本店を移転。1936年1月30日、桑名市京町に本店を移転。1943年9月30日、市街地信用組合法により桑名信用組合に改組した。
1951年10月20日、信用金庫法により、桑名信用金庫に改組。1955年7月10日、本店を桑名市寿町に移転。1974年2月25日、桑名市大央町20に本店を新築移転した。
2019年2月25日、桑名信用金庫を存続金庫として三重信用金庫と合併し、桑名三重信用金庫になった。
営業地域は、三重県桑名市、四日市市、いなべ市、員弁郡、三重郡、桑名郡、愛知県名古屋市中川区・港区・中村区、津島市、愛西市、弥富市、海部郡、あま市、岐阜県海津市であった。
↓収集困難度★★★★★
三重信用金庫(消滅)
1924年8月26日、産業組合法による準市街地信用組合である有限責任松阪信用組合として飯南郡松阪町魚町4に設立。同年10月10日、開業。1932年5月、本所を松阪市日野町に移転。1943年4月1日、市街地信用組合法により松阪信用組合に改組。1950年4月1日、中小企業等協同組合法により改組した。
1951年10月20日、信用金庫法により、松阪信用金庫に改組。1961年10月2日、伊勢信用金庫と合併し、松阪伊勢信用金庫に改称。1991年7月29日、本店を朝日町1区に新築移転し営業を開始した。
1997年10月6日、三重信用金庫に改称した。
2019年2月25日、桑名信用金庫を存続金庫として合併し、桑名三重信用金庫になった。
営業地域は、松阪市、伊勢市、鳥羽市、志摩市、津市、鈴鹿市、亀山市、多気郡、度会郡であった。
↓収集困難度★★★★★
紀北信用金庫
1948年6月、市街地信用組合法に基づき尾鷲信用組合として設立。
1952年3月、信用金庫法に基づき紀北信用金庫に改組。1958年5月、本店を中井支店に新築。1970年5月、本店を尾張市野地町に新築移転。2002年6月3日、長島信用金庫の事業を譲受した。
営業地域は、三重県尾鷲市、熊野市、北牟婁郡、南牟婁郡、度会郡大紀町錦、度会郡南伊勢町の一部及び和歌山県新宮市である。
滋賀中央信用金庫
2004年7月20日、彦根信用金庫を存続金庫として近江八幡信用金庫と合併して滋賀中央信用金庫になった。
営業地域は、滋賀県全域である。
彦根信用金庫(消滅)
1914年6月2日、産業組合法による有限責任彦根信用組合として設立。同年8月18日、開業。1918年3月、産業組合法による市街地信用組合に改組。1943年8月、市街地信用組合法による信用組合に改組。1950年4月、中小企業等信用組合法による信用協同組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法による彦根信用金庫に改組・改称。1966年8月、本店を彦根市中央町5-9に新築移転した。
2004年7月20日、近江八幡信用金庫と合併して滋賀中央信用金庫になった。
近江八幡信用金庫(消滅)
1922年12月、産業組合法による有限責任八幡町信用組合として設立した。
1952年3月、信用金庫法による近江八幡信用金庫に改組・改称。1957年11月、本店を近江八幡市仲屋町元19に新築。1982年11月、本店を近江八幡市桜宮町198に新築移転した。
2004年7月20日、彦根信用金庫を存続金庫として合併して滋賀中央信用金庫になった。
長浜信用金庫
1923年10月11日、産業組合法により長浜町錦64(後の長浜市大宮町7-14)に有限責任長浜信用組合として開業。1925年9月、市街地信用組合に改組。1928年5月、本店を西本町4(後の元浜町2-9)に移転。1943年8月、市街地信用組合法による信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法による信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法により長浜信用金庫に改組改称。1956年12月、本店を東本町9(後の元浜町3-3)に移転。1972年5月、本店を仮店舗の元浜町2-9に移転。1973年11月、本店を東本町9(後の元浜町3-3)に新築移転した。
営業地域は、滋賀県全域である。
湖東信用金庫
1948年8月23日、市街地信用組合法により旧神崎郡八日市町大字浜野612にて八日市信用組合として設立。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組。1951年3月、本店を八日市町大字金屋616に移転。同年7月、湖東信用組合に改称。
1952年3月、信用金庫法により、湖東信用金庫に改組・改称。2003年5月、本店を東近江市青葉町1-1に移転。
営業地域は、滋賀県全域である。
京都信用金庫
1923年9月27日、有限責任京都繁栄信用組合として設立。1941年4月、市街地信用組合に改組。1950年4月、京都信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法により京都信用金庫に改組。1961年6月、京栄信用金庫を合併。1974年4月、大津市信用金庫を合併。1985年7月、京都府民信用組合を合併。1999年4月、キャラクターとしてスーパーマリオを採用した。
