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新潟信用金庫
1928年3月30日、地元中小商工業者の要請により、新潟市役所の一室において、産業組合法に基づき有限責任新潟市信用組合設立。1943年4月、新潟市信用組合に改組。1950年1月、新潟市古町通四番町632に本店を移転。1950年4月、新潟信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法施行により新潟信用金庫に改組。1959年8月、新潟市西堀通五番町863に本店を新築移転。1972年6月、新潟市中央区西堀通五番町855-1に新本店が落成した。
営業地域は、新潟市、新発田市、燕市、佐渡市、五泉市、阿賀野市、胎内市、西蒲原郡弥彦村、北蒲原郡聖籠町、南蒲原郡田上町である。
封筒のマスコットキャラクターは、みみちゃんファミリーである。
長岡信用金庫
1909年6月17日、有限責任同志信用組合が設立。同年7月8日、有限責任千手町信用組合が設立。1910年11月12日、有限責任長岡信用組合が創業。1912年1月19日、有限責任草生津購買信用組合が設立。1941年8月12日、有限責任長岡市合同信用組合が設立。1945年2月22日、長岡市内の同志、千手町、長岡、草生津、長岡市合同の五信用組合が合併し、長岡市信用組合を設立。同年、長岡市本町1-214に本所を移転。1946年、長岡市表町1-396甲乙に本所を新築移転。1950年4月1日、長岡信用組合に改組。
1951年10月20日、長岡信用金庫に改組。1961年、表町1-385に本店を新築移転。1975年、長岡市大手通2-4-7に本店を新築移転。1980年9月30日、栃尾信用金庫を合併した。
営業地域は、長岡市、小千谷市、十日町市(ただし、旧松代町、旧松之山町を除く)、柏崎市(ただし、大字上輪、大字高畔、大字蕨野、旧高柳町を除く)、見附市、三条市、燕市、三島郡、刈羽郡、魚沼市、南魚沼市、南魚沼郡、中魚沼郡である。
封筒のマスコットキャラクターは、ポムポムファミリーである。
三条信用金庫
1900年1月、三條成産組合(申し合わせ組合)設立。1901年3月、有限責任三條成産信用組合設立。1907年、事務所を後の本町2丁目に開設。1937年5月、保証責任三條信用組合に改組改称。1944年9月、市街地信用組合法により三條信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法により三條信用金庫に改組改称した。
1983年10月、三条信用金庫に改称し、三条市旭町2丁目に本店を新築移転した。
営業地域は、三条市、阿賀野市、新発田市、北蒲原郡聖籠町、新潟市、西蒲原郡、南蒲原郡、燕市、加茂市、五泉市、見附市、長岡市、三島郡出雲崎町、柏崎市である。
封筒のマスコットキャラクターにはアンパンマンを採用している。
新発田信用金庫
1924年7月8日、産業組合法による有限責任新発田町信用組合設立。1943年8月18日、市街地信用組合法による新発田町信用組合に改組。1947年12月9日、市制施行により新発田市信用組合に改称した。
1953年6月5日、信用金庫法に基づき新発田信用金庫に改組。1976年3月29日。本店を新発田市中央町3丁目に新築落成した。
営業地域は、新発田市、新潟市、村上市(但し、旧岩船郡朝日村、同山北町を除く)、阿賀野市、胎内市、北蒲原郡、岩船郡関川村、東蒲原郡阿賀町である。
柏崎信用金庫
1924年 1月 7日、産業組合法により有限会社柏崎信用組合として設立。1934年 4月20日、保証責任柏崎信用組合に組織変更。1945年 7月24日、市街地信用組合法により改組。1950年 4月 1日、中小企業等共同組合法により改組した。
1951年12月10日、信用金庫法により柏崎信用金庫に改組した。
営業地域は、柏崎市、長岡市(旧栃尾市・旧中之島町・旧川口町・旧山古志村を除く)、小千谷市、十日町市(旧中里村を除く)、刈羽郡全域、三島郡全域、上越市柿崎区である。
封筒のマスコットキャラクターは、ブルーナ、ピンキー、イェリーである。
上越信用金庫
1925年7月7日、有限責任直江津信用組合として設立。1944年10月25日、直江津信用組合に改組した。
1951年10月31日、信用金庫法により直江津信用金庫に改組。2004年1月19日、直江津信用金庫を存続信用金庫とし高田信用金庫を合併して上越信用金庫となった。
営業地域は、上越市、妙高市、柏崎市(米山町、大字大清水、大字大平、大字上輪新田、大字笠島、大字青海川、大字上輪、大字蕨野、大字高畔)、糸魚川市、十日町市である。
直江津信用金庫(消滅)
1925年7月7日、有限責任直江津信用組合として設立。1944年10月25日、直江津信用組合に改組した。
1951年10月31日、信用金庫法により直江津信用金庫に改組。2004年1月19日、直江津信用金庫を存続信用金庫とし高田信用金庫を合併して上越信用金庫となった。
高田信用金庫(消滅)
1917年6月26日、産業組合法により有限責任力行信用組合を設立。1918年3月14日、有限責任高田信用組合に改称した。
1923年4月23日、有限責任高田市在郷軍人信用組合を設立。
1925年10月5日、高田信用組合及び高田市在郷軍人信用組合を解散し、新たに有限責任高田興業信用組合を設立。1928年6月26日、事務所を高田市本町3丁目(後の上越市)に移転。1938年2月23日、有限責任高田市信用組合に改称。1943年7月14日、 市街地信用組合法により高田市信用組合に改組した。
1951年10月20日、信用金庫法により高田市信用金庫に改組した。
1964年9月10日、高田信用金庫に改称。2004年1月19日、直江津信用金庫を存続信用金庫として合併し、上越信用金庫となった。
新井信用金庫
1948年11月20日、新井庶民信用組合が設立。1952年5月、信用金庫法の制定に伴って、新井信用金庫に改組した。
営業地域は、新潟県妙高市、上越市(除く柿崎区、吉川区)、糸魚川市、十日町市(旧松代町、旧松之山町)及び長野県上水内郡信濃町である。
村上信用金庫
1907年11月、産業組合法に基づく有限責任村上信用組合が村上町353番地の村上銀行内に設立。1922年1月、村上町214番地に事務所を移転。1929年3月、村上町1353番地に事務所を新築移転。1935年1月、保証責任村上信用組合に改組。1938年9月、産業組合法により保証責任村上信用販売購買利用組合に改組。1944年3月、農業団体法制定により組合を解散。1944年4月、農業団体法に基づき信用事業を行う村上農業會を設立。1948年7月、産業組合法に基づく村上信用組合として改組。1949年11月、消費生活協同組合法に基づき市街地信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づき信用協同組合に改組した。
1952年12月、信用金庫法に基づき村上信用金庫に改組。1965年8月、本店を新築落成した。
営業地域は、新潟県村上市、新発田市(旧豊浦町は除く)、新潟市(旧新津市、旧白根市、旧黒埼町、旧小須戸町、旧横越町、旧亀田町、旧岩室村、旧西川町、旧巻町、旧味方村、旧潟東村、旧月潟村、旧中之口村は除く)、胎内市、岩船郡、北蒲原郡聖籠町。及び山形県鶴岡市(旧温海町のみ)、西置賜郡小国町である。
加茂信用金庫
1952年7月、新潟県商工組合加茂支所を母体として加茂信用組合設立した。
1954年4月1日、信用金庫法により加茂信用組合から事業を承継し、加茂信用金庫として改組し業務を開始。1966年10月24日、加茂市本町1丁目に新本店が竣工し、営業を始めた。
マスコットキャラクターは、がまぐちさんちである。
営業地域は、加茂市、新潟市、阿賀野市、五泉市、燕市、三条市、南蒲原郡田上町、東蒲原郡阿賀町である。
甲府信用金庫
1918年5月4日、産業組合法に基づく有限責任甲府信用組合設立、甲府商業会議所内(甲府市錦町)に事務所を開設。1932年6月、組合事務所を甲府市春日町に移転。1943年8月、市街地信用組合法に基づく甲府信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づく甲府信用組合に改組。1951年6月、橘町支所を本店に変更した。
1951年10月、信用金庫法に基づき甲府信用金庫に改組、改称。1968年5月、本店を甲府市丸の内2-17-6に新築移転した。2015年9月24日、本店を甲府市丸の内2-33-1に新築移転した。
営業地域は、甲府市、甲州市、山梨市、韮崎市、南アルプス市、甲斐市、笛吹市、北杜市、中央市、中巨摩郡(昭和町)、西八代郡(市川三郷町)、南巨摩郡(富士川町、早川町、身延町、南部町)、南都留郡(富士河口湖町精進、本栖、富士ヶ嶺)である。
