信用金庫 -北海道・東北
信用金庫 -北海道・東北
<産業組合法の制定>
明治維新以降の日本は、資本主義による急速な産業化を進めたが、株式組織の銀行は、地方で集めた資金を、都市部の大企業や土地投機に集中的に運用したため、地域の中小零細企業や庶民は、自分達の預けた資金を利用できず、地域社会は疲弊衰退し、貧富の差が拡大し、社会の混乱が生じた。
明治政府は、こうした資本主義の弊害を是正するためには、資本の原理による株式会社の銀行ではなく、ドイツの信用組合を見習って、営業地域や融資対象を限定し、一人一票の民主的な運営原理による協同組織の金融機関を創設することこそ、中産階級の育成と庶民の生活安定のために必要であると考え、1900年に産業組合法を制定した。
<市街地信用組合の誕生>
都市の中小商工業者を対象とした信用組合のために、1917年、産業組合法が一部改正され、市街地信用組合が生まれ、さらに1943年には、単独法である市街地信用組合法が制定された。しかしながら、終戦後のGHQによる占領政策により、中央集権から地方分権への政策転換が進められ、旧市街地信用組合は、法律上中小企業等協同組合法に基づく信用協同組合とされた。しかし、この信用協同組合は、経営者の兼業禁止規定もなく、監督官庁が大蔵省から都道府県となり、都道府県への届出だけで簡単に設立できるため、「町役場の金融部門」「町の発展のための公共的金融機関」として発足した旧市街地信用組合とは経営理念、歴史、経営内容が異なる、「青果や食肉など業種別の組合」「職域組合」「民族系組合」などから派生した新しい信用協同組合が林立し、それらと同一視されることが懸念された。
<信用金庫への転換>
このため、旧市街地信用組合は、それらと一線を画すため、1951年6月に議員立法化された、信用金庫法により、新たに大蔵省直轄の協同組織金融機関制度である「信用金庫」を創設し、一斉に転換した。当時、無尽会社が相互銀行、信託会社が信託銀行と、大半が「銀行」に名称変更したのに対し、当時の信用組合の関係者は「儲け主義の銀行に成り下がりたくない」という強いプライドから「信用銀行」という案を拒否し、「金は銀よりも上」として、政府機関だけしか使っていなかった金庫という名称を許され「信用金庫」という名称となった。
したがって、信用金庫は、信用金庫法に基づいた会員の出資による協同組織の地域金融機関である。営業地域は一定の地域に限定されている。中小企業ならびに個人のための専門金融機関。大企業や営業地域外の企業・個人には融資ができないという制限があるが、これは「地域で集めた資金を地域の中小企業と個人に還元することにより、地域社会の発展に寄与する」という信用金庫の目的のためである。
なお、統一メインキャラクターは男の子の「しんちゃん」であり、一部の信用金庫の封筒に印刷されている。
信金中央金庫
起源は、1950年6月1日に創立した「全国信用協同組合連合会」である。その後、1951年11月に全国信用金庫連合会に改組し、2000年10月に現名称となった。信用金庫法に基づき、全国を地区とする信用金庫連合会は、その名称中に「信金中央金庫」を用いることが義務付けられており、また国際業務を行うことも認められている。
信用金庫の中央金融機関として、全国の信用金庫に対して経営指導や財政支援などを行い、信用金庫業界の信用力の維持・向上に努め、各信用金庫の自己資本比率の低下に対して、一旦公的資金の受け皿となるなど、信用金庫の業務機能を補完している。また、個別金融機関としても、信用金庫、政府関係機関等を取引先とし、地方営業店舗を通じて地域社会にも貢献している。さらに、金融市場において巨額の資産運用を行っており、有数の機関投資家でもある。
2007年12月、本店を中央区八重洲1丁目に移転した。
北海道信用金庫
2018年1月1日、札幌信用金庫、小樽信用金庫、北海信用金庫が合併して北海道信用金庫になった。
営業地域は、札幌市、江別市、石狩市、北広島市、千歳市、恵庭市、小樽市、苫小牧市、岩見沢市、当別町、月形町、長沼町、南幌町、新篠津村、島牧村、寿都町、黒松内町、蘭越町、ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町、京極町、倶知安町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、積丹町、古平町、仁木町、余市町、赤井川村、恵庭市、伊達市(旧伊達市を除く)、洞爺湖町(旧虻田町を除く)、豊浦町、長万部町、八雲町(旧熊石町を除く)、せたな町(旧太櫓村、大成町を除く)、今金町、夕張市、岩見沢市(旧北村を除く)、栗山町、由仁町である。
札幌信用金庫(消滅)
1921年12月、札幌・山鼻地区の産業発展のために、有限責任山鼻信用組合として設立された。 1934年10月、南札幌信用組合に名称変更。1935年11月、札幌信用組合に名称変更。1951年12月、信用金庫法により札幌信用金庫となった。1956年3月、北海信用金庫を合併。2003年1月6日、石狩中央信用金庫を合併した。
2018年1月1日、小樽信用金庫及び北海信用金庫と合併して北海道信用金庫になった。
営業地域は、札幌市、江別市、石狩市、北広島市、千歳市、恵庭市、小樽市、苫小牧市、岩見沢市、当別町、月形町、長沼町、南幌町、新篠津村であった。
↓消滅により事務用以外の収集困難度に★★★を追加
小樽信用金庫(消滅)
1922年2月、有限責任小樽市街地信用組合として設立。1922年10月、有限責任小樽市信用組合に名称変更。1950年4月、信用協同組合に転換・改組した。
1951年10月、信用金庫法に基づき、小樽信用金庫に改組。1954年7月、本店新築竣工。1980年5月、小樽市稲穂1丁目に本店がオープン。2002年3月4日、小樽商工信用組合の事業の全部を譲り受けた。