営業地域は、京都府京都市、亀岡市、南丹市(但し、旧北桑田郡美山町を除く)、船井郡京丹波町(但し、旧和知町を除く)、福知山市(但し、旧天田郡三和町のみ)、長岡京市、向日市、乙訓郡、宇治市、城陽市、久世郡、八幡市、京田辺市、綴喜郡、相楽郡、木津川市。滋賀県大津市、草津市、守山市、栗東市、甲賀市、湖南市、野洲市、高島市、近江八幡市(但し、旧蒲生郡安土町を除く)。大阪府三島郡、高槻市、枚方市、交野市、寝屋川市、茨木市、摂津市、守口市、門真市、大東市、四條畷市、吹田市、東大阪市である。
京都中央信用金庫
1940年6月18日、産業組合法により京都市中央市場信用組合として設立。1949年4月、市街地信用組合に改組。1950年4月、信用協同組合に改組。1951年4月、京都中央信用組合に改称。
1951年10月、京都中央信用金庫に改組・改称。1970年6月、本店を京都駅前に移転。1971年3月18日、西京都信用金庫を合併。1974年12月、本店を下京区四条通室町東入函谷鉾町91に新築移転。2001年1月4日、経営破綻した京都みやこ信用金庫及び南京都信用金庫の事業を譲受。預金量・店舗数とも全国最大の信用金庫となった。
2021年10月27日、イメージキャラクターとして『オンユアちゃん』『ゆあちゃん』が誕生した。
営業地区は、京都市、宇治市、城陽市、亀岡市、南丹市(ただし、美山町を除く)、向日市、長岡京市、八幡市、京田辺市、木津川市、京都府乙訓郡、久世郡、綴喜郡、相楽郡、船井郡京丹波町(ただし、 旧和知町を除く)、滋賀県大津市、草津市、守山市、栗東市、湖南市、野洲市、大阪府三島郡、高槻市、枚方市、茨木市、交野市、摂津市、寝屋川市、奈良県奈良市および生駒市である。
京都みやこ信用金庫(消滅)
1993年11月1日、伏見信用金庫が存続金庫として西陣信用金庫(1926年、信用組合として設立)を合併して商号変更し、京都みやこ信用金庫になった。構造的に不況であった京都の伝統産業である酒造業界の伏見信用金庫と織物業界の西陣信用金庫の合併であった。合併後、3年ほどは経費率も低下し、比較的良好な経営が続いた。
2000年1月14日、特に旧西陣信用金庫の不動産会社に対する実質の無担保融資の影響が大きく、経営破綻し京都中央信用金庫に事業譲渡した。
<参考文献>
京都地方裁判所 平成15年(ワ)第1359号
京都の地域金融 -バブル崩壊後の地方金融機関- 大霜方範 立命館大学
京都の地域金融史 -商業信用から生活信用への変化- 大森 晋 同志社大学
金融庁委託調査 金融機関の破綻事例に関する調査報告書 中北・西村教授グループ
伏見信用金庫(消滅)
1905年4月、伏見信用組合として紀伊郡伏見町上南部に開業した。
1993年11月1日、存続金庫として西陣信用金庫(1926年、信用組合として設立)を合併して商号変更し、京都みやこ信用金庫になった。
南京都信用金庫(消滅)
1922年9月、南京都信用金庫が設立。1999年より経営悪化が表面化。2000年1月14日、経営破綻を発表。2001年1月4日、京都中央信用金庫に事業譲渡した。
営業地域は、宇治市、城陽市及び相楽郡等京都府南山城全域であった。
京都北都信用金庫
1996年1月16日、北京都信用金庫が丹後中央信用金庫、網野信用金庫及び丹後織物信用組合を合併し、京都北都信用金庫となった。1998年9月、京都共栄銀行宮津支店の営業を譲受。2002年11月5日、福知山信用金庫、東舞鶴信用金庫、舞鶴信用金庫及び綾部信用金庫を合併した。
シンボルマークは「北都」の響きから北斗七星を想起し、宇宙に広がる銀河をデザイン化することで、未来に向けて躍進する姿を表現している。互いに重なり合った輪は「信頼」「ふれあい」を意味し、赤い円はお客様と信用金庫の発展を願う心が込められている。
営業地域は、京都府福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、亀岡市、京丹後市、南丹市、京都市右京区(旧北桑田郡京北町に限る)、船井郡、与謝郡、福井県小浜市、大飯郡、三方上中郡、兵庫県豊岡市、篠山市、丹波市、朝来市である。
北京都信用金庫(消滅)
1901年5月17日、保証責任宮津信用組合設立。1943年7月26日、市街地信用組合に改組。1950年4月1日、中小企業等協同組合法により信用組合に改組。1951年10月20日、信用金庫法により宮津信用金庫に改組した。
1951年年1月31日、中小企業等協同組合法により岩滝信用組合設立。1952年27年7月15日、信用金庫法により岩滝信用金庫に改組した。
1970年10月1日、宮津信用金庫及び岩滝信用金庫が合併し、北京都信用金庫と改称。1985年6月10日、本店を移転した。
1996年1月16日、北京都信用金庫が丹後中央信用金庫、網野信用金庫及び丹後織物信用組合を合併し、京都北都信用金庫となった。
網野信用金庫(消滅)
1996年1月16日、北京都信用金庫を存続信用金庫として丹後織物信用組合とともに合併した。
丹後織物信用組合(消滅)
1950年、丹後織物信用組合が設立された。
