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三十三フィナンシャルグループ
2018年4月2日、三重銀行と第三銀行の持株会社である三十三フィナンシャルグループを設立した。「三十三」は、三重銀行と第三銀行のそれぞれの強みをプラス(+)することで、地域とともに成長し、活力あふれる未来の創造に貢献したいという思いを込めている。
三重銀行本店に本社を、第三銀行本店に登記上の本店を構えた。
三十三銀行
三十三銀行本店の画像がございません。お持ちのかたがいらっしゃいましたら、お問い合わせページよりご連絡いただけましたら幸いです。
2021年5月1日、第三銀行が三重銀行を合併して三十三銀行となった。
本店は、三重銀行本店を使用した。統一金融機関コードは、第二地銀ではなく、地銀としての0154を使用した。封筒のマスコットキャラクターはポムポムプリンである。
第三銀行(消滅)
1912年10月20日、熊野共融合資会社として設立。本店は三重県南牟婁郡木本町(現在の熊野市)に置いた。1916年5月30日、熊野無尽合資会社に改称した。
1927年7月24日、三重無尽㈱として設立。同年12月1日、熊野無尽合資会社の業務を継承。1940年3月3日、三重勧業無尽㈱を合併。1944年3月27日、共融無尽㈱を合併した。
1951年10月20日、相互銀行法により第三相互銀行に改称。1967年10月、本店を熊野市より松阪市に移転。
1989年2月1日、普通銀行に転換し、第三銀行に改称した。2009年9月30日、金融機能強化法により、公的資金300億円の注入を受けた。
2018年4月2日、三重銀行と第三銀行の持株会社である三十三フィナンシャルグループを設立した。
2021年5月1日、三重銀行を合併して三十三銀行となった。
収集困難度★★★★★に変更↓
三重銀行(消滅)
1895年11月15日、四日市銀行が設立した。1919年3月10日、山田銀行を合併。1921年12月15日、河曲銀行を合併。1922年3月6日、員弁銀行を合併。1927年3月15日、津農商銀行を合併。同年5月20日、小津銀行を合併。1928年6月30日、四日市貯蓄銀行を合併した。
1932年3月5日、熊澤一衛頭取(1925.12-1930.1)が社長(1928-)を兼任した伊勢電気鉄道への過剰投資が原因で、預金払戻しを停止した。取り付け騒ぎとなり休業したが、競合の参宮急行電鉄(後の近畿日本鉄道)が、伊勢電気鉄道を吸収合併し、日本興業銀行及び三井銀行の主導で整理・再建をした。1934年2月、住友銀行等の支援もあって四日市銀行は再度営業を開始した。
当時の中小銀行は、重役の関係する事業会社に大口の融資をすることが常態化しており、その事業会社が経営不振に陥る際に直ちに銀行に波及することも少なくなかった。こういった「機関銀行の弊害」の解消は1927年の金融恐慌の後、大蔵省の強い行政指導がなされた。
(昭和初期における休業銀行の再建と行政指導―四日市銀行の再建をめぐって― 櫻谷勝美)
1939年12月26日、三重銀行に改称した。1945年4月1日、伊賀農商銀行を合併。1998年5月、本店を竣工した。
2018年4月2日、三重銀行と第三銀行の持株会社である三十三フィナンシャルグループを設立した。
2021年5月1日、第三銀行に合併して三十三銀行となった。
収集困難度★★★★★に変更↓
百五銀行
1878年11月19日、旧藩士が中心となり国立銀行条例に基づく第百五国立銀行設立。1879年3月11日、津藩城代家老の藤堂高泰が初代頭取に就任し、津沢ノ上町1番地で営業を開始した。支配人は津の魚問屋、岡嘉平治が着任した。百五銀行の行章〇に×は、魚問屋の使う符丁で百を表す〇と五を表す×から成っている。
1897年7月1日、国立銀行営業満期前特別処分法により普通銀行に改組し、株式会社百五銀行に改称した。1901年、本店を津市大門町53番屋敷に構えた。1905年10月2日、亀山銀行を買収。1916年12月10日、桑名銀行を買収。1920年6月1日、尾鷲銀行及び紀北商業銀行を合併。同年12月25日、八十三銀行を合併。1921年10月10日、伊賀上野銀行を買収。1922年3月15日、吉田銀行を買収。1924年、本店を津市丸之内岩田川畔に新築移転。1925年4月1日、河芸銀行を買収。1929年12月31日、一志銀行を買収。1943年3月29日、勢南銀行を合併。同年9月1日、三重共同貯蓄銀行を合併した。