2018年1月1日、札幌信用金庫及び北海信用金庫と合併して北海道信用金庫になった。
営業地域は、小樽市、札幌市、石狩市、島牧村、寿都町、黒松内町、蘭越町、ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町、京極町、倶知安町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、積丹町、古平町、仁木町、余市町、赤井川村、北広島市、恵庭市、千歳市、江別市である。
↓消滅により収集困難度に★★★を追加
北海信用金庫(消滅)
1926年3月10日、有限責任余市信用組合として設立。1949年7月、後志信用組合に改称。1951年10月、信用金庫法に基づき、後志信用金庫に改組。1964年8月、北海信用金庫に改称。1991年9月、長万部信用金庫を合併。1997年10月、岩内信用金庫を合併。2001年10月9日、道央信用金庫ならびに夕張信用金庫を合併。2005年2月14日、古平信用金庫を合併した。
2018年1月1日、札幌信用金庫及び小樽信用金庫と合併して北海道信用金庫になった。
営業地域は、余市町、仁木町、赤井川村、倶知安町、ニセコ町、真狩村、喜茂別町、京極町、伊達市(旧伊達市を除く)、留寿都村、洞爺湖町(旧虻田町を除く)、豊浦町、古平町、積丹町、蘭越町、島牧村、寿都町、黒松内町、小樽市、札幌市、北広島市、恵庭市、千歳市、石狩市、江別市、長万部町、八雲町(旧熊石町を除く)、せたな町(旧太櫓村、大成町を除く)、今金町、岩内町、共和町、泊村、神恵内村、夕張市、岩見沢市(旧北村を除く)、苫小牧市、栗山町、由仁町、南幌町、長沼町であった。
↓消滅により収集困難度に★★★を追加
石狩中央信用金庫(消滅)
1953年11月,江別市に開業。2003年1月6日、札幌信用金庫に吸収合併された。
室蘭信用金庫
1917年9月、産業組合法に基づく、保証責任室蘭信用組合として設立。1943年、市街地信用組合法により、室蘭信用組合に改組。1950年、中小企業等組合法により、室蘭信用協同組合に改組。1951年、信用金庫法により、室蘭信用金庫に改組。2009年、本店をむろらん広域センタービル1Fに移転。
営業地域は、室蘭市、登別市、苫小牧市、千歳市、恵庭市、札幌市、伊達市、江別市、北広島市、石狩市、白老町、むかわ町、厚真町、安平町、壮瞥町、洞爺湖町、豊浦町である。
空知信用金庫
1925年1月6日、有限責任岩見沢信用組合として設立。1943年7月、市街地信用組合法に基づき岩見沢信用組合に改組。1949年8月、空知信用組合と改称。1951年10月、信用金庫法に基づき、空知信用金庫に組織変更。
営業地域は岩見沢市、月形町、当別町、新篠津村、美唄市、三笠市、栗山町、夕張市、由仁町、長沼町、南幌町、安平町、札幌市、江別市、石狩市(厚田区、浜益区は除く)、小樽市、北広島市、恵庭市、千歳市、苫小牧市である。
苫小牧信用金庫
1948年9月3日、苫小牧信用組合として設立。1950年4月、苫小牧信用協同組合に改称。1951年10月、苫小牧信用金庫に改称した。
2011年5月6日、新館に本店を、紙の街、苫小牧を表す和紙の行灯をイメージして増築建て替えした。デザイナーは東京スカイツリーのライティングデザインを手がけた戸恒浩人氏である。北海道十二季として、1月・謹賀新年、2月・銀世界、3月・雪解け、4月・サクラ、5月・春の丘、6月・新緑、7月・夏紫、8月・ひまわり、9月・コスモス、10月・紅葉、11月・冬の空、12月・クリスマスをテーマに毎月のライティング色彩で表情を変える。
営業地域は、苫小牧市、千歳市、札幌市、室蘭市、登別市、恵庭市、江別市、北広島市、石狩市、むかわ町、厚真町、安平町、占冠村、新冠町、日高町、平取町、白老町、新ひだか町である。
封筒には、マスコットキャラクターのタララが使用されている。
北門信用金庫(ほくもん)
1949年2月8日、市街地信用組合として滝川信用組合設立。1951年10月、中空知信用金庫に改組。1964年10月、新本店完成。1978年10月1日、北門信用金庫に名称変更。2001年9月17日、 富良野信用金庫より、4店舗を継承した。
営業地域は、滝川市、芦別市、赤平市、砂川市、歌志内市、深川市、岩見沢市、三笠市、美唄市、上砂川町、奈井江町、南幌町、新十津川町、浦臼町、月形町、雨竜町、妹背牛町、栗山町、由仁町、長沼町、札幌市、江別市、北広島市、恵庭市、千歳市、石狩市、当別町、新篠津村、苫小牧市、小樽市である。
伊達信用金庫
1949年9月、伊達信用組合として設立。1951年10月、信用金庫法により伊達信用金庫に改組。2008年1月21日、室蘭商工信用組合を吸収合併した。
営業地域は、伊達市(大滝区を含む)、室蘭市、登別市、白老町、苫小牧市、壮瞥町、洞爺湖町、長万部町、豊浦町、ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町である。
北空知信用金庫
1950年7月19日、中小企業等協同組合法により北空知信用組合として設立。同年8月1日に営業を開始。1952年2月1日、 信用金庫法により信用金庫に転換、北空知信用金庫に改組。1953年6月1日、本店を新築落成。1971年11月22日、地上4階地下1階の本店を深川市4条へ新築移転した。
営業地域は、深川市、滝川市、旭川市、留萌市、砂川市、妹背牛町、沼田町、幌加内町、秩父別町、北竜町、雨竜町、新十津川町、泰井江町、東川町、東神楽町、鷹栖町、比布町、当麻町、石狩市、江別市、北広島市、恵庭市、札幌市である。
日高信用金庫