1996年1月16日、北京都信用金庫を存続信用金庫として網野信用金庫とともに合併した。
福知山信用金庫(消滅)
1922年3月7日、産業組合法に基づき福知山市鍛冶47において有限責任福知山信用組合として発足。1928年2月、中ノ21に本店を移転。
1951年10月、信用金庫法により福知山信用金庫に改組。1972年7月、裏ノに新本店を移転した。
2002年11月5日、京都北都信用金庫を存続金庫として、東舞鶴信用金庫、舞鶴信用金庫及び綾部信用金庫とともに合併した。
東舞鶴信用金庫(消滅)
1910年、有限責任新舞鶴信用組合として発足。1950年、中小企業等協同組合法による信用組合へ改組した。
1952年、信用金庫法に基づき東舞鶴信用金庫に改組した。
2002年11月5日、京都北都信用金庫を存続金庫として、福知山信用金庫、舞鶴信用金庫及び綾部信用金庫とともに合併した。
舞鶴信用金庫(消滅)
1909年、産業組合法に基づいて舞鶴信用組合として設立。1951年、信用金庫法に基づき舞鶴信用金庫に改組した。
2002年11月5日、京都北都信用金庫を存続金庫として、東舞鶴信用金庫、福知山信用金庫及び綾部信用金庫とともに合併した。本店建屋は舞鶴中央支店となった。
綾部信用金庫(消滅)
1927年2月、産業組合法に基づく綾部信用組合として綾部町役場内に開設。1945年4月、市街地信用組合法により、綾部信用組合に改組。
1951年、信用金庫法により綾部信用金庫に改組。1961年、駅前通りに本店を新築した。
2002年11月5日、京都北都信用金庫を存続金庫として、東舞鶴信用金庫、福知山信用金庫及び舞鶴信用金庫とともに合併した。本店建屋は綾部中央支店となった。
(参考文献:綾部市史下巻 綾部市史編さん委員会 1979年3月)
大阪信用金庫
1920年2月12日、保証責任大阪信用組合として設立。同年同月20日、大阪市南区内安堂寺町1丁目において開業。1936年3月2日、本店を現日本橋支店に新築移転。1943年7月22日、市街地信用組合法により、大阪信用組合に改称した。
1951年10月20日、信用金庫法により大阪信用金庫に改称。1970年5月18日、本店を大阪市天王寺区上本町8に新築移転。1992年10月1日、東洋信用金庫の本店営業部及び鶴見支店の業務を譲受した。
1997年10月6日、三和信用金庫と合併して新たに大阪信用金庫となった。1999年11月29日、不動信用金庫の事業を譲受。2002年3月25日、大阪第一信用金庫の事業を譲受。同年6月10日、相互信用金庫の事業を譲受。2004年10月12日、南大阪信用金庫を合併し大阪府下最大の信用金庫となった。その後、一時、大阪シティ信用金庫に首位の座を明け渡したが、預金量・貸出量とも大阪府下一位に返り咲いた。
営業地域は、大阪府大阪市・東大阪市・八尾市・大東市・守口市・門真市・堺市・松原市・藤井寺市・ 羽曳野市・柏原市・寝屋川市・四條畷市・豊中市・池田市・箕面市・茨木市・ 高槻市・吹田市・摂津市・枚方市・交野市・富田林市・河内長野市・大阪狭山市・ 高石市・泉大津市・和泉市・岸和田市・貝塚市・泉佐野市・泉南市・阪南市・ 忠岡町・熊取町・田尻町・岬町、兵庫県尼崎市・伊丹市、和歌山県紀の川市 《除く貴志川町・旧那賀町(名手上・平野・名手下・西野山・江川中・切畑・穴伏・名手市場・名手西野・藤崎・後田・王子・赤沼田・横谷・麻生津中・北桶・西脇)》・岩出市である。
南大阪信用金庫(消滅)
2001年11月12日、泉陽信用金庫を存続金庫として泉州信用金庫を合併し、南大阪信用金庫になった。
2004年10月12日、大阪信用金庫に合併した。
泉陽信用金庫(消滅)
1977年4月1日、堺市信用金庫と阪南信用金庫が合併して泉陽信用金庫となった。
1981年10月1日、泉大津信用金庫、春木信用金庫、岸和田信用金庫が合併して泉州信用金庫となった
2001年11月12日、泉陽信用金庫を存続金庫として泉州信用金庫を合併し、南大阪信用金庫になった。
相互信用金庫(消滅)
1922年5月11日、相互金融信用組合として開業した。
1952年10月、信用金庫法により大阪相互信用金庫に改組した。
1955年9月、相互信用金庫に改称した。1969年4月、明治信用金庫を合併。2002年1月25日、業務及び財産の管理を命ずる処分を受けた。2002年6月10日、大阪信用金庫に事業を譲渡した。
営業地域は、大阪市、豊中市、守口市、大東市、東大阪市、八尾市、吹田市、摂津市、門真市、堺市、寝屋川市、松原市、羽曳野市、藤井寺市、枚方市、交野市、四条畷市、高石市、茨木市、池田市、箕面市、南河内郡美原町、大阪狭山市、柏原市、富田林市、高槻市、和泉市、泉大津市、河内長野市、尼崎市、伊丹市であった。
大阪厚生信用金庫
1922年9月9日、産業組合法に基づき、大阪市北区木幡町にて大阪厚生信用組合として開業。1948年5月、北区堂島に本店を移転。
1951年10月、信用金庫法に基づき、大阪厚生信用金庫に改組・改称。1953年9月、本店を南区(後の中央区)東清水町に移転。1973年1月、本店を南区(後の中央区)日本橋に移転した。