1968年、本店を津市伊予町に新築移転。1998年1月31日、イメージキャラクターとしてマーカス・フィスターのペンギンピートを採用。2000年3月21日、三重県信用組合の事業を譲受。2003年、コーポレートステートメントとしてフロンティアバンキングを制定。2015年9月24日、本店を岩田21-27に新築移転し、業務を開始。2016年1月12日、丸之内本部棟を新築し業務を開始した。
滋賀銀行
1933年10月1日、百卅三銀行と八幡銀行が合併し、滋賀銀行になった。1940年11月18日、蒲生銀行を買収。1942年8月22日、湖北銀行を買収。1933年6月25日、柏原銀行を買収。同年8月2日、滋賀貯蓄銀行を買収。1945年7月1日、近江信託株式会社を合併。1965年3月26日、信託勘定を閉鎖し信託財産を中央信託銀行に再委託した。
1988年7月、新本店が浜町1丁目に竣工。1999年4月5日、高島信用組合の事業を滋賀県信用組合と分割譲受。2016年5月、オリジナルキャラクター「しがの助」が誕生した。
2020年3月をもって、現金袋(封筒)の配布を終了した。
百卅三銀行(消滅)
1879年2月22日、第百三十三国立銀行として第六十四国立銀行から分離して犬上郡彦根白壁町13番地に設立。
1899年2月22日、営業満期国立銀行処分法により百卅三銀行として改組・改称した。1901年11月20日、彦根商業銀行を合併。1925年11月、本店を彦根町大字河原に新築移転。1927年12月25日、高島銀行を買収。1928年12月31日、寺庄銀行を合併。1929年5月1日、淡海銀行を合併した。
1881年12月12日、八幡銀行が近江八幡市鷹飼町に設立。1892年1月1日、兼営貯蓄業務を滋賀合同貯蓄銀行へ委譲。1928年8月1日、江頭農産銀行を合併した。
1933年10月1日、八幡銀行と合併し、滋賀銀行になった。
京都銀行
1941年10月1日、両丹銀行、宮津銀行、丹後商工銀行および丹後産業銀行が合併して丹和銀行となった。本店は福知山市に置いた。1942年6月20日、百三十七銀行を神戸銀行と分割買収した。同年同月27日、中丹銀行を神戸銀行と分割買収した。1943年3月14日、京都大内銀行を安田銀行と分割買収した。1950年8月8日、嵯峨信用組合の営業を譲受。
1951年1月1日、京都銀行に改称。1953年、京都市下京区烏丸通に本店を移転した。
関西みらい銀行
2017年11月14日、金融中間持株会社として、りそなホールディングスの連結子会社であり、かつ三井住友フィナンシャルグループの持分法適用会社でもある関西みらいフィナンシャルグループが設立された。2017年12月、近畿大阪銀行を完全子会社として事業を開始した。2018年4月、三井住友銀行子会社の関西アーバン銀行及びみなと銀行が新たに完全子会社となった。
2019年4月1日、関西みらいフィナンシャルグループ傘下の近畿大阪銀行と関西アーバン銀行が近畿大阪銀行を存続会社として合併し、関西みらい銀行になった。
ロゴマークは、関西みらい銀行の「みらい」の頭文字である「M」と、「未来への架け橋」をモチーフにしている。3本のラインは「お客さま」「地域社会」「変革に挑戦する銀行」を表しており、ダイナミックな曲線で表現された未来への架け橋や「人」を想起させ、関西みらい銀行と地域がともに歩み、成長していく、「人」との繋がりを大切にしているというメッセージを表現している。また、色を左から明るい緑から濃い緑を並べることで、若葉が色づいていくように未来への成長を表現している。この緑は、りそなグループとの一体感を表している。
近畿大阪銀行(消滅)
2000年4月1日、旧住友銀行系の大阪銀行を存続会社として大和銀行系の近畿銀行と合併し、近畿大阪銀行となった。本店は大阪市中央区城見1-4-27の大阪ビジネスパークに置いた。2001年2月13日、なみはや銀行より営業の大部分を分割譲受した。(一部分は大和銀行)