山梨信用金庫
1926年11月16日、産業組合法による有限責任共立信用組合として創立。1930年2月、有限責任信用組合共立金庫に名称変更。1933年3月、有限責任商工信用組合に名称変更、甲府市柳町98番地に移転。1943年7月、甲府商工信用組合に名称変更した。
1951年12月、信用金庫法による甲府商工信用金庫に改組。1965年7月、本店事務所を甲府市中央一丁目に新築移転した。2002年7月15日、大月信用金庫と合併し、山梨信用金庫に名称変更した。
シンボルマークは、山梨の誇る名水。その透き通る水滴に映る、青い空と二筋の白い雲。二筋の雲は勢いよく上方へ伸びながら、互いに交じり合い、山梨信用金庫の「y」を形作っている。顧客と山梨信用金庫の未来へ向かうコミュニケーションを表し、透明な水滴はクリーンなイメージを、また、清々しいブルーは若さと、新しい力を表現している。マスコットキャラクターは、ぴょん太くんである。
営業地域は、山梨県全域、神奈川県相模原市、東京都八王子市、町田市である。
長野信用金庫
1923年7月、産業組合法による有限責任長野市庶民信用組合が設立。同年9月1日、長野市若松町の旧長野市役所内で業務を開始。1924年4月、本店事務所を長野市東町149-4に移転。1943年4月、市街地信用組合法による市街地信用組合に改組。同年11月本店事務所を長野市大門町542-1に移転。1948年12月、長野信用組合に名称変更した。
1951年10月、信用金庫法制定により改組、長野信用金庫となる。1952年5月、篠ノ井信用組合の事業を譲受。1962年7月、本店を大門町に新築。1978年9月、本店を居町に新築移転。2002年8月5日、上田商工信用組合の事業の一部を譲受した。
封筒のキャラクターには、アンパンマンを採用している。
営業地域は、長野県長野市、上田市、須坂市、小諸市、中野市、飯山市、千曲市、佐久市(除く旧南佐久郡臼田町)、東御市、北佐久郡、小県郡、埴科郡、上高井郡、下高井郡、上水内郡、下水内郡。新潟県妙高市(除く旧新井市)である。
松本信用金庫
1922年2月、松本市役所内に有限責任松本信用組合設立。1929年9月、本店社屋を松本市大名町72に新築。1933年1月、保証責任松本信用組合に改組。1943年4月、市街地信用組合法による松本信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法による松本信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法による松本信用金庫に改組。1971年10月、松本市丸の内1-1に本店を新築落成した。
封筒に使用しているキャラクターは犬のジョン君である。
シンボルマークは、松本信用金庫のヘッド文字「マ」をモチーフに、親愛・愛情を意味するバラの花をシンボライズして、地域への思いを表している。
営業地域は、松本市、岡谷市、諏訪市、伊那市、大町市、茅野市、塩尻市、安曇野市、諏訪郡、上伊那郡(除く飯島町・中川村・宮田村)、木曽郡、東筑摩郡、北安曇郡、長野市(旧更級郡大岡村地区)、岐阜県中津川市(旧長野県木曽郡山口村地区)である。
上田信用金庫
1922年11月2日、産業組合法に基づき、有限責任上田市信用組合設立」、旧上田市役所の一室にて開業。1925年12月、本店を原町1 丁目に移転。
1951年11月、信用金庫法に基づき上田信用金庫に改組。1969年2月、本店を新築移転(上田市原町)。1999年5月、上田市材木町1丁目に本店を新築移転。2002年8月5日、上田商工信用組合の事業の一部を譲受した。
コーポレートマークの外側の円は、上田信用金庫の営業地域全体を表現し、円のUは「上田」を、そして「ゆう」の連想から「あなた=お客様」をイメージしている。円の中心に位置するSは「しんきん」のSと、上田とならぶ上田信用金庫の営業地盤である「佐久」をイメージし、さらに営業地域を横断する千曲川をシンボライズしている。
営業地域は、上田市、東御市、小諸市、佐久市、千曲市、須坂市、長野市(旧上水内郡信州新町、戸隠村、鬼無里村、中条村ならびに更級郡大岡村を除く)、南佐久郡、北佐久郡、小県郡、埴科郡、上高井郡、群馬県吾妻郡嬬恋村である。
諏訪信用金庫
1937年3月6日、産業組合法に基づき保証責任岡谷信用組合創立。1943年7月、市街地信用組合法に基づき改組。1948年10月、組合事務所として信用会館を新築竣工。1951年12月、下諏訪信用組合、諏訪市信用組合を合併して諏訪信用組合に名称変更し、岡谷市に本店を置く。
1952年1月、信用金庫法に基づき諏訪信用金庫に改組。1963年1月、岡谷市幸町に本店を新築移転。1994年10月、岡谷市郷田に本店を新築移転した。
ロゴマークは原田泰治氏のデザインで、地域の皆様に親しまれる諏訪湖に飛来する白鳥をイメージしている。
営業地域は、長野県岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村、松本市(旧四賀村・梓川村・安曇村・奈川村を除く)、塩尻市(旧楢川村を除く)、伊那市、駒ヶ根市及び上伊那郡(飯島町・中川村を除く)である。
飯田信用金庫
1925年9月、有限責任飯田町信用組合として設立。創業。1937年8月、有限責任飯田市信用組合と改称。1943年4月、飯田信用組合に改組し改称した。
1951年10月、信用金庫法により飯田信用金庫に改組し改称した。2006年9月、本町1丁目に本店を竣工。
営業地域は、長野県飯田市、伊那市、駒ヶ根市、上伊那郡、下伊那郡、木曽郡(南木曽町、大桑村)、愛知県北設楽郡豊根村、設楽町(北設楽郡旧津具村地区)、岐阜県中津川市(長野県木曽郡旧山口村地区)である。
伊那信用金庫(消滅)
1927年11月、産業組合法による有限責任伊那町庶民信用組合設立。1948年10月、市街地信用組合法による伊那信用組合に改組。1951年4月、辰野信用組合と合併。
1951年10月、信用金庫法施行にともない信用金庫に改組し、伊那信用金庫と改称。2003年7月22日、赤穂信用金庫を存続信用金庫として合併し、アルプス中央信用金庫となった。
アルプス中央信用金庫
2003年7月22日、赤穂信用金庫を存続信用金庫として伊那信用金庫と合併し、アルプス中央信用金庫となった。
ロゴマークは、郷土伊那谷を象徴するアルプスと天竜川を表現し、中央に役職員の情熱・やる気を表現した太陽を配置している。
営業地域は、長野県松本市(旧四賀村、旧安曇村、旧奈川村、旧梓川村、旧波田町を除く)、茅野市、塩尻市(旧楢川村を除く)、諏訪市、岡谷市、伊那市、駒ヶ根市、飯田市(旧上村、旧南信濃村を除く)、諏訪郡、上伊那郡、下伊那郡(松川町、高森町、大鹿村、豊丘村、喬木村)である。
赤穂信用金庫(消滅)
1950年4月、中小企業等協同組合法に基づき「赤穂信用組合」設立。1951年6月8日、赤穂信用組合として事業開始。
1952年12月、信用金庫法施行にともない信用金庫に改組し、赤穂信用金庫と改称。2003年7月22日、赤穂信用金庫を存続信用金庫として伊那信用金庫と合併し、アルプス中央信用金庫となった。
富山信用金庫
1902年4月7日、富山売薬信用組合として創業。1943年7月、富山信用組合に改称。同月、富山市信用組合を合併。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組。
1951年10月、信用金庫法施行に伴い富山信用金庫と改称。1957年7月、四方信用金庫を合併。2003年10月20日、射水信用金庫を合併。2011年2月14日、上市信用金庫を合併した。
営業地域は、富山県富山市、高岡市(旧福岡町を除く)、射水市、魚津市、滑川市、砺波市(旧庄川町を除く)、中新川郡である。
射水信用金庫(消滅)
2003年10月20日、富山信用金庫に合併した。
上市(かみいち)信用金庫(消滅)
1924年3月18日、産業組合法により有限責任上市信用組合として創業。1934年3月、 保証責任上市信用組合に変更。1936年3月、保証責任上市信用利用組合に変更。1940年8月、上市信用購買販売利用組合に変更。1944年8月、市街地信用組合法により改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組した。
1951年12月、上市信用金庫に改組。2011年2月14日、富山信用金庫に合併した。
営業地域は、中新川郡、富山市(旧八尾町、旧山田村、旧細入村を除く)、滑川市であった。
高岡信用金庫
1923年3月16日、有限責任高岡信用組合として設立。1943年7月、市街地信用組合法により改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組した。