事業地区は、大阪府 大阪市、守口市、門真市、寝屋川市、東大阪市、松原市、大東市、四條畷市、豊中市、八尾市、吹田市、 藤井寺市、羽曳野市、堺市、枚方市、交野市、柏原市、富田林市、摂津市、大阪狭山市、箕面市、高槻市、 枚方市である。
大阪シティ信用金庫
2013年11月5日、大阪市信用金庫を存続会社として大阪東信用金庫及び大福信用金庫と合併し、大阪シティ信用金庫になった。合併当初は、大阪府下最大の預金量となる信用金庫であった。
ロゴマークは、英文筆記体の「O」と「City」を組み合わせて、水都大阪の川の流れを連想させる伸びやかさと、 顧客との豊かな交わりを表現している。 さらに、大阪全体を一つの円に見立ててその中を大阪シティ信用金庫のマークで満たすことにより、 大阪全域の発展を目指すことを表現している。コーポレートカラーのさわやかなブルーは、水都大阪をイメージさせると同時に信頼感を表している。
営業地域は、大阪府大阪市、東大阪市、守口市、門真市、大東市、八尾市、寝屋川市、堺市、藤井寺市、柏原市、松原市、 羽曳野市、四條畷市、吹田市、豊中市、摂津市、茨木市、高槻市、交野市、枚方市、大阪狭山市、高石市、 箕面市、池田市、富田林市、河内長野市、和泉市、岸和田市、貝塚市、泉佐野市、泉南市、泉大津市、 南河内郡(太子町、河南町、千早赤阪村)、泉北郡(忠岡町)、泉南郡(田尻町、熊取町)、兵庫県尼崎市、伊丹市、奈良県奈良市、生駒市、生駒郡、香芝市、大和高田市、北葛城郡、葛城市である。
大阪市信用金庫(消滅)
1927年11月11日、産業組合法により大阪市昭和信用組合として設立。1931年7月、大阪市商店会連盟信用組合として設立。1946年1月、大阪市昭和信用組合と大阪市商店会連盟信用組合が合併し、大阪市民信用組合になった。1948年7月、愛隣信用組合と合併。1951年9月、本店を大阪市役所内から北浜2-2-10に移転した。
1951年10月、信用金庫法により大阪市信用金庫に改組・改称。1993年10月、東洋信用金庫から岸の里支店及び桜川支店を営業譲受。1997年11月、大阪中央信用金庫を合併した。1999年11月、不動信用金庫より市岡支店を営業譲受。2009年11月24日、本店を北浜2-5-4に新築移転した。
2013年11月5日、大阪市信用金庫を存続会社として大阪東信用金庫及び大福信用金庫と合併し、大阪シティ信用金庫になった。
営業地域は、大阪府大阪市、東大阪市、守口市、門真市、大東市、八尾市、寝屋川市、堺市、藤井寺市、柏原市、松原市、羽曳野市、四條畷市、吹田市、豊中市、摂津市、茨木市、高槻市、交野市、枚方市、大阪狭山市、高石市、箕面市、池田市、富田林市、河内長野市、和泉市、岸和田市、貝塚市、泉佐野市、泉南市、泉大津市、南河内郡(太子町、河南町、千早赤阪村)、泉北郡(忠岡町)、泉南郡(田尻町、熊取町)、兵庫県尼崎市、伊丹市であった。
大阪東信用金庫(消滅)
2005年2月14日、阪奈信用金庫を存続金庫として八光信用金庫と合併し、大阪東信用金庫になった。本店は八光信用金庫の本店を用いた。
2013年11月5日、大阪市信用金庫を存続会社として大福信用金庫とともに合併し、大阪シティ信用金庫になった。
阪奈信用金庫(消滅)
1938年11月1日、産業組合法に基づき枚岡信用販売利用組合として発足。1948年8月16日、市街地信用組合法により枚岡信用組合に改組した。
1951年10月20日、信用金庫法施行により枚岡信用金庫に改組・改称した。
1979年11月1日、枚岡信用金庫を存続金庫として東大阪信用金庫(1930年8月設立)と合併し、阪奈信用金庫になった。。1997年10月13日、 富士信用金庫(1921年1月15日設立)を合併した。
2005年2月14日、阪奈信用金庫を存続金庫として八光信用金庫を合併し、大阪東信用金庫になった。
八光信用金庫(消滅)
1948年10月8日、八尾市信用組合として設立した。
1951年、信用金庫法により八尾市信用金庫に改組・改称した。
1969年4月、小阪信用金庫(1932年12月23日設立)と合併し、八光信用金庫になった。1992年10月1日、経営破綻した東洋信用金庫から2店舗を譲受。1997年11月4日、大阪産業信用金庫(1923年3月27日設立)を合併した。
2005年2月14日、阪奈信用金庫を存続金庫として合併し、大阪東信用金庫になった。
大福信用金庫(消滅)
1930年12月、靭信用購買利用組合として設立した。1937年2月、有限責任靭信用組合に改組。1944年12月、有限責任大阪中央市場信用組合に改称した。
1951年10月、信用金庫法により大福信用金庫に改組・改称。本店は大阪中央卸売市場内であった。2013年11月5日、大阪市信用金庫を存続会社として大阪東信用金庫とともに合併し、改称して大阪シティ信用金庫になった。
営業地域は、大阪府大阪市、茨木市、摂津市、東大阪市、吹田市、豊中市、八尾市、守口市、門真市、寝屋川市であった。
永和信用金庫
1931年9月21日、有限責任山王信用組合として西成区山王町に設立。1949年12月、消費生活協同組合法により市街地信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により信用協同組合に改組。1951年10月、信用金庫法により山王信用金庫に改組した。