1921年4月13日 、浦河信用組合として設立。1952年2月、信用金庫に転換、日高信用金庫に改組。1969年11月、本店新築落成。
営業地域は、石狩市、札幌市、江別市、北広島市、恵庭市、千歳市、苫小牧市、厚真町、むかわ町、日高町、平取町、新冠町、新ひだか町、大樹町、浦河町、広尾町、様似町、えりも町である。
渡島信用金庫(おしま)
道内の信用金庫としては、最も歴史が古く、有限責任森村信用組合として1911年5月24日に設立された。1933年2月、保証責任森町信用組合に改組。1943年11月、森町信用組合に改組。1949年11月に渡島信用組合に名称変更。1951年10月、信用金庫法の制定に伴って渡島信用金庫に改組した。
営業地域は、森町、鹿部町、八雲町、長万部町、七飯町、今金町、せたな町、豊浦町、真狩村、留寿都村、喜茂別町、北斗市、函館市、札幌市である。
封筒には、国武久巳のイラストが使われている。
道南うみ街信用金庫
2017年1月23日、江差信用金庫を存続信用金庫として函館信用金庫と合併し、道南うみ街信用金庫となった。
営業地域は、江差町、上ノ国町、厚沢部町、八雲町、乙部町、せたな町(旧瀬棚町・旧北桧山町を除く)、奥尻町、松前町、福島町、函館市、七飯町、北斗市、木古内町、知内町、森町、鹿部町である。
江差信用金庫(消滅)
1924年2月25日、有限責任江差信用組合設立。1933年6月、保証責任江差信用組合に改組。1945年2月、市街地信用組合法の制定により江差信用組合に改組。1951年12月、信用金庫法により江差信用金庫に改組。1974年9月、本店を新築。
2017年1月23日、函館信用金庫を合併し、道南うみ街信用金庫となった。
営業地域は、江差町、上ノ国町、厚沢部町、八雲町、乙部町、せたな町(旧瀬棚町・旧北桧山町を除く)、奥尻町、松前町、福島町、函館市、七飯町、北斗市、木古内町、知内町であった。
函館信用金庫(消滅)
1924年7月10日、有限責任函館信用組合を設立。1943年7月、市街地信用組合法により函館信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法制定により函館信用金庫に改組。2003年10月14日、本店を函館市大手町に移転した。
2017年1月23日、江差信用金庫に合併し、道南うみ街信用金庫となった。
営業地域は、函館市、北斗市、七飯町、木古内町、知内町、福島町、松前町、森町、鹿部町、八雲町(旧熊石町を除く)、江差町、上ノ国町であった。
古平信用金庫(消滅)
1914年、古平信用組合の設立許可。1951年12月、古平信用協同組合が、古平信用金庫へ改組。2005年2月14日、北海信用金庫に吸収合併された。
旭川信用金庫
1914年4月11日、有限責任旭川信用組合設立。1943年8月、市街地信用組合に改組し、旭川信用組合と改称。1950年4月、中小企業等協同組合法により、信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法により、旭川信用金庫に改組。1953年10月、本店を新築落成。1969年10月、新本店を新築落成。2002年1月4日、富良野信用金庫を合併した。
営業地域は、旭川市、東神楽町、東川町、当麻町、上川町、愛別町、比布町、鷹栖町、富良野市、美瑛町、上富良野町、中富良野町、南富良野町、占冠村、深川市、滝川市、上砂川町、奈井江町、岩見沢市、美唄市、三笠市、芦別市、歌志内市、砂川市、赤平市、南幌町、新十津川町、札幌市、江別市、北広島市、石狩市、千歳市、恵庭市、小樽市、日高町である。
稚内信用金庫
1945年10月15日、稚内市本通北2丁目226番地にて稚内信用組合として営業を開始。1950年4月、中小企業等協同組合法により稚内信用組合に改組。1951年11月、信用金庫法により稚内信用金庫に改組。1971年5月、本店を中央3丁目に新築移転した。
営業地域は、稚内市、名寄市、士別市、旭川市、深川市、滝川市、砂川市、美唄市、岩見沢市、江別市、札幌市、小樽市、恵庭市、千歳市、北広島市、石狩市、下川町、愛別町、和寒町、剣淵町、鷹栖町、比布町、当麻町、東神楽町、上川町、東川町、美瑛町、雄武町、興部、・西興部村、奈井江町、南幌町、当別町、新篠津村、月形町、長沼町である。
留萌信用金庫
1932年12月23日、保証責任留萌信用組合として設立。1945年8月、本店を本町3丁目に移転。1953年6月、留萌信用金庫に改組。1955年6月、本店を本町4丁目に新築移転。1963年10月、新本店を新築。1981年11月、本店を花園2丁目に新築。
営業地域は、留萌市、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、初山別村、深川市、沼田町、秩父別町、北竜町、雨竜町、新十津川町、旭川市、鷹栖町、比布町、当麻町、東川町、東神楽町、愛別町、上川町、美瑛町、札幌市、江別市、恵庭市、千歳市、小樽市、石狩市、北広島市、当別町である。
北星信用金庫(ほくせい)
1950年7月20日、士別信用組合設立。
1951年5月、名寄信用組合開設。同年12月、信用金庫法に基づき、名寄信用金庫として改組。
1952年1月、信用金庫法により士別信用金庫に改組。
2007年10月9日、名寄信用金庫と士別信用金庫が合併、名寄信用金庫を存続信用金庫とし、改称して北星信用金庫となった。
営業地域は、名寄市、士別市、旭川市、札幌市、石狩市、江別市、北広島市、恵庭市、千歳市、深川市、滝川市、砂川市、美唄市、三笠市、岩見沢市、下川町、剣淵町、和寒町、比布町、鷹栖町、東神楽町、当麻町、東川町、美深町、音威子府村、中川町、幌延町、天塩町、中頓別町、枝幸町、奈井江町である。