1951年6月、信用金庫法により改組し高岡信用金庫に改称。2004年3月、福光信用金庫の事業の一部を譲受した。
2017年5月22日、本店を新築した。
営業地域は、高岡市、射水市、砺波市、富山市、氷見市、小矢部市、南砺市(ただし、旧平村、旧上平村、旧利賀村を除く)である。
新湊信用金庫
1924年5月20日、新湊信用組合設立。同年7月14日、産業組合法に基づき有限責任新湊信用組合が開業。1943年8月、市街地協同組合法により改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組した。
1952年3月1日、信用金庫法に基づき、新湊信用金庫に改組・改称した。1962年12月3日、本店を新築落成。1995年5月8日、本店隣接地に新本店を新築開店した。
営業地域は、射水市、高岡市、富山市である。
にいかわ信用金庫
2005年11月21日、新川水橋信用金庫を存続信用金庫として滑川信用金庫と合併し、にいかわ信用金庫となった。
ロゴマークの上段は、朝な夕なに仰ぎ見る立山連峰をあらわし、下段は常願寺川、早月川、黒部川の流れとその流れにより造りだされた豊かな平野をあらわし、その平野で手を携えて暮らしている人々の暮らしに貢献しようと努力する「にいかわ信用金庫」をあらわしている。
営業地域は、朝日町、入善町、黒部市、魚津市、滑川市、中新川郡、富山市(旧山田村を除く)である。
新川水橋信用金庫(消滅)
1923年9月19日、魚津町信用組合として発足。1948年5月、魚津信用組合に名称変更。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組し、新川信用組合に名称変更。1951年12月、新川信用金庫に改組。1956年5月、泊信用金庫と合併した。
1990年4月、水橋信用金庫と合併し、新川水橋信用金庫に名称変更。2005年11月21日、新川水橋信用金庫を存続信用金庫として滑川信用金庫と合併し、にいかわ信用金庫となった。
滑川(なめりかわ)信用金庫(消滅)
1906年7月6日、滑川売薬信用組合として設立。
1952年1月、信用金庫法の制定に伴い滑川信用金庫に改組。1970年7月1日、中加積信用金庫を合併。2005年11月21日、新川水橋信用金庫を存続信用金庫として合併し、にいかわ信用金庫となった。
氷見伏木信用金庫
1929年8月29日、産業組合法に基づき、有限責任氷見町信用組合設立。1944年1月13日、市街地信用組合法による有限責任氷見町信用利用組合に改組。1950年4月1日、中小企業等協同組合法により氷見信用組合に改組。1952年4月25日、信用金庫法に基づく氷見信用金庫事業免許。1955年9月13日、本店を新築した。
1948年6月14日、消費生活協同組合法による保証責任伏木信用組合設立許可。1950年4月1日、中小企業等協同組合法により伏木信用組合に改組。1951年12月17日、信用金庫法に基づく伏木信用金庫事業免許。1953年6月5日、本店を高岡市伏木湊町に移転。1972年9月14日、本店を伏木錦町に新築移転した。
1981年12月1日、氷見信用金庫を存続信用金庫として伏木信用金庫が合併し氷見伏木信用金庫が発足した。
砺波信用金庫
1929年3月1日、産業組合法により福野町1338番地にて有限責任福野町信用組合開業。1936年2月、事務所を福野町1360番地へ移転。1945年4月、市街地信用組合に改組認可。1946年7月、事務所を福野町1621の甲へ移転。1950年4月、中小企業等協同組合法による信用協同組合に改組し砺波信用組合と改称した。
1951年10月、信用金庫法の制定に伴い信用金庫に改組し砺波信用金庫と改称。1963年11月、本店を新築落成した。
事業地域は、南砺市、高岡市、砺波市、小矢部市、射水市(旧新湊市を除く)である。
石動(いするぎ)信用金庫
1914年11月27日、無限責任石動金物信用購買販売組合設立。1921年1月、無限責任石動信用購買販売組合に改組。1929年2月、有限責任石動信用組合に組織変更。1938年11月、店舗を中央町4-25に移転。1940年10月、店舗を中央町4-25に移転。1944年2月、 農業団体法に基づき信用事業を行う石動町農業会に移行。1948年8月、 産業組合法に基づき保証責任石動信用組合を再設立。1950年4月、 中小企業等信用協同組合法に基づく石動信用組合に組織変更した。
1951年12月、信用金庫法に基づき石動信用金庫に組織変更。1968年11月、本店を石動町13-13に新築移転した。
営業地域は富山県小矢部市、砺波市(旧庄川町を除く)、高岡市(旧中田町を除く)、石川県金沢市、白山市(旧美川町、旧河内村、旧吉野谷村、旧鳥越村、旧尾口村、旧白峰村を除く)、野々市市、河北郡津幡町、河北郡内灘町である。
金沢信用金庫
1908年9月1日、無限責任金沢材木町信用組合として発足。1918年7月1日、無限責任金沢戊申信用組合に改称。1920年4月1日、有限責任金沢信用組合に改組・改称。1930年4月、本店を金沢市尾張町61に移転。1944年9月、石川県信用購買組合協同会の事業譲受、金石信用組合と合併。金沢市信用組合の事業譲受、本店を南町1-1に移転。1950年4月1日、中小企業等協同組合法に基づき信用協同組合である金沢信用組合に改組した。
1951年10月1日、信用金庫法に基づき金沢信用金庫に改組。1954年5月1日、北国信用金庫を合併。1961年11月、本店を新築落成。1977年11月1日、第一信用組合を合併。1978年11月1日、石川県商工信用組合を合併。1984年11月、本店を新築落成。2000年10月、加南信用金庫を合併。2001年3月、福邦銀行金沢支店高松特別出張所の営業の一部を譲受。2002年4月22日、だいしん信用組合の営業の一部を譲受。2003年3月、経営破綻した石川銀行の営業の一部を譲受、2004年3月、福光信用金庫を合併。2012年10月9日、旧福光信用金庫の店舗を富山銀行に譲渡した。
営業地域は、石川県金沢市、小松市、加賀市、白山市、七尾市、羽咋市、かほく市、能美市、野々市市、能美郡、河北郡、羽咋郡、鹿島郡、富山県小矢部市、高岡市、砺波市、南砺市、福井県あわら市である。
福光信用金庫(消滅)
2004年3月22日、金沢信用金庫に合併した。
のと共栄信用金庫
1915年5月24日、産業組合法に基づき七尾町大手町7に無限責任七尾興産信用組合が創立発足。1922年3月、有限責任七尾興産信用販売購買組合に改称。1925年1月、購買、販売事業を廃止し、七尾興産信用組合に改称。1943年6月、市街地信用組合法により七尾市信用組合に改組。1950年4月1日、中小企業等協同組合法による信用組合に組織変更した。
1952年1月12日、信用金庫法による信用金庫に組織変更、能登信用金庫と改称。2002年2月18日、輪島信用組合の事業譲受。2003年3月、石川銀行の事業の一部を譲受。2003年11月4日、能登信用金庫と共栄信用金庫が合併し、のと共栄信用金庫となった。2005年5月23日、七尾市桧物町35に本店を新築開店した。
営業地域は、石川県七尾市、羽咋市、輪島市、珠洲市、金沢市、白山市、能美市、かほく市、野々市市、河北郡、羽咋郡、鹿島郡、鳳珠郡、能美郡。富山県氷見市である。
共栄信用金庫(消滅)
2003年11月4日、能登信用金庫を存続信用金庫として合併し、のと共栄信用金庫と改称した。
はくさん信用金庫
【はくさん信用金庫の本店画像がございません。お持ちのかたがございましたら、ご提供をお願い申し上げます。】
2020年9月7日、北陸信用金庫と鶴来信用金庫が合併して、はくさん信用金庫になった。本店は、北陸信用金庫の建屋を使用した。
営業地域は、石川県金沢市、かほく市、白山市、小松市、加賀市、能美市、野々市市、河北郡、能美郡である。
北陸信用金庫(消滅)
1951年12月17日、小松信用組合設立。信用金庫法に基づき同年12月25日、小松信用金庫に改組。
1952年3月22日、松任信用金庫設立。1964年8月8日、石川信用金庫に商号変更。
1955年1月31日、美川信用金庫設立。
1971年10月1日、石川、小松、美川信用金庫が合併し北陸信用金庫が発足。2002年4月22日、だいしん信用組合の一部店舗を譲受。
社章は、石川信用金庫の本店があった旧松任市の市花であるアサガオであった。
2020年9月7日、鶴来信用金庫と合併して、はくさん信用金庫になった。
営業地域は、石川県金沢市、かほく市、白山市、小松市、加賀市、能美市、野々市市、河北郡、能美郡であった。
鶴来(つるぎ)信用金庫(消滅)
1926年4月、有限責任鶴来信用組合として発足。1933年2月、保証責任鶴来信用利用組合に改組。1944年4月、農業団体法により鶴来農会を合併、名称を鶴来町農業会に改称。1948年7月、鶴来町農業会を解散、産業組合法に基づき保証責任鶴来信用組合を設立。1950年2月、中小企業等協同組合法の規定により信用協同組合に転換、鶴来信用組合に改組した。