1958年12月、浪速区日本橋に本店を新築移転し、永和信用金庫に改称した。1989年8月、日本橋4-7-20に本店を新築落成。1992年10月1日、東洋信用金庫の事業の一部を譲受。1999年11月29日、不動信用金庫の事業の一部を譲受した。
営業地域は、大阪市、東大阪市、八尾市、松原市、藤井寺市、羽曳野市、柏原市、守口市、門真市、堺市、寝屋川市、大東市、富田林市、四条畷市、大阪狭山市である。
北おおさか信用金庫
2014年2月24日、十三信用金庫を存続信用金庫として摂津水都信用金庫と合併、改称して北おおさか信用金庫になった。合併後に本店ビルの建て替えとなったため、しばらくは茨木市西駅前町5-10の茨木大同生命ビル2階の仮店舗に本店営業部が入居していたが、摂津水都信用金庫本店の跡地に本店ビルを新築した。
シンボルマークは、北大阪から未来へ向かってトビラが開く様を漢字の「北」と「大」をモチーフで表現し、北大阪の豊かな自然をイメージした緑色と明るい未来をイメージしたオレンジ(黄色)から構成された安定感のあるスクエアの図形が、四方に拡がりをみせることで、地域に寄り添いながら、実り豊かな未来づくりに貢献できる存在感のある金融機関を目指している。
営業地域は、大阪府大阪市、茨木市、高槻市、吹田市、豊中市、箕面市、池田市、守口市、門真市、摂津市、寝屋川市、大東市、東大阪市、枚方市、八尾市、交野市、四條畷市、堺市、松原市、三島郡、豊能郡、兵庫県尼崎市、伊丹市、川西市、西宮市、宝塚市、川辺郡、京都府向日市、長岡京市、乙訓郡大山崎町である。
十三信用金庫(消滅)
1925年4月17日、産業組合法により十三に有限責任十三信用組合が設立。1950年1月、消費生活協同組合法により、市街地信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により信用協同組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法により改組し十三信用金庫に改称。1956年5月、本店を淀川区十三本町1丁目に移転。1957年7月、茨木信用金庫を吸収合併。1992年10月1日、東洋信用金庫の事業の一部を譲受した。2014年2月24日、摂津水都信用金庫と合併し、改称して北おおさか信用金庫になった。
営業地域は、大阪府大阪市、茨木市、高槻市、吹田市、豊中市、箕面市、池田市、守口市、門真市、摂津市、寝屋川市、大東市、東大阪市、枚方市、八尾市、交野市、四條畷市、堺市、松原市、三島郡(島本町)、豊能郡(能勢町、豊能町)、兵庫県尼崎市、伊丹市、川西市、西宮市、宝塚市、京都府向日市、長岡京市、乙訓郡(大山崎町)であった。
摂津水都信用金庫(消滅)
2003年3月10日、摂津信用金庫と豊中市の水都信用金庫が合併し、摂津水都信用金庫となった。2014年2月24日、十三信用金庫を存続信用金庫として合併し、改称して北おおさか信用金庫になった。
営業地域は、大阪府吹田市、高槻市、茨木市、摂津市、豊中市、箕面市、池田市、枚方市、寝屋川市、守口市、 門真市、大阪市、東大阪市、大東市、四條畷市、交野市、三島郡、豊能郡、京都府乙訓郡大山崎町、兵庫県尼崎市、伊丹市、川西市、宝塚市、川辺郡であった。
摂津信用金庫(消滅)
1951年1月、高槻信用組合設立。同年6月18日、高槻信用金庫に改組。1951年6月、吹田信用組合が設立、営業を開始。1953年5月、吹田信用金庫に改組。1966年10月1日、吹田信用金庫と高槻信用金庫が合併し摂津信用金庫が発足した。
2003年3月10日、摂津信用金庫と水都信用金庫が合併し、摂津水都信用金庫となった。
水都信用金庫(消滅)
1927年12月、保証責任豊中信用組合設立。1950年2月、豊中信用組合に改組。1952年2月、豊中信用金庫に改組した。
1951年3月、大阪文紙信用組合が営業開始。1952年6月、大阪文和信用金庫に改組・改称。1958年8月、大阪殖産信用金庫に改称した。
1994年4月18日、豊中信用金庫と大阪殖産信用金庫が合併し水都信用金庫になった。
2003年3月10日、摂津信用金庫と水都信用金庫が合併し、摂津水都信用金庫となった。
豊中信用金庫(消滅)
1927年12月、保証責任豊中信用組合設立。1950年2月、豊中信用組合に改組。1952年2月、豊中信用金庫に改組。1994年4月18日、豊中信用金庫と大阪殖産信用金庫が合併し水都信用金庫になった。
枚方信用金庫
1950年8月1日、中小企業等協同組合法により枚方信用組合として三矢村に設立。1952年6月、信用金庫法により枚方信用金庫に改組・改称。1966年7月、本店を枚方市岡東町に新築移転した。
シンボルマークは21世紀の「21」と枚方の「ひ」、信用金庫の「し」で構成し、流線型で動き出しそうなラインは21世紀への躍進と可能性を表している。