名寄信用金庫(消滅)
1951年5月、名寄信用組合開設。同年12月、信用金庫法に基づき、名寄信用金庫として改組。1954年10月、本店を新築落成。1971年11月、本店を新築落成。1997年9月、本店を新増築。2007年10月9日、士別信用金庫と合併し、北星信用金庫となった。
士別信用金庫(消滅)
1950年7月20日、士別信用組合として設立。1952年1月 信用金庫法により士別信用金庫に改組。2007年10月9日、名寄信用金庫と合併し、北星信用金庫となり消滅した。
帯広信用金庫
1916年5月、産業組合法に基づき、無限責任帯広信用組合として帯広町西1条12丁目に設立。1920年、有限責任帯広信用組合に改組。1927年、本店事務所を帯広町西3条8-2に移転。1943年、市街地信用組合法に基づき、帯広信用組合に改組。1950年、中小企業等協同組合法に基づき、帯広信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法に基づき、帯広信用金庫に改組した。
営業地域は、釧路市、白糠町、釧路市、浦幌町、豊頃町、広尾町、大樹町、更別村、中礼内村、帯広市、幕別町、池田町、本別町、足寄町、陸別町、上士幌町、士幌町、音更町、芽室町、清水町、鹿追町、新得町である。
釧路信用金庫
1925年5月20日、産業組合法により有限責任釧路信用組合として設立。1943年4月、市街地信用組合法により釧路信用組合に改組。1951年10月23日、信用金庫法により、釧路信用金庫に改組
営業地域は、釧路市、中川郡 幕別町(旧忠類村を除く)、芽室町、帯広市、池田町、中札内村、釧路町、豊頃町、更別町、厚岸町、本別町、足寄町、浜中町、浦幌町、陸別町、標茶町、音更町、清水町、弟子屈町、士幌町、新得町、鶴居村、上士幌町、大樹町、白糠町、鹿追町、広尾町である。
大地みらい信用金庫
1916年5月10日、根室町(後の根室市)に有限責任根室信用購買販売組合設立。1938年5月23日、厚岸町大字松葉町98番地に保証責任厚岸信用組合の営業を開始。1952年2月1日、信用金庫法に基づき、根室信用金庫と改組。1953年5月、信用金庫法に基づき、厚岸信用金庫と改組。2001年3月19日、根室信用金庫と厚岸信用金庫が合併し、根室信用金庫を存続信用金庫とし、改称して大地みらい信用金庫となった。2009年10月26日、本店を移転新築した。
営業地域は、根室市、中標津町、標津町、別海町、羅臼町、釧路市、厚岸町、浜中町、釧路町、標茶町、弟子屈町、白糠町、鶴居村、帯広市、幕別町(旧忠類村を除く)、清水町、池田町、豊頃町、浦幌町、音更町、芽室町、中札内村、更別村、南富良野町、占冠村、安平町、むかわ町、夕張市、由仁町、札幌市、江別市、千歳市、恵庭市、北広島市、石狩市、当別町、新篠津村である。
北見信用金庫
1930年11月、野付牛信用組合設立。1942年6月、市制施行により北見信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法により北見信用金庫に改組。2006年11月、本店を大通東1丁目に新築落成。2009年11月24日、紋別信用金庫を合併した。
営業地域は、枝幸町、雄竹町、美深町、名寄市、下川町、興部町、西興部村、紋別市、滝上町、士別市、剣淵町、和寒町、鷹栖町、比布町、愛別町、当麻町、旭川市、東神楽町、東川町、上川町、遠軽町、湧別町、佐呂間町、北見市、訓市府町、置戸町、網走市、大空町、美幌町、津別町、陸別町、足寄町、上士幌町、士幌町、本別町、清水町、芽室町、帯広市、中礼内村、音更町、幕別町、豊頃町、池田町、浦幌町、釧路市、白糠町、釧路町、釧路市である。
紋別信用金庫(消滅)
1949年7月1日、紋別信用組合として設立。1951年12月、信用金庫法に基づく信用金庫に転換、紋別信用金庫に改組。2009年11月24日、北見信用金庫に合併され、解散した。
営業地域は、紋別市、士別市、名寄市、北見市、旭川市、滝上町、興部町、雄武町、西興部村、遠軽町、上湧別町、湧別町、佐呂間町、訓子府町、鷹栖町、比布町、和寒町、剣淵町、下川町、東神楽町、当麻町、愛別町、東川町、美深町、枝幸町の一部(字音標、上音標、風烈布、乙忠部)であった。
網走信用金庫
1926年3月、有限責任網走信用組合として設立。1943年8月、市街地信用組合に改組。1950年4月、信用協同組合に改組。1951年11月、信用金庫法により網走信用金庫に改組した。
営業地域は、網走市、北見市、釧路市、帯広市、美幌町、津別町、大空町、斜里町、小清水町、清里町、佐呂間町、訓子府町、置戸町、弟子屈町、標茶町、釧路町、厚岸町、中標津町、標津町、羅臼町、鶴居村、白糠町、音更町、上士幌町、士幌町、鹿追町、足寄町、陸別町、芽室町、中札内村、更別村、幕別町、池田町、本別町、豊頃町、新得町、清水町、浦幌町、大樹町、広尾町である。
遠軽信用金庫
1950年7月19日、中小企業共同組合法により、遠軽信用組合を設立、大通北1丁目にて営業を開始した。1952年6月、遠軽信用金庫に改組し大通南1丁目に移転した。1976年10月、本店を増改築した。
営業地域は、遠軽町、紋別市、湧別町、佐呂間町、興部町、雄武町、旭川市、深川市、上川町、愛別町、比布町、当麻町、鷹栖町、東神楽町、東川町、妹背牛町、北見市、訓子府町、美幌町、
札幌市、江別市、北広島市、恵庭市、石狩市、当別町、月形町、浦臼町、雨竜町、新十津川町である。
東奥信用金庫
1927年10月、産業組合法に基づき、有限責任弘前信用組合設立。1943年8月、市街地信用組合法により弘前信用組合に組織変更。1951年10月、信用金庫法により弘前信用金庫に組織変更。