1952年1月、信用金庫法により、鶴来信用金庫に改組し、本店を新築した。1965年12月、本部を金沢市に移転。1996年7月、旧鶴来町中心部の再開発に伴い本店をつるぎショッピングスクェアLet'sへ併設移転した。
2020年9月7日、北陸信用金庫と合併して、はくさん信用金庫になった。
営業地域は、石川県金沢市、小松市、白山市、加賀市、かほく市、能美市、野々市市、能美郡、河北郡であった。
興能信用金庫
1933年11月3日、産業組合法に基づく保証責任宇出津信用組合として設立。1948年、宇出津信用利用組合設立。1950年2月、中小企業等協同組合法に基づく宇出津信用組合に改組。1950年10月、興能信用組合に改称した。
1951年10月、信用金庫法に基づく興能信用金庫に改組。1984年、新しいシンボルマーク、シンボルカラー、金庫名書体、キャッチフレーズ発表。2004年2月16日、高浜信用組合を合併した。
営業地域は、鳳珠郡、鹿島郡、羽咋郡、河北郡、輪島市、珠洲市、七尾市、羽咋市、かほく市、金沢市、野々市市、白山市(但し、旧河内村、旧吉野谷村/旧鳥越村、旧尾口村、旧白峰村を除く)である。
高浜信用組合(消滅)
2004年2月16日、興能信用金庫に合併して消滅した。
福井信用金庫
1930年8月15日、産業組合法により有限責任福井信用組合設立。1943年4月、市街地信用組合法により改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組。
1951年10月、信用金庫法により福井信用金庫に改組。2001年4月16日、鯖江信用金庫ならびに福井中央信用金庫を合併。2016年2月15日、武生信用金庫を合併した。
2011年10月、ブランドマークを一新し、お客様の生活をもっと豊かなものに変えていくためのアイデアやひらめきをエクスクラメーションマーク「!」が集まった花で表現した。オレンジとレッドで元気や活力をイメージし、10 枚の花びらは様々なお客さまをあらわしている。
営業地域は、福井県福井市、鯖江市、越前市、あわら市、坂井市、勝山市、敦賀市、大野市、吉田郡、丹生郡、今立郡、南条郡である。
武生(たけふ)信用金庫(消滅)
1927年10月、三田村甚三郎が産業組合法により有限責任信用組合武生金庫として設立。1936年2月、保証責任信用組合武生金庫に改称。1950年2月、中小企業等協同組合法よより信用協同組合に転換、武生信用組合に改組した。
1952年1月、信用金庫法により信用金庫に転換、武生信用金庫に改組。1958年、本店を新築。1999年、越前市京町1丁目に本店を新築。2016年2月15日、福井信用金庫と合併し消滅した。
営業地域は、越前市、福井市、鯖江市、坂井市(旧春江町に限る)、今立郡、南条郡、丹生郡であった。
敦賀信用金庫
1932年8月22日、有限責任敦賀信用組合として設立。1948年4月、市街地信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組した。
1952年1月、信用金庫法により敦賀信用金庫に改組。1953年12月、本店を新築移転。1982年4月、本店を新築した。
営業地域は、敦賀市、小浜市、越前市(旧武生市に限る)、三方郡、三方上中郡、大飯郡、南条郡である。
小浜(おばま)信用金庫
1925年8月19日、産業組合法により有限責任小浜信用組合として設立。1935年3月、保証責任小浜信用組合に改称。1950年2月、中小企業等協同組合法により小浜信用組合に改組した。
1952年3月、信用金庫法により小浜信用金庫に改組した。
営業地域は、福井県小浜市、敦賀市、大飯郡、三方郡、三方上中郡及び京都府舞鶴市である。
越前信用金庫
1951年4月25日、大野南部信用組合として創業した。
1971年10月1日、大野信用金庫と勝山信用金庫が合併し越前信用金庫として発足した。
営業地域は、福井県大野市、勝山市、福井市、坂井市、鯖江市、越前市(旧今立郡今立町に限る)、吉田郡、今立郡、岐阜県郡上市(旧郡上郡白鳥町に限る)である。
しずおか焼津信用金庫
2019年7月16日、静岡信用金庫を存続信用金庫とし、焼津信用金庫と合併して、しずおか焼津信用金庫となった。
営業地域は、静岡市、富士市、富士宮市、沼津市(旧田方郡戸田村を除く)、三島市、焼津市、藤枝市、島田市、裾野市、御前崎市、牧之原市、駿東郡(清水町、長泉町)、榛原郡である。
静岡信用金庫(消滅)
1931年1月17日、産業組合法による有限責任静岡市信用組合設立。1931年4月16日、静岡市平屋町4番地(後の常磐町1丁目)で営業開始。1936年、札の辻町に本所を移転。1943年4月、市街地信用組合法の施行に伴い、静岡市信用組合と名称変更。1948年4月4日、静岡信用組合に改称。1949年6月、静岡市追手町に本店を移転。1950年4月、中小企業等協同組合法による信用協同組合に組織変更。
1951年10月20日、信用金庫法により改組し、静岡信用金庫に改称。1954年6月1日、清水信用組合を合併。1959年、追手町3-11に新本店ビルを新築。1982年1月、本店を静岡市葵区追手町3-11から相生町1-1へ移転した。1995年4月1日、ロゴタイプとして、しずおか信用金庫を採用しているが、正式名称は静岡信用金庫であった。
シンボルマークは 、明るく身近な企業姿勢を表現している。角の取れた四角形は、安心感と親近感を。手書きのフォルムは、くらし、かがやく星を甲骨文字で表現したものであり、同時に笑顔を表現していた。
営業地域は、静岡市、富士市、富士宮市、沼津市(旧田方郡戸田村を除く)、三島市、焼津市、藤枝市、島田市、裾野市、御前崎市(旧小笠郡浜岡町を除く)、牧之原市、駿東郡(清水町、長泉町)、榛原郡であった。
焼津信用金庫(消滅)
1908年6月23日、産業組合法により焼津生産組合を設立、屋号を「まるせい」とした。日本で唯一屋号のある金融機関であった。日本で初めての石油発動機船である富士丸など15トンと30トンの2隻を組合員に賃貸し、現在の焼津を築く礎となった。1913年12月、有限責任焼津信用購買生産組合に組織変更。1922年3月、産業組合法の改正により有限責任焼津信用購買利用組合に改組。1933年4月、保証責任焼津信用販売購買利用組合に改組。1943年8月、産業組合法により信用単営の焼津信用組合に改組。1950年8月、中小企業等共同組合法により改組し、当時の大蔵省の管轄下に入った。
1951年10月、信用金庫法により焼津信用金庫に改組・改称した。1956年5月、焼津市栄町3丁目に本店新築移転。2009年1月、本店を栄町3-5-14に新築オープンした。
コーポレートマークは、しなやかな水の流れ、豊かに広がる波紋をシンボライズ。金庫が発するささやかな心、小さな活動がやがて地域の人々の活力、喜びを呼び覚まし、うるおいの波紋を広げていくものとして表現。躍動感、リズム感のある曲線は未来に向かう前向きな意志を、幾重にも広がる波紋は暮らしの楽しみ、人と人との交流、心の輪和を表わしている。また、基調である深みを帯びたブルーは企業としての信頼感、安心感、安定感とともに水辺に点在する焼津信用金庫の地域性を表わし、またホワイトは清廉さ、真摯な企業姿勢を、レッドはあたたかさや情熱、オレンジは豊かな楽しみを表現していた。
営業地域は、静岡県焼津市、藤枝市、静岡市(除く旧蒲原町・旧由比町)、島田市、御前崎市、牧之原市、榛原郡であった。
静清(せいしん)信用金庫
1922年3月11日、有限責任信用組合静岡共同金庫創立。1923年4月、静岡市葵区両替町2丁目において営業開始。1924年3月、中町に本店移転。1927年3月、本通4丁目に本店移転。1931年2月、両替町4丁目に土地建物を取得し本店移転。1937年11月、七間町1丁目に本店移転。1940年、静岡大火により本所消失。1941年、本所を七間町1丁目の旧位置に新築復帰。1943年4月、市街地信用組合に改組、信用組合静岡共同金庫となる。同年7月23日、名称を静岡第一信用組合に変更。1945年6月、静岡市大空襲により本所焼失、本所を安東支所内に移転。1946年、本所を七間町1丁目の旧位置に新築復帰。1948年7月15日、静清信用組合に改称。1950年4月、中小企業等協同組合法施行に伴い信用協同組合に改組した。
1951年10月20日、信用金庫法に基づく信用金庫に改組、静清信用金庫に改称。1965年5月、本店を葵区昭和町2-1に本店を新築移転。1989年6月、シンボルマークを採用した。
営業地域は、静岡県静岡市、富士市、沼津市(旧戸田村を除く)、三島市、富士宮市、焼津市、藤枝市、島田市、御前崎市、菊川市、牧之原市、駿東郡(清水町、長泉町)、榛原郡である。