事業地区は、大阪府枚方市・寝屋川市・門真市・守口市・大東市・四条畷市・交野市・高槻市・茨木市・摂津市・吹田市・東大阪市・三島郡島本町、大阪市(中央区・北区[旧大淀区を除く]・東淀川区・淀川区・城東区・鶴見区・旭区・都島区、東成区・西区に限る)、京都府八幡市・京田辺市・相楽郡精華町、奈良県生駒市である。
奈良信用金庫
1928年9月、産業組合法により有限責任郡山町信用組合として設立。1934年3月、保証責任郡山町信用組合に改組。1938年8月、郡山町信用販売購買利用組合に改称。1944年3月、農業団体法により解散。同年4月、郡山町農業会が設立。1948年8月、信用事業を分離し、市街地信用組合法により、有限責任郡山町信用組合を設立。1950年4月、中小企業等協同組合法により、郡山町信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法により、郡山信用金庫に改組した。
1934年6月、産業組合法により有限責任奈良市信用組合として設立。1943年4月、市街地信用組合法により、奈良市信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により、奈良市信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法により、奈良市信用金庫に改組した。
1975年9月、郡山信用金庫と奈良市信用金庫が合併し、奈良信用金庫に名称変更。1980年4月、大和郡山市南郡山町に本店を新築移転した。
営業地域は、奈良県奈良市、大和郡山市、生駒市、天理市、大和高田市、橿原市、香芝市、桜井市、御所市、五條市(旧西吉野村・旧大塔村を除く)、葛城市、生駒郡、山辺郡、磯城郡、北葛城郡、京都府木津川市、京田辺市、相楽郡精華町、大阪府四條畷市、大東市、東大阪市である。
大和信用金庫
1932年1月11日、有限責任桜井町信用組合として創業。1948年7月13日、有限責任桜井町信用組合創立。1950年2月23日、中小企業等協同組合法により、桜井信用組合に改組。
1951年10月20日、信用金庫法に基づき大和信用金庫に改組。1975年11月1日、生駒信用組合を合併した。
営業地域は、奈良県桜井市、橿原市、大和高田市、御所市、五條市、天理市、奈良市、大和郡山市、生駒市、香芝市、葛城市、宇陀市、磯城郡、高市郡、北葛城郡、山辺郡、宇陀郡、吉野郡(十津川村、上北山村及び下北山村を除く)、生駒郡。三重県名張市、大阪府四条畷市、京都府相楽郡精華町、木津川市である。
奈良中央信用金庫
1948年8月、産業組合法により、田原本町信用組合が設立。1953年4月、信用金庫法により、田原本信用金庫に改組した。
1978年11月、奈良中央信用金庫に改称し、本店を田原本町704-1から田原本町132-10に移転した。
営業地域は、奈良市(旧 都祁村および月ヶ瀬村地区を除く)、生駒市、 大和郡山市、天理市、桜井市、橿原市、香芝市、大和高田市、 御所市、五條市(旧 大塔村地区を除く)、葛城市、宇陀市、 磯城郡、北葛城郡、生駒郡、高市郡の全域及び吉野郡大淀町、下市町、吉野町、東吉野村である。
新宮信用金庫
1922年4月、新宮信用組合として設立。1950年11月、勝浦信用組合を合併。1951年11月、新宮信用金庫に改組した。
1995年3月、本店を新築。2002年6月、紀南信用組合の事業を全部譲受した。
営業地域は、和歌山県新宮市、東牟婁郡一円、田辺市本宮町、奈良県吉野郡十津川村、上北山村、下北山村、三重県熊野市、南牟婁郡一円、尾鷲市、及び北牟婁郡一円、度会郡(大紀町のうち旧紀勢町を除く)、多気郡一円、松阪市飯南町、飯高町である。
きのくに信用金庫
1911年8月23日、黒江信用組合が設立。1948年4月、海南信用組合に改称。1953年4月、海南信用金庫に改組。1912年4月、箕島信用組合が設立。1953年4月、箕島信用金庫に改組。1977年1月、海南信用金庫と箕島信用金庫が合併し、南海信用金庫になった。
1925年7月、御坊町信用組合が設立。1953年4月、日高信用金庫に改組。1920年7月田辺信用組合が設立。1952年4月、田辺信用金庫に改組。1933年1月、串本信用組合が設立。1953年4月、串本信用金庫に改組。1964年8月、日高信用金庫、田辺信用金庫、串本信用金庫が合併して紀州信用金庫になった。
1922年5月、和歌山信用組合が設立。1951年10月、和歌山信用金庫に改組した。1914年4月、伊都信用組合か設立。1951年10月、伊都信用金庫に改組した。1971年4月、和歌山信用金庫と伊都信用金庫が合併して和歌山信用金庫になった。1921年2月、内海信用組合が設立。1953年4月、内海信用金庫に改組。1979年4月、和歌山信用金庫と内海信用金庫が合併して和歌山内海信用金庫になった。1989年10月、和歌山信用金庫に改称した。
1993年11月1日、紀州信用金庫を存続金庫として南海信用金庫及び和歌山信用金庫を合併して、きのくに信用金庫になった。2000年2月14日、紀北信用組合の全部事業を譲受。2008年1月15日、湯浅信用金庫を合併した。
営業地域は、和歌山県和歌山市・海南市・有田市・御坊市・田辺市(本宮町を除く)・橋本 市・紀の川市・岩出市・海草郡・伊都郡・有田郡・日高郡・西牟婁郡・ 東牟婁郡(串本町・古座川町)、大阪府泉南市・泉佐野市・貝塚市・阪南市・泉南郡である。