1948年10月、黒石信用組合設立。1952年3月、信用金庫法により黒石信用金庫に組織変更。
1971年7月1日、弘前信用金庫と黒石信用金庫が合併し東奥信用金庫となった。1977年8月、本店を新築。2009年11月ころをめどに、あおもり、八戸、下北の県内3信用金庫と合併し、青い森信用金庫となることを目指していたが、2009年4月20日に開かれた臨時総代会において、総代側から合併反対が多数を占めたことにより、1県1信金構想から離脱した。
営業地域は、弘前市、黒石市、平川市、五所川原市、青森市、つがる市、中津軽郡、南津軽郡、板柳町、鶴田町である。
青い森信用金庫
1922年12月27日、八戸鍛冶町信用組合として設立。1939年6月、八戸信用組合に名称変更。1951年10月、信用金庫法に基づき、八戸信用金庫に改組した。
1948年6月、三本木信用組合として設立。三本木信用組合、三本木信用金庫を経て1963年7月に十和田信用金庫となった。
2008年5月19日、八戸信用金庫を存続信用金庫とし、十和田信用金庫を合併した。
2009年11月9日、八戸信用金庫が、青森市の産業廃棄物収集処理運搬事業者が経営破綻して経営危機に陥ったあおもり信用金庫を救済合併し、これに下北信用金庫が合流して合併、八戸信用金庫を存続信用金庫とし、青い森信用金庫に名称変更した。なお、合併を予定していた東奥信用金庫は、同年4月20日に離脱した。
営業地域は、青森県、秋田県鹿角市のうち十和田および鹿角郡小坂町である。
シンボルマークは、りんごの花びらと海の波・奥入瀬渓流等の清流をモチーフにし、中央部にローマ字で信金の「S」を配し、力強い水の流れをイメージしている。封筒には、八戸信用金庫のイメージキャラクターであったハッシーとルッシーを採用している。
八戸信用金庫(消滅)
1922年12月27日、八戸鍛冶町信用組合として設立。1939年6月、八戸信用組合に名称変更。1951年10月、信用金庫法に基づき、八戸信用金庫に改組した。
1948年6月17日、三本木町信用組合として設立。三本木信用組合、1953年、三本木信用金庫を経て1963年7月に十和田信用金庫となった。
2008年5月19日、八戸信用金庫を存続信用金庫とし、十和田信用金庫を合併した。
営業地域は八戸市、十和田市、三沢市、青森市、三戸郡、上北郡、東津軽郡のうち平内町、秋田県鹿角市のうちの十和田区域、鹿角郡小坂町であった。
2009年11月9日、八戸信用金庫が、青森市の産業廃棄物収集処理運搬事業者が経営破綻して経営危機に陥ったあおもり信用金庫を救済合併し、これに下北信用金庫が合流して合併、八戸信用金庫を存続信用金庫とし、青い森信用金庫に名称変更した。
イメージキャラクターのハッシーとルッシーは、青い森信用金庫に引き継がれた。
十和田信用金庫(消滅)
1948年6月17日、三本木町信用組合として設立。三本木信用組合、1953年、三本木信用金庫を経て1963年7月に十和田信用金庫となった。
2008年5月19日、八戸信用金庫を存続信用金庫とし、吸収合併された。
営業地域は、十和田市、三沢市、八戸市、青森市、上北郡、三戸郡、東津軽郡平内町、秋田県鹿角市(十和田区域のみ)、鹿角郡小坂町であった。
封筒に使用のマスコットキャラクターは、うさぎのミミとロッピーである。
あおもり信用金庫(消滅)
1914年2月、北奥羽信用金庫の前身のひとつである有限責任青湾信用組合が設立。1951年10月、信用金庫法に基づき、青湾信用金庫に改組した。
一方、1951年1月、北奥羽信用金庫の、もうひとつの前身である浪岡信用組合が設立。1952年4月、信用金庫法に基づき、浪岡信用金庫に改組した。
1970年10月1日、青湾信用金庫と浪岡信用金庫が合併し、青湾を存続信用金庫とし北奥羽信用金庫に名称変更した。1971年2月、昭和信用金庫を合併した。
1914年、青森信用金庫の前身として津軽信用組合が設立。1922年、青森信用組合に改称し、1951年、信用金庫法に基づき、青森信用金庫に改組した。
1996年8月26日、北奥羽信用金庫と青森信用金庫が合併し、北奥羽を存続信用金庫とし、あおもり信用金庫に名称変更。1998年3月23日、津軽信用金庫を合併。
2009年11月9日、八戸信用金庫及び下北信用金庫と合併、下北を存続信用金庫とし、青い森信用金庫に名称変更した。
営業地域は、青森市、弘前市、黒石市、五所川原市、つがる市、平川市、東津軽郡、西津軽郡、中津軽郡、南津軽郡、北津軽郡、野辺地町であった。
下北信用金庫(消滅)
1950年10月、産業組合法に基づき、大畑信用組合を設立。1953年6月、信用金庫法に基づき、大畑信用金庫に名称変更。1954年11月、下北信用金庫に名称変更。1978年6月、本店をむつ市柳町1丁目に移転した。
2009年11月9日、八戸信用金庫が、青森市の産業廃棄物収集処理運搬事業者が経営破綻して経営危機に陥ったあおもり信用金庫を救済合併し、これに下北信用金庫が合流して合併、八戸信用金庫を存続信用金庫とし、青い森信用金庫に名称変更した。
営業地域は、むつ市、下北郡、野辺地町、横浜町、六ヶ所村であった。
秋田信用金庫
1911年3月、産業組合法により、有限責任秋田共益信用組合として秋田市茶町梅の町1番地に設立。1943年4月、秋田共益信用組合に改組。1950年4月、秋田信用組合に改組。1951年10月、秋田信用金庫に改組した。
1952年11月、横手信用組合の事業の全部を譲り受け、横手支店開設。1961年1月、本店を秋田市大町3丁目に移転。1995年4月、土崎信用金庫を合併。2002年7月22日、秋田県中央信用組合の事業の全部を譲り受け、船越支店男鹿出張所を開設。2003年10月20日、五城目信用金庫を合併。2007年7月、本店を新築した。