2001年4月、早期健全化法により、公的資金600億円の注入を受けた。
2001年12月12日、大和銀行、奈良銀行と共同で持株会社である大和銀ホールディングスを設立。2002年10月、大和銀ホールディングスはりそなホールディングスに商号変更した。
2015年6月、りそなホールディングスとして公的資金600億円を完済。同年12月1日、本店を大阪市中央区備後町2-2-1りそな銀行本社ビル内に移転。2016年5月16日、本店営業部を中央区本町2-1-6に移転した。
2017年12月、りそなホールディングスが保有する近畿大阪銀行の全ての株式を関西みらいフィナンシャルグループへ譲渡し、関西みらいフィナンシャルグループの完全子会社とった。
2018年4月1日、関西アーバン銀行及びみなと銀行と経営統合し、りそなホールディングス傘下の関西みらいフィナンシャルグループとなった。2019年4月1日、近畿大阪銀行を存続会社とし、関西アーバン銀行と合併し関西みらい銀行となった。
大阪銀行(消滅)
1950年11月24日、中小企業の育成を目的に地元財界有志により大阪市西区江戸堀下通1-53に大阪不動銀行が設立。同年12月1日、営業を開始。1957年12月1日、大阪銀行に商号変更した。本店は大阪市北区曽根崎上4-48に移転した。
1971年2月8日、大阪市西区阿波座上通1-1本店を移転した。1977年2月1日、住居表示の変更により本店所在地は大阪市西区西本町1-4-1となった。
2000年4月1日、近畿銀行を合併し、近畿大阪銀行に改称した。
近畿銀行(消滅)
1942年11月19日、大阪府内の大阪中央無尽、大阪不動無尽、交野無尽金融、関西商工無尽、金剛無尽が合併し、大阪市東区瓦町5-60に近畿無尽(株)が設立。1943年10月7日、日本殖産無尽を合併。1944年6月30日、高田無尽及び三笠無尽を合併。同年7月19日、国華無尽及び日本共立無尽を合併した。
1951年10月20日、相互銀行法の制定に伴い近畿相互銀行に商号変更。1973年10月1日、国民信用組合を合併した。1988年12月12日、本店を大阪市東区本町2-39-1から東区城見1-4-27に移転した。
1989年2月1日、合転法により普通銀行に転換し近畿銀行に商号変更。同年2月13日、区の名称変更により本店表示は東区から中央区になった。1991年10月1日、大阪復興信用組合を合併した。
2000年4月1日、大阪銀行を存続銀行として合併し、近畿大阪銀行となった。
なみはや銀行(消滅)
1998年10月1日、預金保険法附則に定める大蔵大臣による特定合併の斡旋により、福徳銀行を存続銀行として、なにわ銀行と合併し、改称してなみはや銀行になった。特定合併の成立には債務超過でないことが条件のため、福徳銀行は不良貸出先を優良な貸し出しに見せかけるために追い貸しを行った。結果として、1999年6月、なみはや銀行の頭取になった福徳銀行の頭取が特別背任容疑で逮捕され、これを契機に預金が流出。1999年8月7日、金融整理管財人による業務および財産の管理を命ずる処分を受けた。2001年2月13日、大部分は近畿大阪銀行に、一部分は大和銀行に営業を譲渡し、管理命令処分が取り消された。
福徳銀行(消滅)
1949年2月3日、大阪府に福徳殖産㈱として設立。1950年1月30日、福徳殖産無尽に改称した。
1951年10月20日、相互銀行に転換し福徳相互銀行に改称した。
1989年2月1日、普通銀行に転換し、福徳銀行に改称した。
1998年10月1日、預金保険法附則に定める大蔵大臣による特定合併の斡旋により、なにわ銀行と合併し、なみはや銀行になった。
なにわ銀行(消滅)
1939年4月26日、堺産業無尽を存続会社として大阪無尽(1916年4月6日設立)を合併し、新しく大阪無尽と改称。1940年4月26日、大阪勧業無尽(1931年12月19日設立)を合併した。
1951年10月20日、相互銀行法に基づき相互銀行に転換し、大阪相互銀行と改称した。