浜松磐田信用金庫
2019年1月21日、浜松信用金庫を存続金庫として磐田信用金庫と合併して、浜松磐田信用金庫になった。通称は、浜松いわた信用金庫である。
シンボルマークは、風を受け、力強くはためく「応援フラッグ」をモチーフとしており、顧客一人ひとりの夢を応援し、明るい未来に向かって追い風を吹かせたいとの願いが込められている。天竜川の水を思わせる深いブルーから、グリーン、イエローへと変化していくグラデーションは、「水、緑、光」が溢れる遠州地方を表現している。
営業地域は、静岡県浜松市、磐田市、袋井市、湖西市、掛川市、御前崎市、菊川市、牧之原市、島田市(旧川根町を除く)、周智郡、榛原郡吉田町、愛知県豊橋市、北設楽郡(旧設楽町を除く)である。
浜松信用金庫(消滅)
1950年4月10日、中小企業等協同組合法に基づき浜松信用組合を設立。同年5月、本店事務所を連尺町39に開設し業務を開始した。
1951年11月、信用金庫法の施行により信用金庫に改組し浜松信用金庫に改称。1952年12月、本店を伝馬町310-9に移転。1969年10月、本店を浜松市元城町114-8に新築移転した。
2019年1月21日、磐田信用金庫と合併して、浜松磐田信用金庫になった。
イメージキャラクターは、オリジナルの「はまたっち」を採用していた。
営業地域は、静岡県浜松市、磐田市、袋井市、湖西市、掛川市、御前崎市、菊川市、牧之原市、島田市(旧川根町を除く)、周智郡、榛原郡吉田町、愛知県豊橋市であった。
磐田信用金庫(消滅)
1950年4月、中小企業等協同組合法により磐田信用組合を設立。同年5月、営業開始。1951年、磐田市中泉に本所を開設。
1951年11月、信用金庫法により磐田信用金庫に改組・改称。1955年5月、磐田駅前に本店を新築。1964年8月、本店新築落成。1997年1月、シンボルマーク・ロゴを制定。2002年3月、本店を中泉578-1に新築移転落成し、4月より営業を開始した。
シンボルマークは、イニシャル「I」で構成され、 「人」「情報のアンテナ」「風通しのよい組織」「信頼と感動―変革への挑戦、創造性の発揮―という共通のビジョン」を表していた。
営業地域は、静岡県磐田市、浜松市、袋井市、掛川市、菊川市、御前崎市、牧之原市、周智郡、愛知県北設楽郡(旧設楽町を除く)であった。
沼津信用金庫
1950年4月20日、沼津信用組合を設立した。
1951年12月10日、信用金庫法により沼津商工会議所内に沼津信用金庫と改組。1964年3月16日、本店を沼津市大手町5丁目に新築落成移転。1990年11月5日、シンボルマークを改定。2008年1月15日、駿河信用金庫を合併した。
封筒イラストは田村映二氏を採用。植物性プラ袋にはオリジナルキャラクターのころろんを採用している。
営業地域は、静岡県沼津市、三島市、裾野市、富士市(旧富士川町を除く)、御殿場市、伊豆市(旧中伊豆町、天城湯ヶ島町、土肥町を除く)、伊豆の国市、駿東郡(清水町、長泉町、小山町)、田方郡函南町、神奈川県足柄下郡箱根町である。
駿河信用金庫(消滅)
1950年5月15日、駿河信用組合として設立した。
1953年6月、信用金庫法により駿河信用金庫に改組。2008年1月15日、存続金庫を沼津信用金庫とし合併した。
営業地域は、静岡県御殿場市、裾野市、沼津市、三島市、駿東郡、神奈川県足柄下郡箱根町であった。
三島信用金庫
1911年1月21日、産業組合法により有限責任三島信用組合を設立。1936年10月、本店を新築落成。1943年6月、市街地信用組合法により市街地信用組合に改組。1949年7月、中小企業等協同組合法により信用協同組合に改組。
1951年10月、信用金庫法の制定により三島信用金庫に組織変更。2002年9月、下田信用金庫2店舗の事業を譲受。2006年10月、伊豆信用金庫と合併。2011年1月11日、本店営業部を新築オープンした。
イメージキャラクターとして「みゅうくん」を採用している。
営業地域は、静岡県三島市、沼津市、富士市、御殿場市、裾野市、熱海市、伊東市、伊豆市、伊豆の国市、下田市、田方郡、駿東郡、賀茂郡、神奈川県足柄下郡である。
伊豆信用金庫(消滅)
1936年8月、産業組合法により保証責任伊東信用組合を設立。1950年2月、伊東信用組合に改組。1951年10月、伊東信用金庫に改組・改称した。
1969年7月、網代信用金庫と合併し伊豆信用金庫に改称。2002年10月15日、下田信用金庫を合併。2006年10月16日、三島信用金庫と合併して消滅した。
営業地域は、伊東市、熱海市、伊豆市、下田市、伊豆の国市、沼津市(井田及び戸田に限る)、田方郡、賀茂郡、神奈川県足柄下郡であった。
下田信用金庫(消滅)
1897年6月、下田信用組合設立。2002年9月、三島信用金庫に松崎支店と西伊豆支店の2店舗を譲渡。2002年10月15日、伊豆信用金庫を存続信用金庫として合併消滅した。
富士宮信用金庫
1933年6月5日、富士郡大宮町に有限責任大宮町信用組合を設立。1942年7月、市制施行により、有限責任富士宮市信用組合に名称変更。1943年7月、市街地信用組合法の施行により富士宮市信用組合に組織変更。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づき信用協同組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法に基づき富士宮信用金庫に組織変更。1980年4月、元城町31-15の新本店に移転し営業を開始した。
営業地域は、静岡県富士宮市、富士市、沼津市(旧田方郡戸田村を除く)、静岡市清水区、山梨県南巨摩郡(南部町)である。
島田掛川信用金庫
2019年6月24日、掛川信用金庫と島田信用金庫が合併し、島田掛川信用金庫になった。
シンボルマークはSとKの組み合わせで構成されており、「SHIMADA」「KAKEGAWA」と、「SHINYOU」「KINKO」を意味している。また、SとKが寄り添ってできる末広がりの形状は、「人」を表現しており、人を育て、人を大切にし、人を通じて社会に貢献するという思いを込めている。Sにはブルー、Kにはグリーンを使用し、ブルーは、大井川の水流をイメージし、信頼と誠実を表現。グリーンは、一面に広がる茶園をイメージし、安心感と成長を表現している。
営業地域は、静岡県掛川市、菊川市、袋井市、磐田市、浜松市(天竜区を除く)、牧之原市、御前崎市、島田市、藤枝市、焼津市、静岡市(旧蒲原町を除く)、榛原郡である。
掛川信用金庫(消滅)
1879年11月24日、資産金貸附所の中に勧業資金積立組合を設立。1892年7月8日、信用組合に改組し、掛川信用組合と改称。1901年6月24日、産業組合法による信用組合に改め有限責任掛川信用組合と称した。1936年4月27日、保証責任掛川信用組合に改組。1942年には市街地信用組合法が施行されたが、農村地域であったため市街地信用組合法の適用を受けなかった。1950年3月1日、中小企業等協同組合法による信用協同組合に組織を改め掛川信用組合に改称した。
1952年2月21日、信用金庫法が施行により、信用金庫に組織を改め掛川信用金庫に改称。1995年5月、本店を亀の甲に移転した。日本国内最古の信用金庫である。
営業地域は、静岡県掛川市、菊川市、袋井市、磐田市、浜松市(天竜区を除く)、牧之原市、御前崎市、島田市、藤枝市、焼津市、静岡市(旧蒲原町及び旧由比町を除く)、榛原郡吉田町、周智郡森町であった。
島田信用金庫(消滅)
1929年6月5日、有限責任島田町信用組合を設立。1943年7月、市街地信用組合法に基づき、島田信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づく信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法に基づき、島田信用金庫に改組。1965年11月、本店を島田市8190-1(住所表示変更により島田市本通3-2-1)に新築竣工した。
Sの字のシンボルマークは、現在をオレンジの球で、未来をレッドの球で表し、2つの球を結ぶ2本のスパイラルは、島田信用金庫とお客様を意味した。現在から未来へ、お客様とともに上昇・発展していこうとする島田信用金庫の企業姿勢を表現した。
シンボルカラーは、「信頼」を表す「しましんグリーン」を基本色に、「誠実」を意味するブルーと、「発展への可能性」を秘めたオレンジ、「躍動する未来」をイメージさせるレッドから構成した。「お客様と信頼・誠実の絆を結び、ともに躍動の未来をめざしていく」という企業姿勢を4つのカラーで表現した。
営業地域は、静岡県島田市、藤枝市、焼津市、静岡市(旧庵原郡蒲原町を除く)、掛川市、袋井市、御前崎市、菊川市、牧之原市、榛原郡であった。
富士信用金庫