封筒のキャラクターはなまはげの鬼をモチーフにした「ナミー・ハギー」。これは、2001年に開催された秋田ワールドゲームズ2001の大会マスコットだったが、終了後に大会事務局から三傳商事を通して譲渡された。作者は秋田市在住のデザイナーの石川貴教。
営業地域は、秋田市、北秋田市、大館市、男鹿市、潟上市、横手市、湯沢市、旧中仙町を除く大仙市、由利本荘市のうち旧岩城町、仙北郡、山本郡三種町(旧山本町を除く)、南秋田郡、雄勝郡、北秋田郡である。
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羽後信用金庫
1948年4月、本荘町商工協同組合として発足。1950年2月、本庄町商工信用組合に組織変更。1953年6月、信用金庫法に基づき本荘信用金庫に改組。1972年10月、湯沢信用組合と合併、鳥海信用金庫に名称変更。
1949年1月、矢島町商工業協同組合を設立。1950年2月、矢島町商工業信用組合に組織変更。1952年3月、信用金庫法に基づき矢島信用金庫に改組。
1995年2月6日、鳥海信用金庫と矢島信用金庫か合併、羽後信用金庫に名称変更。2009年7月13日、秋田ふれあい信用金庫と合併。2014年5月19日、本店を由利本荘市大町32から本荘24に新築移転した。
営業地域は秋田県全域である。
秋田ふれあい信用金庫(消滅)
1950年10月、仙北信用組合として誕生。1953年3月、信用金庫に転換し、仙北信用金庫に改組。1963年5月、大曲信用金庫に名称変更。
1997年3月24日、経営の行き詰った能代信用金庫と合併、秋田ふれあい信用金庫に名称変更した。2002年6月24日、角館信用金庫と合併。
2009年7月13日、羽後信用金庫と対等合併し、消滅した。
営業地域は、湯沢・由利本荘・にかほ地域を除く秋田県南地区と能代山本地域であった。
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山形信用金庫
1949年6月、山形市信用組合が事業を開始。1950年4月に山形信用組合に改組。1952年5月、信用金庫法により山形信用金庫に改組。1960年5月、新本店新築落成。1973年3月、七日町の旧富士銀行山形支店跡地に移転。2009年2月16日、山形庶民信用組合を合併し、存続会社は山形信用金庫として合併した。旧本店を本部とし、登記上の本店は山形庶民信用組合の本店を使用している。ロゴマークも山形庶民信用組合のものを継承し、青色から赤色となった。
営業地域は、山形市、上山市、寒河江市、西村山郡河北町、天童市、村山市、中山町、山辺町、大江町、西川町、朝日町である。
米沢信用金庫
1926年11月、信用販売購買組合門束町下の丁、近藤勝太郎氏店舗にて保証責任米澤織物製造信用販売購買組合が開業。1943年12月、市街地信用組合として米沢信用組合が設立認可。1951年10月、信用金庫法により、米沢信用金庫に改組。1973年8月、本店を米沢市大町5丁目に新築移転した。
営業地域は、米沢市、長井市、南陽市、上山市、山形市、東置賜郡、西置賜郡である。
鶴岡信用金庫
1926年11月11日、鶴岡市五日町に産業組合法による鶴岡庶民信用組合が設立。1929年2月、事務所を一日市町に移転。1934年2月、事務所を馬場町甲3番地に移転。1944年9月、事務所を馬場町丙12番地(馬場町1-1-4)移転。1951年2月、荘内信用組合を合併し鶴岡信用組合と改称。同年10月、信用金庫法により鶴岡信用金庫に改組。1960年1月、本店を新築。2001年3月、マスコットキャラクターに、鶴岡市出身の絵本作家、土田義晴の作品を採用、名前はくう、きっき、みみ。2008年3月17日、酒田信用金庫と合併した。
営業地域は、鶴岡市、酒田市、庄内町、三川町、遊佐町及び新潟県村上市のうち、旧岩船郡山北町である。
酒田信用金庫(消滅)
1951年5月7日、酒田信用組合として設立。1952年4月1日、信用金庫に転換、酒田信用金庫に改組。2002年6月、庄内信用組合と合併。2008年3月17日、鶴岡信用金庫に吸収合併され、解散した。
新庄信用金庫
1923年12月、産業組合法により新庄信用組合を創設。1952年7月、信用金庫法により新庄信用金庫に改組。1964年11月、本店事務所新築落成。1979年7月、本店を新庄市本町2に新築移転。
営業地域は、新庄市、最上郡、北村山郡、村山市、東根市、尾花沢市、天童市、山形市である。
盛岡信用金庫
1903年1月19日、産業組合法により、盛岡信用組合として設立。1928年9月、旧六日町(後の下ノ橋町)に本店を新築。1948年4月、市街地信用組合法による盛岡信用組合に改組。1950年4月、中小企業等信用組合法による盛岡信用組合に改組。1951年10月、信用金庫法に基づき、盛岡信用金庫に改組。1958年12月、盛岡貯蓄銀行本店の建物(中ノ橋通1)を譲り受け、本店として使用した。本部は、旧盛岡信用組合の本店を使用している。1993年10月、経営破綻した釜石信用金庫より遠野支店を譲り受けた。2008年7月7日、二戸信用金庫と合併した。
営業地域は、遠野市、花巻市、紫波町、矢巾町、雫石町、盛岡市、滝沢村、八幡平市、岩手町、葛巻町、一戸町、二戸市、九戸村、軽米村、洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村である。
二戸信用金庫(消滅)
1950年7月24日、福岡町信用組合として設立。1953年6月9日、信用金庫法に基づき、福岡町信用金庫に改組。1972年10月1日、同年4月1日の二戸市制施行に伴い、二戸信用金庫に改称。2008年7月7日、盛岡信用金庫に合併され、解散した。