湯浅信用金庫(消滅)
1922年3月1日、湯浅信用組合が設立。1953年4月1日、湯浅信用金庫に改組した。2008年1月15日、きのくに信用金庫に合併され解散した。
営業地域は、有田郡、有田市、伊都郡(旧花園村に限る)、和歌山市、海南市であった。
神戸信用金庫
1933年9月22日、神戸第一信用組合、神戸信用組合、神戸相互信用組合、兵庫信用組合が合併し、有限責任信用組合神戸金庫となった。
1943年7月、市街地信用組合法により神戸信用組合に改称した。
1952年10月、信用金庫法により神戸信用金庫に改組。1967年8月、須磨信用金庫と合併。1973年11月、本店を中央区浪花町6に新築移転。2002年3月25日、関西西宮信用金庫から事業の一部を譲受した。
営業地域は、神戸市、明石市、芦屋市、西宮市、加古川市、加古郡、三木市、高砂市、宝塚市、三田市、小野市である。
↓以下23604は233604の誤り
関西西宮信用金庫(消滅)
1949年11月、日本相互信用協同組合として設立した。
1952年7月、信用金庫法により関西信用金庫に改組した。
1994年7月11日、西宮信用金庫と合併して関西西宮信用金庫になった。2001年11月22日、業務及び財産の管理を命ずる処分を受けた。2002年3月25日、尼崎信用金庫、神戸信用金庫、姫路信用金庫、兵庫信用金庫に事業を譲渡した。
営業地域は、神戸市、西宮市、明石市、尼崎市、芦屋市、川西市、宝塚市であった。
姫路信用金庫
1910年2月1日、産業組合法により姫路市本町に姫路信用組合として開業。1913年4月、本店を博労町94・95に移転。1924年2月、市街地信用組合を設立し、事業を継承。1936年2月、本店を本町50-3に新築移転。1943年4月、市街地信用組合法により改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により信用協同組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法により姫路信用金庫に改組・改称。1972年11月、本店を姫路市十二所前町105に新築移転。2002年3月25日、関西西宮信用金庫の事業の一部を譲受した。
営業地域は、姫路市、相生市、たつの市、加古川市、高砂市、赤穂市、明石市、西脇市、三木市、小野市、加西市、神戸市、芦屋市、西宮市、三田市、宍粟市、朝来市、加東市、神崎郡、揖保郡、加古郡、赤穂郡、佐用郡である。
播州信用金庫
1930年12月26日、有限責任姫路相互信用組合が姫路市本町1に設立。1931年2月、本店を本町30に移転。1934年10月、本店を光源寺前町10に移転。1946年12月、同地に本店を新築。1950年4月、中小企業等協同組合法により信用協同組合に改組した。
1951年10月20日、信用金庫法により、播州信用金庫に改組・改称した。1955年10月、相生信用金庫を合併。1959年2月、本店を光源寺前町15に移転。1982年9月、本店を南駅前町110に新築移転。2007年12月、神戸本部ビルを新築した。
営業地域は、姫路市、加古川市、たつの市、西脇市(うち黒田庄町除く)、高砂市、相生市、明石市、赤穂市、神戸市、加西市、芦屋市、西宮市、宝塚市、伊丹市、尼崎市、小野市、三木市(うち吉川町除く)、加古郡、揖保郡、神崎郡、赤穂郡、佐用郡、宍粟市山崎町、大阪市西淀川区、大阪市淀川区、豊中市である。
兵庫信用金庫
1931年1月12日、網干信用販売組合が設立。1951年10月20日、網干信用金庫に改組。1934年6月、播磨信用組合が設立。1951年10月20日、播磨信用金庫に改組。1964年2月、飾磨信用金庫と網干信用金庫が合併し、飾磨信用金庫となった。1965年7月、播磨信用金庫と赤佐信用金庫と合併し播磨信用金庫になった。1972年5月、はりま信用金庫に改称した。
1974年4月、はりま信用金庫と神和信用金庫が合併し、兵庫信用金庫になった。2002年3月25日、関西西宮信用金庫より一部店舗を譲受した。
営業地域は、姫路市、たつの市、加古川市、高砂市、赤穂市、相生市、加西市、明石市、小野市、三木市(旧美嚢郡吉川町を除く)、
三田市、神戸市、芦屋市、西宮市、尼崎市、宍粟市、揖保郡、赤穂郡、佐用郡、加古郡、神崎郡である。
尼崎信用金庫
1921年6月6日、有限責任尼崎信用組合が開業(5月5日認可、24日設立)。1943年7月、市街地信用組合法により、尼崎信用組合に改称。
1951年10月、信用金庫法により、尼崎信用金庫に改組・改称。1965年3月、第一貯蓄信用金庫を合併。1974年4月、浪速信用金庫と合併し、尼崎浪速信用金庫になった。
1989年4月、尼崎信用金庫に改称。新本店が竣工。2002年3月25日、関西西宮信用金庫の一部を譲受した。