1938年8月、吉原町利用信用販売購買利用組合を設立。1944年4月、吉原町農業会を設立。1948年1月、吉原町利用信用販売購買利用組合と吉原町農業会の合併により、吉原町信用利用組合として発足。1950年2月、吉原市信用組合に改組。1953年2月、信用金庫法に基づき吉原信用金庫に改組した。
1951年9月、富士信用組合を設立。1953年4月、富士信用金庫に改組した。
1971年4月、富士信用金庫と吉原信用金庫の合併により、新たな富士信用金庫となり本店を富士市御幸町に置く。1982年2月、新本店を青島町に移転竣工した。
営業地域は、富士市、富士宮市、沼津市(旧戸田村を除く)、静岡市(旧庵原郡蒲原町及び由比町のみ)である。
遠州信用金庫
1950年3月13日、中小企業協同組合法により気賀信用組合を設立。当時の引佐郡気賀町気賀73番地(後の浜松市北区細江町)に本店を設置。1952年9月、引佐郡信用組合に商号変更した。
1953年3月、信用金庫法に基づき引佐信用金庫に改組。
営業地域は、引佐郡、浜名郡、浜松市、浜北市であった。
1951年6月、中小企業協同組合法により浜名郡信用組合を設立。当時の浜名郡中野町村中野町1217番地(後の浜松市東区)に本店を設置した。
1952年6月、信用組合法に基づき浜名郡信用金庫に改組。1963年11月、浜名信用金庫に商号変更。1967年7月、本店を浜松市和田町796に移転した。
営業地域は磐田市、天竜市、浜松市、浜北市、磐田郡、浜名郡。引佐郡であった。
1971年4月、引佐信用金庫と浜名信用金庫が合併し、遠州信用金庫を設立。1973年4月、本店を浜松市中沢町81-18に移転した。
マスコットキャラクターは、えんちゃんである。
営業地域は、静岡県浜松市、磐田市、湖西市、袋井市、掛川市、周智郡および愛知県豊橋市である。
岐阜信用金庫
1924年3月、有限責任岐阜信用組合が設立。
1924年4月、有限責任信用組合岐阜信用購買組合が設立。有限責任信用組合岐阜庶民金行に改称。
1940年9月、岐阜信用組合と岐阜庶民金行が対等合併し、有限責任岐阜信用組合が発足。1943年7月、市街地信用組合法により岐阜信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法施行により同法にもとづく信用組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法の施行により岐阜信用金庫に改組。1971年6月、恵那信用金庫を合併。1965年10月、本店ビル新築落成。1979年1月、シンボルマーク採用。1979年4月、本店ビル新築落成。2001年11月、楽しいムーミン一家をイメージキャラクターに採用。2002年3月、中津川信用組合の事業を譲受した。
シンボルマークは、人と人との和を大切にする心。人と人とのふれ合い。 二つが一つになり共に限りなく躍動する。このような考えを人という文字で象徴している。
営業地域は、岐阜県岐阜市、大垣市、各務原市、羽島市、瑞穂市、本巣市、山県市、海津市、関市、美濃市、美濃加茂市、可児市、中津川市、恵那市、多治見市、土岐市、瑞浪市、郡上市、下呂市、羽島郡、本巣郡、安八郡、不破郡、養老郡、揖斐郡、加茂郡、可児郡。愛知県名古屋市、一宮市、江南市、稲沢市、清須市、北名古屋市、岩倉市、犬山市、春日井市、愛西市、弥富市、小牧市、尾張旭市、瀬戸市、日進市、豊明市、西春日井郡、丹羽郡、愛知郡、あま市、津島市、海部郡、長久手市。長野県木曽郡南木曽町及び大桑村である。
大垣西濃信用金庫
2016年1月12日、大垣信用金庫を存続金庫として、西濃信用金庫と合併し、大垣西濃信用金庫に改称した。
営業地域は、岐阜県大垣市、岐阜市、羽島市、各務原市、関市(旧武儀郡武儀町を除く)、美濃市、瑞穂市、山県市、本巣市、海津市、安八郡、不破郡、養老郡、羽島郡、揖斐郡、本巣郡、愛知県一宮市、稲沢市、清須市、北名古屋市、西春日井郡、三重県桑名市 多度町(旧桑名郡多度町地区)である。
大垣信用金庫(消滅)
1924年12月23日、有限責任大垣信用組合設立。1925年3月、大垣市郭町45-78に店舗を設置。1928年11月、郭町11-6に事務所を新築移転。1943年9月、市街地信用組合法により大垣信用組合に改組。1944年6月、郭町3-46に事務所を移転。1949年4月、御殿町1-6に事務所を新築移転。1950年4月、中小企業等協同組合法により大垣信用協同組合に改組した。
1951年10月、信用金庫法により大垣信用金庫に改組。1984年10月、恵比寿町1-1に新本店・本部ビル完成。同年11月本店を移転。2001年6月、キャラクターのプリン&モップを採用した。
2016年1月12日、大垣信用金庫を存続金庫として、西濃信用金庫と合併し、大垣西濃信用金庫に改称した。
営業地域は、岐阜県大垣市、岐阜市、羽島市、各務原市、関市(旧武儀郡を除く)、瑞穂市、本巣市、海津市、安八郡、不破郡、養老郡、羽島郡、揖斐郡、本巣郡、愛知県一宮市、稲沢市、清須市、北名古屋市、西春日井郡、三重県桑名市 多度町(旧桑名郡多度町地区)である。
↓収集困難度は★★★★★に訂正。
西濃信用金庫(消滅)
1948年4月19日、揖斐郡豊木村大野201番地に大豊富商工業協同組合として設立。1950年3月1日、ミノ大野信用組合に改組した。
1953年2月26日、信用金庫法により西濃信用金庫に改組した。2016年1月12日、大垣信用金庫を存続金庫として合併し、大垣西濃信用金庫に改称した。
シンボルマークのライトブルーの大地と中央の3本の曲線は、濃尾平野の大地に生きる揖斐・長良・木曽3川の悠久の流れを表し、この地に根づいて成長する西濃信用金庫の躍動する姿を象徴している。3本のS曲線は中央が金庫でお客様と役職員がより添って盛りたてていることを意味しており、また、信頼・誠実・サービスのスリーSを基本テーマとして絶えず新たな創造と開発につとめ、地域社会の発展に寄与する西濃信用金庫を表現していた。
マスコットキャラクターは、犬のリードくんと、アドちゃんであった。
営業地域は、岐阜市、大垣市、羽島市、各務原市、関市(旧 武儀郡武儀町、上之保村を除く)、美濃市、瑞穂市、山県市、本巣市、海津市、揖斐郡、本巣郡、不破郡、養老郡、安八郡、羽島郡であった。
高山信用金庫
1926年6月8日、有限責任高山信用組合として設立。1943年8月、市街地信用組合法施行に伴い改組。1950年4月、中小企業等協同組合法施行に伴い改組した。
1951年10月、信用金庫法により高山信用金庫に改組。1952年7月、南吉城信用組合を合併。2000年10月1日、神岡信用金庫を合併した。
封筒には、オリジナルキャラクターの、たかしんファミリーが使われていたが、2015年9月29日から、牛のイッツ・モーが使われている。
営業地域は、岐阜県高山市、飛騨市、下呂市、白川村である。
東濃信用金庫
1921年8月、産業組合法による有限責任多治見信用組合を設立。1922年1月、創業した。
1922年11月、産業組合法による有限責任豊岡信用組合を設立創業した。
1924年4月、産業組合法による有限責任駄知信用組合を設立、同年5月創業した。
1943年7月、3信用組合を市街地信用組合法により改組した。
1948年6月、市街地信用組合法による土岐津信用組合を設立。同年10月創業した。
1950年4月、4信用組合を中小企業協同組合法に基づく信用協同組合に改組した。
1951年10月、4信用組合を信用金庫法に基づく信用金庫に改組・改称した。
1952年5月、駄知信用金庫から、岐陶信用金庫に改称した。
1957年4月、旧多治見信用金庫と豊岡信用金庫が合併し、多治見信用金庫として発足。1972年9月、本店を新築開店した。1979年4月1日、多治見信用金庫、岐陶信用金庫、土岐津信用金庫が合併し、東濃信用金庫を設立発足した。2001年11月19日、瑞浪商工信用組合の事業を譲受した。
営業地域は、岐阜県多治見市、可児市、美濃加茂市、各務原市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市、岐阜市(旧羽島郡柳津町を除く),関市(旧武儀郡を除く)、下呂市のうち旧加茂郡白川町に属する区域,可児郡,加茂郡,羽島郡岐南町,羽島郡笠松町、愛知県名古屋市(東区・北区・守山区・千種区・名東区・中区・天白区・昭和区・西区)、北名古屋市,春日井市、小牧市、犬山市、瀬戸市、尾張旭市、江南市、岩倉市、一宮市(旧尾西市を除く)、長久手市、丹羽郡、西春日井郡豊山町である。
関信用金庫
1908年9月18日、有限責任関信用購買組合設立、事務所を高見町(後の本町7丁目)におく。1928年6月、有限責任関信用利用組合に名称変更。1929年3月、事務所を郷戸町(後の本町4丁目)に移転。1933年4月、保証責任に組織変更。1944年7月1日、市街地信用組合法による関信用組合に改組。1945年1月、練屋町(後の本町2丁目)に本店事務所を新築移転。1950年4月1日、中小企業等協同組合法により関信用組合に改組した。