宮古信用金庫
1902年1月10日、無限責任宮古信用組合設立。1927年9月22日、有限責任宮古信用組合設立、事務所を宮古市本町37に置く。1935年2月15日、有限責任より保証責任宮古信用組合に変更。1937年 2月 7日、本店事務所を移転新築。1943年10月28日、市街地信用組合法により宮古信用組合に組織変更。1950年 4月1日、中小企業等協同組合法による宮古信用組合に改組。1951年12月20日、信用金庫法により宮古信用金庫に改組。1968年5月 27日、宮古市向町に本店新築移転。1993年10月1日、経営破綻した釜石信用金庫より大渡支店を譲受した。2012年2月、金融機能強化法により信金中央金庫を通じて震災特例の公的資金85億円の注入を受けた。
営業地域は、宮古市、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、釜石市、大槌町である。
一関信用金庫
1948年7月16日、市街地信用組合法により一関信用組合として設立。1949年5月1日、一関市広街23にて一関信用組合の営業開始。1952年5月23日、信用金庫法により一関信用金庫に改組。1976年11月15日、幸町5に本店を移転新築。1993年10月1日、経営破綻した釜石信用金庫より大船渡支店を譲り受け、2006年10月23日、気仙沼信用金庫に高田・大船渡支店を譲渡。
営業地域は、金ヶ崎町、奥州市、気仙郡、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、一関市、平泉町、栗原市、登米市である。
北上信用金庫
1948年9月3日、市街地信用組合法による黒澤尻信用組合を設立。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づく組合に改組。1952年6月、信用金庫法に基づき黒澤尻信用金庫に改組。1954年8月、北上市制施行により北上信用金庫と改称。
営業地域は、北上市、花巻市(旧稗貫郡大迫町及び石鳥谷町を除く)、奥州市(旧胆沢郡前沢町、胆沢町及び衣川村を除く)、和賀郡西和賀町、胆沢郡金ヶ崎町である。
イメージキャラクターには、アンパンマンを採用している。
花巻信用金庫
1949年2月1日、市街地信用組合法に基づき花巻信用組合を創立。1950年4月1日、中小企業等協同組合法に基づく花巻信用組合に組織変更。1952年2月 26日 、信用金庫法に基づき花巻信用金庫に組織を変更。1954年4月1日 市制施行により、本店所在地が花巻市吹張町24番地となる。1965年12月10日 本店を花巻市吹張町190番地に新築移転。1966年1月1日 本店の住居表示変更により花巻市吹張町11-10となる。
営業地域は、盛岡市(玉山区を除く)、遠野市、北上市、花巻市、紫波郡である。
水沢信用金庫
1949年1月、市街地信用組合法に基づき水沢信用組合創立。同年7月12日、水沢町大町83 番地で業務を開始。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づく水沢信用組合に組織変更。1952年4月、信用金庫法施行により水沢信用金庫に組織変更。1953年11月、本店を、胆沢郡水沢町塩竃字大町26に新築移転。1963年8月、本店を創業地の水沢町大町83に新築移転。1986年11月、本店を奥州市水沢区日高西71に新築移転。
営業地域は、奥州市、胆沢郡金ヶ崎町、北上市、一関市、大船渡市、陸前高田市、気仙郡住田町、西磐井郡平泉町である。
杜の都信用金庫
1931年、有限責任塩竈信用組合として設立。1943年、市街地信用組合法により塩竈信用組合に組織変更。1950年、中小企業共同組合法により塩竈信用組合に組織変更。1951年、信用金庫への改組認可をうけ、塩竈信用金庫と改称。1998年11月16日、徳陽シティ銀行塩竈支店の営業を譲受した。
1932年10月、産業組合法により有限責任信用組合仙台市民金庫として創立。1943年6月、市街地信用組合法施行により改組し、仙台信用組合と名称を変更。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づく仙台信用組合に改組。1951年10月、信用金庫への改組認可をうけ、仙台信用金庫と改称。1998年11月16日、徳陽シティ銀行岩切支店の営業を譲受した。
2004年7月19日、塩竃信用金庫と合併して杜の都信用金庫となった。2007年12月17日、新築した中央支店ビル内に本部機能を移設。2008年2月12日、本店営業部の仮店舗を仙台第一生命タワービルディングの3Fに設置し、空中店舗化。2009年10月13日、旧本店ビル跡地に新築されたアーバンネット定禅寺ビル内に、本店営業部を移転した。
営業地域は、仙台市、塩竈市、大崎市、名取市、岩沼市、多賀城市、登米市(旧本吉郡津山町を除く)、栗原市、東松島市(旧桃生郡矢本町を除く)、柴田郡、亘理郡、宮城郡、黒川郡、加美郡、遠田郡である。
仙台信用金庫(消滅)
1932年10月、産業組合法により有限責任信用組合仙台市民金庫として創立。1943年6月、市街地信用組合法施行により改組し、仙台信用組合と名称を変更。1950年4月、中小企業等協同組合法に基づく仙台信用組合に改組。1951年10月、信用金庫への改組認可をうけ、仙台信用金庫と改称。1998年、徳陽シティ銀行岩切支店の営業を譲受。2004年7月19日、塩竃信用金庫と合併して杜の都信用金庫となった。
マスコットキャラクターはセーラードッグである。
塩竈信用金庫(消滅)
塩竈信用金庫本店画像がございません。写真をお持ちのかたがいらっしゃいましたら、お問い合わせページよりご連絡をいただけましたら幸いです。