1990年2月1日、普通銀行に転換し、なにわ銀行に改称。1998年10月1日、預金保険法附則に定める大蔵大臣による特定合併の斡旋により、福徳銀行と合併し、なみはや銀行になった。
関西アーバン銀行(消滅)
2004年2月1日、関西銀行を存続銀行とし、関西さわやか銀行と合併し、改称して関西アーバン銀行になった。同年4月1日、本店を中央区西心斎橋に移転。2010年3月1日、びわこ銀行を合併した。
2017年11月14日、関西みらいフィナンシャルグループとして設立。2018年4月1日、近畿大阪銀行及びみなと銀行と経営統合し、りそなホールディングス傘下の関西みらいフィナンシャルグループとなった。2019年4月1日、近畿大阪銀行を存続銀行として合併し、関西みらい銀行となった。
関西銀行(消滅)
1922年7月1日、京都府相楽郡木津町に山城無尽㈱として設立。1944年3月、京都市下京区に本店を移転。1951年10月19日、関西相互銀行に商号変更。1957年1月7日、本店を大阪市南区日本橋筋に移転。1967年7月3日、本店を南区八幡町(後の中央区心斎橋筋)に移転。1989年2月1日、普通銀行に転換し関西銀行になった。1998年3月以降、不良債権による自己資本比率の低下を第三者割当増資により補った。2000年1月には、住友銀行グループの出資比率は82%となり、実質的な住友銀行の子会社であった。
2004年2月1日、関西銀行を存続銀行とし、関西さわやか銀行と合併し、改称して関西アーバン銀行になった。
関西さわやか銀行(消滅)
2001年1月25日、関西さわやか㈱が関西さわやか銀行に商号変更。同年2月5日、銀行免許を取得。同年同月26日、経営破綻した幸福銀行の受け皿銀行として大部分の営業を譲受し、管理命令処分が取り消され銀行業を開始した。同年3月31日、早期健全化法に基づき公的資金120億円の注入を受けた。2003年7月1日、関西銀行の子会社となった。2004年1月、公的資金120億円を完済した。
2004年2月1日、関西銀行を存続銀行として合併し、改称して関西アーバン銀行になった。
幸福銀行(消滅)
1926年8月28日、幸福無尽㈱として和歌山市に設立。1943年2月15日、紀伊無尽㈱(1924年8月5日設立)を合併。1951年1月25日、本店を大阪に移転した。
1951年10月20日、幸福相互銀行に商号変更した。
1989年2月1日、普通銀行に転換し幸福銀行に改称した。頴川一族による同族経営で、不動産融資により不良債権を増大させた。1998年10月26日、自主再建を断念した京都共栄銀行(筆頭株主は、頴川一族が経営する第一商店)の営業権の大半を大蔵省主導で買収。1999年5月22日、金融整理管財人による業務および財産の管理を命ずる処分を受けた。経営破綻によって受け皿銀行探しが開始され、当初は大和銀行、和歌山銀行及び奈良銀行の分割引受が浮上した。2000年9月26日、ウィルバー・ロスの率いる投資ファンドであるアジアリカバリーファンドを母体として、関西さわやか㈱として設立した。(後の関西さわやか銀行)
京都共栄銀行(消滅)
1924年6月15日、京都産業無尽㈱として設立。1940年4月30日、実業無尽㈱を合併し、昭和産業無尽㈱に改称した。
1941年1月18日、広済無尽㈱と合併し新たに昭和産業無尽㈱として設立した。
1951年10月20日、相互銀行法の施行によって昭和産業相互銀行となった。
1964年10月1日、京都相互銀行に商号を変更した。
1989年4月1日、普通銀行に転換し京都共栄銀行となった。頴川一族による経営で、京都府内を中心に敦賀市、小浜市など福井県まで店舗を広げていたが、信金王国であった府内では有力な取引先を持つことが出来なかった。不動産融資に注力したが、バブル崩壊によって不良債権となり、約150億円の債務超過に陥った。1998年10月26日、大蔵省主導により営業権の大半は同じ頴川一族が経営する幸福銀行に、府北部地域では福邦銀行及び北京都信用金庫に譲渡された。
びわこ銀行(消滅)
1925年8月23日、華実無尽㈱として滋賀県に設立。同年11月29日、興業無尽㈱として滋賀県に設立。1942年10月2日、華実無尽㈱と興業無尽㈱が合併し、滋賀無尽㈱になった。1951年10月20日、滋賀相互銀行に商号変更。1968年11月1日、本店を大津市中央4丁目に移転。