1952年3月28日、信用金庫法に基づく関信用金庫に改組、改称。1967年3月、本店を新築。1998年9月、東貸上1丁目12番地に新本店が落成し10月より営業を開始した。
マスコットキャラクターは、カワセミのユーくん、アイちゃん、3世代の家族とペットのさかなチャッピーである。
シンボルマークのSSは関信用金庫の頭文字で、地元とのふれあいも示している。下部の波は刃物の町である関が鎌倉時代から発展し、刀匠・孫六兼元に代表される刃紋の三本杉と長良川の清流を意味し、全体として水平線に真っ赤な太陽が昇るイメージを表現して躍進する関信用金庫の姿を描いている
営業地域は、岐阜県関市、美濃市、岐阜市の一部(旧岐阜市)、美濃加茂市、各務原市の一部(旧各務原市)、可児市の一部(旧可児市)、下呂市の一部(旧益田郡金山町及び下呂町)、加茂郡川辺町、坂祝町、七宗町、白川町、富加町、羽島郡岐南町、山県市の一部(旧山県郡高富町及び美山町)、郡上市の一部(旧郡上郡八幡町、美並村、和良村、明宝村)である。
八幡信用金庫
1926年10月19日、有限責任八幡信用組合を設立。同年12月7日、八幡町橋本町913に事務所を設置。1934年3月6日、産業組合法により保証責任八幡信用組合に改組・改称。1941年3月5日、保証責任八幡信用販売購買利用組合に改称。1944年7月1日、市街地信用組合法により、保証責任八幡信用組合に改組・改称。1950年4月1日、中小企業等協同組合法により、八幡信用組合に改組・改称した。
1952年3月28日、信用金庫法により八幡信用金庫に改組・改称。1953年6月22日、本店を八幡町新町961に新築移転した。
営業地域は、岐阜県郡上市、高山市(旧荘川村),大野郡白川村、下呂市(旧金山町、馬瀬村)、美濃市、関市(旧関市)、岐阜市(旧岐阜市)、福井県大野市(旧和泉村)である。
愛知信用金庫
1951年1月16日、愛知商工信用組合として、中区伊勢町の仮営業所で開業した。
1952年1月、信用金庫法に基づき愛知信用金庫に改組。本店店舗を中区朝日町(後の錦3丁目)へ移転。1964年、錦3丁目15-25に本店ビル竣工。2010年、イメージキャラクターとして、コアラのあいちゃん、しんくんを採用した。
営業地域は、名古屋市、春日井市、小牧市、東海市、尾張旭市、刈谷市、大府市、豊明市、稲沢市(旧平和町・旧祖父江町を除く)、 豊田市(旧藤岡町・旧小原村・旧足助町・旧下山村・旧旭町・旧稲武町を除く)、知立市、津島市、岩倉市、日進市、愛西市(旧立田村・旧八開村・旧佐織町を除く)、北名古屋市、 清須市、弥富市、あま市、みよし市、長久手市、西春日井郡、愛知郡、海部郡である。
豊橋信用金庫
1921年10月、産業組合法に基づき有限責任豊橋信用組合として設立。同年11月、豊橋市上伝馬町に本店組合事務所を置いて業務を開始。1925年2月、本店組合事務所を同神明町に新築移転。1942年9月、豊橋庶民信用組合、下地信用組合と合併し、有限責任豊橋市信用組合を設立。1943年7月、市街地信用組合法に基づき豊橋市信用組合に改組。1945年6月、戦災により本店事務所を焼失。1950年4月、中小企業等協同組合法による信用協同組合に改組した。
1952年6月、信用金庫法に基づき豊橋信用金庫に改組・改称。1959年4月、本店を新築落成。1970年2月、渥美信用組合を合併。1997年1月、本店を新築落成した。
営業地域は、愛知県豊橋市、豊川市、新城市、田原市、蒲郡市、岡崎市、豊田市(旧東加茂郡稲武町地区)、北設楽郡、静岡県湖西市、浜松市である。
岡崎信用金庫
1924年7月18日、産業組合法による有限責任岡崎信用組合設立。同年8月、岡崎市菅生町にて業務を開始。1943年4月、市街地信用組合法により改組。1950年4月、中小企業等協同組合法により改組した。
1951年10月、信用組合法に基づき岡崎信用金庫に改組・改称。1952年6月、幡豆信用組合の事業を譲受。1966年7月、大成信用組合の事業を譲受。1969年3月、東海商工信用組合を合併。1975年5月、新本店を菅生町字元菅41に竣工した。
シンボルマークは、岡崎の「岡」の文字の草書体をイメージ化している。人をデザインの要素に取り入れ、人々の集う求心力の強さは、親しみのある「ヒューマン・バンク」、地域とともに歩む「コミュニケーション・バンク」を表現している。
営業地域は、愛知県全域、静岡県湖西市である。
いちい信用金庫
2003年7月7日、一宮信用金庫を存続信用金庫として、愛北及び津島信用金庫と合併して、いちい信用金庫に改称。2008年10月27日、本店を栄1丁目から若竹3丁目に新築移転した。
一位(いちい)の木は、常緑高木で秋になると赤い実をつけて生命力の強さを誇っている。質的な一位を目指し、活力に満ちた力強い金庫の姿をいちいの木のイメージに重ね、金庫の名称を「いちい信用金庫」とした。
シンボルマークは、頭文字「I」をモチーフにし、笑顔を表現している。緑は「いちい」の葉の緑で安心できるサービスを、赤は「いちい」の実の赤でお客様に接する時の情熱や真心を表している。
営業地域は、愛知県一宮市、江南市、稲沢市、岩倉市、小牧市、犬山市、春日井市、津島市、名古屋市、尾張旭市、日進市、豊明市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、あま市、長久手市、丹羽郡一円、西春日井郡(豊山町)、海部郡一円、愛知郡(東郷町)、岐阜県岐阜市、羽島市、各務原市、可児市(旧兼山町を除く)、瑞穂市、海津市(旧海津町、旧平田町)、羽島郡一円、本巣郡(北方町)、安八郡(安八町、輪之内町)、大垣市(旧墨俣町)、三重県桑名郡(木曽岬町)、桑名市(旧長島町)である。
一宮信用金庫(消滅)
1936年11月、有限責任一宮市民信用組合として発足。1943年9月、市街地信用組合法施行に伴い一宮信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法施行に伴い一宮信用協同組合に改組した。
1951年11月、信用金庫法施行に伴い一宮信用金庫に改組。1953年7月、本店を一宮市琴平町7番地に新築移転。1966年11月、本店を一宮市栄1-4-12に新築移転。2003年7月7日、一宮信用金庫を存続信用金庫として、愛北及び津島信用金庫と合併して、いちい信用金庫に改称した。
封筒のオリジナルキャラクターは、かば丸くんであった。
津島信用金庫(消滅)
本店は、1929年、津島市本町1-52-1に建築され、津島銀行本店として使用された。西洋建築におけるルネッサンス様式を基調としながらも意匠や装飾を簡略化した「復興式」と呼ばれるRC建築様式である。名古屋銀行津島支店を経て東海銀行津島支店となり、1968年より津島信用金庫本店として使用され、いちい信用金庫津島営業部を経て、一時倉庫となっていたが、地元の保存機運が高まり、2009年4月、津島市観光交流センターとなった。
本店は、その後、津島市東柳原町1-44−2に移転し、後の。いちい信用金庫津島営業部となった。
2003年7月7日、一宮、愛北、津島の3信用金庫が一宮信用金庫を存続金庫とし合併し、改称して、いちい信用金庫となった。
瀬戸信用金庫
1942年11月1日、瀬戸市内にあった東部、南部、北部、今村、赤津の5つの信用組合を合併し、瀬戸市信用組合を設立した。
1951年10月、信用金庫法に基づき、改組し瀬戸信用金庫と改称。1955年6月、本店を瀬戸市栄町36に新築。1982年11月、シンボルマークを制定。1992年11月、本店を瀬戸市東横山町119-1に新築移転。2010年1月、モリゾー・キッコロをメインキャラクターとして使用。同年4月、新キャラクター「それいけ!アンパンマン」を採用した。
営業地域は、愛知県瀬戸市、名古屋市、春日井市、小牧市、尾張旭市、豊田市、犬山市、豊明市、稲沢市、岩倉市、宮市、江南市、東海市、大府市、知立市、刈谷市、岡崎市(旧岡崎市)、安城市、日進市、知多市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、みよし市、あま市、長久手市、愛知郡、西春日井郡、丹羽郡、海部郡蟹江町・大治町、知多郡東浦町、岐阜県多治見市、土岐市である。
半田信用金庫
1931年5月1日、産業組合法による有限責任半田商工信用組合として設立。1943年9月1日、市街地信用組合法により改組し、半田商工信用組合に改称。1950年4月1日、中小企業協同組合法による信用組合に改組した。