営業地域は、兵庫県尼崎市、伊丹市、川西市、宝塚市、西宮市、芦屋市、神戸市、三田市、三木市、丹波篠山市、加東市、明石市、猪名川町。大阪府大阪市、池田市、豊中市、箕面市、吹田市、摂津市、茨木市、高槻市、東大阪市、守口市、 門真市、大東市、八尾市、堺市、松原市、藤井寺市、羽曳野市、富田林市、大阪狭山市、 河内長野市、柏原市、寝屋川市、四條畷市、高石市、泉大津市、和泉市、枚方市、岸和田市、 能勢町、豊能町、忠岡町である。
(注意:紙幣封筒に糊付け左とじ・右とじ、ゴチック体右詰・明朝体中央寄せ、フラップ部V・両舟底等の違いがあるのは、印刷会社の違いによるものであり、印刷時期とはあまり関係がない。)
日新信用金庫
1921年2月18日、有限責任明石信用組合として設立。
1951年10月、信用金庫法により、明石信用金庫に改組・改称。1975年4月、三木信用金庫及び新港信用金庫と合併し、日新信用金庫になった。2002年5月、神栄信用金庫の経営破綻により事業を譲受した。
シンボルマークは、軽快に明るく飛躍・発展する頭文字Nをデザイン化し、 海のブル-と山野の緑、太陽の明るい輝きを表現している。
営業地域は、尼崎市・伊丹市・宝塚市・西宮市・芦屋市・三田市・神戸市・明石市・淡路市(旧淡路町、旧東浦町、旧北淡町、旧津名町に限る)・洲本市(旧洲本市に限る)・三木市・加東市・西脇市(旧西脇市に限る)・小野市・加西市・加古郡・加古川市・高砂市・姫路市(旧姫路市に限る)である。
淡路信用金庫
1935年3月、瀧川福市らは、保証責任信用組合洲本金庫を設立するため75名の青年同志と1日1銭貯金を実施。1937年6月10日、津名郡洲本町下清水乙377番地において産業組合法に基づく保証責任信用組合洲本金庫を設立。1943年7月、市街地信用組合法により洲本市信用組合に改組・改称。1947年8月、淡路信用組合に改称した。
1952年10月、信用金庫法により淡路信用金庫に改組・改称。1955年4月、淡州信用金庫と合併。1973年6月、本店を洲本市宇山3-5-25に新築移転した。
営業地域は、洲本市、淡路市、南あわじ市、神戸市、明石市、西宮市、芦屋市、加古川市、
高砂市、尼崎市、稲美町、播磨町、三木市である。
但馬信用金庫
1924年8月1日、産業組合法により有限責任信用組合豊岡同栄社設立。1925年1月、産業組合法により有限責任豊岡信用組合に改称。1949年6月、市街地信用組合法により豊岡信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づき豊岡信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法により但馬信用金庫に改組。1954年7月、南但信用金庫を吸収合併。1957年6月、出石信用金庫を吸収合併。1974年12月、本店を豊岡市中央町17-8に新築移転。1986年10月、八鹿信用金庫と合併した。
営業地域は、兵庫県豊岡市・養父市・朝来市・美方郡・神崎郡・姫路市(旧姫路市、旧神崎郡香寺町、旧飾磨郡夢前町に限る)・高砂市・加古川市・揖保郡太子町、京都府京丹後市・福知山市である。
↓郵便番号668-0033
西兵庫信用金庫
1948年8月15日、産業組合法により保証責任山崎信用組合が設立。1949年12月、市街地信用組合法により、山崎信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により、山崎信用組合に改組。1951年8月、宍粟信用組合に改称した。
1951年12月、信用金庫法により、宍粟信用金庫に改組。1953年12月、本店を山崎96番地に新築移転した。
1972年12月、西兵庫信用金庫に改称。1979年5月、本店を山崎190番地に新築移転した。
営業地域は、宍粟市、佐用郡佐用町、揖保郡太子町、たつの市、姫路市、相生市、高砂市、加古川市、神崎郡福崎町、赤穂郡上郡町、赤穂市、加古郡播磨町・稲美町、明石市、神戸市西区である。
中兵庫信用金庫
1948年、成松商工業組合が設立。1950年、氷上郡信用協同組合に改組、のちに氷上郡協同組合に改組した。
1952年、氷上郡信用金庫に改組。1955年、氷上信用金庫に改称した。
1969年10月、多紀郡信用金庫と合併し、中兵庫信用金庫となった。1978年11月、丹波市氷上町成松226-1に本店を新築。2007年3月、三田市けやき台1丁目に三田本部が竣工した。
営業地域は、兵庫県丹波市、丹波篠山市、西脇市、加西市、小野市、三木市、 三田市、宝塚市、西宮市、神戸市、加東市、多可郡、 川辺郡、京都府福知山市である。
<参考>
但陽信用金庫
1926年6月10日、産業組合法により有限責任生野信用組合設立。1949年、市街地信用組合法により生野信用組合に改組。1950年、中小企業等協同組合法により生野信用組合に改組した。
1952年3月、信用金庫法により改組し、但陽信用金庫に改称。本店を朝来郡生野町に置く。1977年5月、加古川本部を新設。1988年5月、本店を生野町から加古川市に移転。2015年6月27日、住居表示変更により、本店所在地が溝之口539から772に変更となった。
営業地域は、加古川市、高砂市、姫路市(旧飾磨郡家島町を除く)、たつの市、加西市、三木市、小野市、西脇市、加東市、明石市、神戸市西区・垂水区、養父市、朝来市、神崎郡、加古郡、揖保郡である。