1989年2月1日、普通銀行に転換しびわこ銀行になった。2010年3月1日、関西アーバン銀行に合併した。
池田泉州銀行
2010年5月1日、池田銀行を存続会社として泉州銀行を合併し、改称して池田泉州銀行となった。
<参考 海外事務所>
池田銀行(消滅)
1951年9月1日、池田銀行が設立。同年10月1日、開業した。
2007年2月22日、大阪梅田池銀ビル竣工。2009年10月1日、泉州銀行と金融持株会社として池田泉州ホールディングスを設立。同社の子会社となった。
2010年5月1日、池田銀行を存続会社として泉州銀行を合併し、改称して池田泉州銀行になった。
泉州銀行(消滅)
1951年1月25日、泉州銀行が設立。同年2月5日、岸和田市魚屋町91-1にて開業。1953年、和歌山商工信用金庫の事業を継承。1959年、本店を宮本町26-15に移転。2001年1月、普通株による第三者割当増資650億円を実施し、三和銀行の子会社となった。2009年10月1日、池田銀行と金融持株会社として池田泉州ホールディングスを設立。同社の子会社となった。
2010年5月1日、池田銀行に合併し池田泉州銀行になった。
南都銀行
1934年6月1日、六十八銀行、吉野銀行、八木銀行及び御所銀行が合併して南都銀行を設立。1944年2月10日、大和貯蓄銀行を合併。2006年1月18日、奈良県信用組合の事業を譲受。2016年12月27日、信託業務の兼営認可を受け、翌年4月17日より業務を開始した。
紀陽銀行
1895年5月2日、紀陽貯蓄銀行が設立。同月3日、和歌山市米屋町6で営業を開始。1912年7月、本店を和歌山市本町1-35に移転した。
1922年1月1日、貯蓄業務を譲渡し普通銀行に転換し、紀陽銀行に改称。貯蓄業務部門は紀伊貯蓄銀行を新設した。1930年8月25日、四十三銀行を六行で分割買収。1936年12月9日、伊那合同銀行を買収。同月30日、和歌山銀行を買収。1937年11月10日、日高銀行の本支店土地建物等を田辺銀行と分割して買収。1941年2月11日、田辺銀行及び野上興行銀行を買収。1945年6月1日、紀伊貯蓄銀行を合併した。
1997年11月25日 、経営不安の風評が流布され、和歌山市内の複数の店舗で取り付け騒ぎが発生。数日で約3000億円の預金が流失した。
1999年5月6日、和歌山県商工信用組合の事業を譲受。2006年2月1日、和歌山銀行と共同株式移転方式により持株会社である紀陽ホールディングスを設立し、その子会社となった。2006年10月10日、紀陽銀行を存続会社として和歌山銀行を合併。同年11月13日、金融機能強化法による優先株式の引受により、公的資金が315億円注入された。
2013年9月5日、公的資金を完済。同年10月1日、紀陽銀行を存続会社として紀陽ホールディングスを合併した。
和歌山県では圧倒的なシェアを誇るが、堺市等の南大阪地域でも強い。
和歌山銀行(消滅)
1921年1月18日、和歌山無尽株式会社として設立した。
1951年10月20日、相互銀行に転換し、和歌山相互銀行に商号を変更した。
1989年2月1日、普通銀行に転換し、和歌山銀行に商号を変更。2002年1月、早期健全化法により公的資金120億円が注入。2005年12月、公的資金を完済した。
2006年2月1日、紀陽銀行と共同株式移転方式により持株会社である紀陽ホールディングスを設立し、その子会社となった。同年4月1日、本店営業部を和歌山中央支店とするなど、合併時に統廃合を行わない6店舗の内、4店舗の店舗名を合併に先行して改称。同年10月10日、紀陽銀行を存続銀行として合併し解散した。
イメージキャラクターはファイベルであった。
但馬銀行
1897年11月11日、美含(みくみ)銀行として城崎郡香住町に設立。1932年9月28日、香住銀行に商号を変更。1938年5月5日、浜坂銀行を合併。1956年1月より神戸銀行から但馬地区12店舗の営業を譲受。同年9月24日、但馬銀行に商号を変更。1983年7月、本店を香住町から豊岡市千代田町1に新築移転した。