1951年10月20日、信用金庫法により改組し、半田信用金庫と改称。1970年11月24日、本店新築移転。2001年1月4日、金庫オリジナルキャラクター「だし太郎」が誕生。2011年3月1日、金庫オリジナルキャラクター「まつりちゃん」が誕生した。
営業地域は愛知県半田市、大府市、東海市、知多市、常滑市、名古屋市(南区・緑区・熱田区・港区・瑞穂区・昭和区・中区・天白区・中川区・千種区)、知多郡、豊明市、碧南市、刈谷市、高浜市である。
知多信用金庫
1927年9月18日、産業組合法により成岩在郷軍人信用組合を知多郡成岩町(後の半田市)に設立。1937年9月27日、保証責任成岩信用組合に改称した。1951年、信用金庫法により改組、成岩信用金庫に改称した。
1952年6月15日、知多信用金庫に改称。1988年3月22日、新本店ビル完成に伴い、本店を移転。2002年3月18日、常滑信用組合の事業を譲受した。
営業地域は、半田市、常滑市、東海市、知多市、大府市、知多郡(東浦町、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町)、刈谷市、高浜市、碧南市、豊明市、名古屋市(南区、港区、緑区、熱田区、瑞穂区、天白区、昭和区、中区、中川区、千種区)である。
常滑信用組合(消滅)
1954年5月。常滑商工信用組合が設立。
1984年6月、常滑信用組合に名称変更。2001年10月19日、破綻の申出、金融整理管財人による管理処分。2002年3月18日、知多信用金庫に事業譲渡された。
事業地区は、常滑市、半田市、大府市、知多市、東海市、知多郡(南知多町、美浜町、武豊町、東浦町、阿久比町)、碧南市、刈谷市、高浜市、名古屋市(緑区、南区、瑞穂区、熱田区)であった。
豊川信用金庫
1937年11月、産業組合法による保証責任豊川町商工信用組合として創業。1944年4月、市街地信用組合法による豊川市信用組合に改組。1947年3月、豊川市豊川町久通13-5に本店を新築移転、1950年4月、中小企業協同組合法による豊川信用組合に改組した。
1951年12月、信用金庫法による豊川信用金庫に改組。1955年12月、豊川市豊川町久通80に本店新築移転。1978年1月、豊川市末広通3-34-1に本店新築移転。2000年10月、東三信用組合と合併。2002年10月15日、岡崎市民信用組合と合併した。
営業地域は、豊川市、豊橋市、岡崎市、蒲郡市、新城市、安城市、知立市、豊田市(合併新市域を除く)、田原市、西尾市(合併以前の愛知県幡豆郡幡豆町域)、愛知県額田郡、愛知県北設楽郡、静岡県湖西市である。
岡崎市民信用組合(消滅)
岡崎信用組合本店画像がございません。写真をお持ちのかたがいらっしゃいましたら、お問い合わせページよりご連絡をいただけましたら幸いです。
2002年10月15日、豊川信用金庫と合併して消滅した。
豊田信用金庫
1949年12月19日、中小企業等協同組合法に基づき西加茂郡挙母町(後の豊田市)に加茂信用組合を設立した。
1951年12月、信用金庫法により加茂信用金庫に改組。1964年9月、本店を元城町に新築移転。
1966年9月、豊田信用金庫に改称。1979年10月、新シンボルマーク「フェニックス」を決定。2008年4月、新本店グランドオープン。
営業地域は、愛知県名古屋市(昭和区、千種区、瑞穂区、南区、緑区、天白区、名東区、中区、守山区、東区、熱田区、中村区、中川区)、豊田市、岡崎市、刈谷市、安城市、知立市、豊明市、瀬戸市、尾張旭市、大府市、春日井市、日進市、西尾市、みよし市、長久手市、愛知郡、北設楽郡(設楽町)、岐阜県恵那市(上矢作町、串原)、長野県下伊那郡(根羽村)である。
碧海信用金庫
1950年10月25日、中小企業等協同組合法に基づき、碧海郡安城町(後の安城市)に碧海信用組合が創業した。
1952年1月19日、信用金庫法に基づき碧海信用金庫に改組。1963年4月22日、新本店を竣工。1993年10月13日、新本店を竣工。2010年3月、新シンボルマークを制定した。マスコットキャラクターには、スナメリのめりっとくんと仲間たちを採用している。
営業地域は、愛知県安城市、刈谷市、碧南市、岡崎市、豊田市、西尾市、知立市、高浜市、大府市、東海市、半田市、知多市、豊明市、蒲郡市、豊川市、常滑市、瀬戸市、日進市、豊橋市、尾張旭市、春日井市、名古屋市、みよし市、長久手市、愛知郡、額田郡、知多郡である。
西尾信用金庫
1913年10月1日、産業組合法に基づき西尾信用組合を愛知県幡豆郡西尾町大字天王12番地に設立。1948年8月、市街地信用組合法により西尾信用組合に改組。1950年4月1日、中小企業等協同組合法に基づき西尾信用協同組合に改組。同年7月26日、本店を愛知県幡豆郡西尾町大字本町11番地に移転した。
1951年10月20日、信用金庫法の施行により西尾信用金庫に改組。1961年4月5日、本店を西尾市永楽町3-45に移転。1980年10月13日、本店を西尾市寄住町洲田51に移転した。
事業地域は、愛知県西尾市、碧南市、安城市、蒲郡市、刈谷市、高浜市、知立市、名古屋市(緑区・南区・瑞穂区・昭和区・天白区・千種区・名東区・港区・熱田区)、大府市、東海市、豊田市(旧西加茂郡藤岡町・小原村、東加茂郡旭町・足助町・下山村・稲武町は除く。)、岡崎市、豊明市、 日進市、半田市、常滑市、知多市、額田郡幸田町、みよし市、愛知郡東郷町、知多郡一円、長久手市である。
蒲郡信用金庫
1948年4月1日、市街地信用組合法に基づき、蒲郡町本町(後の蒲郡市本町)にて蒲郡信用組合として事業を開始。1950年4月、中小企業等協同組合法による信用組合となった。
1951年10月、信用金庫法に基づき信用金庫に改組。1959年8月15日、シンボルフラワーを「ゆり」に制定。1974年6月13日、シンボルマークを制定。1980年5月、元町5-8に本店営業部を新築した。
2003年6月2日、「アンパンマン」を新イメージに採用した。2015年2月、オリジナルマスコットキャラクター「がまちゃん」を採用。同年5月7日、本店を神明町4-25に移転した。
営業地域は、愛知県蒲郡市、豊橋市、豊川市、新城市、田原市、岡崎市、安城市、西尾市、名古屋市、碧南市、高浜市、刈谷市、知立市、豊田市、額田郡幸田町、みよし市、愛知郡東郷町、長久手市、日進市、豊明市、大府市、東海市、知多郡東浦町、静岡県湖西市、浜松市(旧引佐郡三ヶ日町に限る)である。
尾西信用金庫
1951年10月3日、一宮市小信中島に蘇東商工信用協同組合設立。1954年9月、蘇東信用金庫に改組した。
同年12月、尾西信用金庫に称号変更。1976年1月、一宮市篭屋1-4-3の新本店で営業を開始した。
営業地域は、愛知県一宮市、稲沢市、江南市、岩倉市、小牧市、名古屋市西区・中区・北区・中村区・東区、愛西市、清須市、北名古屋市、あま市(旧海部郡甚目寺町・美和町)、春日井市、西春日井郡、丹羽郡、岐阜県羽島市、羽島郡(笠松町)、各務原市(旧羽島郡川島町)、岐阜市(旧羽島郡柳津町)である。
中日信用金庫
1952年1月11日、愛知県西春日井郡新川町(後の清須市土器野北中野)に西春日井信用組合を設立した。
1954年4月、信用金庫法に基づき、中日信用金庫に改組。1990年12月、本店を名古屋市北区清水2に移転した。
シンボルマークは、1973年に制定され出発の「出」、青空の下で躍動する「人間」 、中日信用金庫の「中日」 、地域社会と手をつなぐ中日信用金庫 という4つの意味をデザイン化したものである。
営業地域は、愛知県名古屋市、清須市、北名古屋市、あま市、小牧市、稲沢市(旧、中島郡祖父江町・平和町を除く。)、春日井市、尾張旭市、岩倉市、一宮市(旧、尾西市、葉栗郡木曽川町を除く。)、津島市、 瀬戸市、長久手市、日進市、東海市、江南市、弥富市(旧、弥富町を除く。)、西春日井郡豊山町、海部郡蟹江町・大治町である。
東春信用金庫
1952年3月、旧東春日井郡及び春日井市(後の小牧市・春日井市・尾張旭市・名古屋市守山区)の市町村長、商工会などが中小企業等協同組合法による東春信用組合を設立。1952年6月、小牧町(後の小牧市小牧4丁目)に本店を置き、営業を開始した。1959年4月、小牧3丁目に本店を新築移転。1962年8月、大名古屋信用組合を吸収合併し、営業地区を名古屋市一円に拡張した。
1972年10月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律により東春信用金庫に転換。1990年11月、本店を新築移転した。2014年11月25日、中央1丁目に本店を新築移転した。封筒には、金庫の花「りんどう」がレイアウトされている。
営業地域は、小牧市・春日井市・名古屋市・尾張旭市・江南市・一宮市(旧尾西市および旧木曽川町を除く)岩倉市・豊明市・犬山市・瀬戸市・日進市・清須市・北名古屋市・あま市(旧美和町を除く)・ 長久手市・愛知郡・丹羽郡・西春日井郡・海部郡大治町である。