1931年、有限責任塩竈信用組合として設立。1943年、市街地信用組合法により塩竈信用組合に組織変更。1950年、中小企業共同組合法により塩竈信用組合に組織変更。1951年、信用金庫への改組認可をうけ、塩竈信用金庫と改称。1998年11月16日、徳陽シティ銀行塩竈支店の営業を譲受した。2004年7月19日、仙台信用金庫と合併して杜の都信用金庫となった。
宮城第一信用金庫
1951年7月2日、中小企業等協同組合法に基づき、宮城第一信用組合として仙台市南町通り13番地において営業開始。1953年6月14日、信用金庫法により宮城第一信用金庫に改組。2002年6月17日、宮城県中央信用組合の3店舗の事業譲受。
営業地域は、仙台市、塩竃市、大崎市、名取市、多賀城市、岩沼市、亘理郡、宮城郡、黒川郡、加美郡、栗原市、登米市(旧津山町除く)、遠田郡、柴田郡である。
石巻信用金庫
1928年2月8日、産業組合法に基づく有限責任信用組合、石巻庶民金庫が営業開始。1943年10月、市街地組合法により、石巻信用組合に改組。1951年12月、信用金庫法により石巻信用金庫に名称変更した。
2012年2月、金融機能強化法により信金中央金庫を通じて震災特例の157億円の公的資金が注入された。
営業地域は、石巻市、東松山市、牡鹿郡、遠田郡、大崎市、黒川郡、松島町、利府町である。
仙南信用金庫
1950年6月、仙南信用組合として設立。1952年1月、信用金庫法に基づき仙南信用金庫となった。
営業地域は、白石市、柴田郡、刈田郡、角田市、岩沼市、名取市、仙台市、亘理町、山元町、丸森町である。
2002年5月 宮城県の伝統的な民芸品「こけし」から3姉妹キャラクター「コケシスターズ」が誕生した。きっとかなう みんなのゆめ あなたののぞみとの思いを込め、長女:ゆめちゃん、次女:のぞみちゃん、三女:かなちゃん と命名された。
気仙沼信用金庫
1926年9月2日、有限責任気仙沼信用組合設立。1932年1月、事務所を西風釜41-6へ新築移転。1933年3月、保証責任信用組合に組織変更。1943年12月、市街地信用組合法による気仙沼信用組合に改組。1950年4月、中小企業等協同組合法による信用組合に改組。1951年11月、信用金庫法により気仙沼信用金庫に改組。1962年4月、本店を八日町2-4-10に新築落成。1998年11月、徳陽シティ銀行より気仙沼支店の営業を譲受。2003年7月、岩手信用組合の事業を譲受け、高田・大船渡・三陸支店を開設。2006年10月23日、一関信用金庫より、大船渡支店、高田支店を譲受け、盛支店とした。
2011年3月11日、東日本大震災が起こった。気仙沼市を中心とする営業地盤が甚大な被害を受け、気仙沼信用金庫自身も被災した。取引先の殆どが津波被害の影響を受けたが、震災直後からリスク覚悟で地元企業への融資を進め、同年末までには不良債権の総額が50億円を超えるという結果となった。2012年2月、金融機能強化法により信金中央金庫を通じて震災特例の130億円の公的資金が注入された。
営業地域は、気仙沼市、本吉郡、登米市、大船渡市、陸前高田市、一関市(旧一関市、旧東磐井郡東山町・川崎村、旧西磐井郡花泉町除く)、東磐井郡、気仙郡である。
会津信用金庫
1940年12月、産業組合法に基づく有限責任会津若松信用組合を設立。1941年3月、会津実業信用組合、若松庶民金庫、会津信用組合、勧業信用組合を合併。1943年9月、市街地信用組合法に基づき改組。1950年4月、中小企業協同組合法に基づき、改組。1951年9月、会津信用金庫に改組。1960年1月、本店を新築。
営業地域は、会津若松市、喜多方市、南会津郡、耶麻郡、河沼郡、大沼郡である。
郡山信用金庫
1924年3月8日、産業組合法により有限責任郡山信用組合として設立。1929年、組合事務所を清水台2へ移転。1943年7月、市街地信用組合法により改組。1950年4月中小企業協同組合法により改組。1951年10月、信用金庫法に基づく郡山信用金庫に改組。1970年、本店を新築落成した。
営業地域は、郡山市、須賀川市、二本松市、田村市、本宮市、安達郡、田村郡、岩瀬郡、平田村、玉川村、石川町、川前町、三和町(上三坂、中三坂、下三坂に限る)、川内村、葛尾村である。
白河信用金庫
1925年1月7日、産業組合法に基づく、有限責任白河信用組合として、白河市大手町に設立。1943年9月17日、市街地信用組合法に基づく、白河信用組合に改組。1950年4月1日中小企業等協同組合法による信用協同組合に改組。1951年10月20日、信用金庫法制定に伴い信用金庫に改組した。1960年1月14日、本店を新築落成。
1985年8月29日、本部を白河市新白河1-152に竣工した。
営業地域は、白河市、西白河郡、東白川郡、浅川町、古殿町、石川町のうち赤羽・沢井・新屋敷、鏡石町、天栄村、那須塩原市のうち旧黒磯市及び旧西那須野町、大田原市のうち旧大田原市、那須町、茨城県常陸太田市のうち旧里美村、大子町である。
須賀川信用金庫
1914年10月5日、産業組合法に基づき須賀川町字西8-1で有限責任須賀川信用組合が創業。1935年12月、事務所を須賀川町字東7-10(後の宮先町31)に新築移転。1943年8月、市街地信用組合法制定により須賀川信用組合と改称。1950年4月、中小企業協同組合法に基づき改組。1951年10月、信用金庫法により須賀川信用金庫に改組した。
2011年3月11日、東日本大震災により本店営業部が被災し、4月18日より仮店舗での営業を開始した。2012年5月、西川支店に本部を新築し、新本店は2012年9月3日に営業を開始した。
営業地域は、須賀川市、郡山市、岩瀬郡、石川町、古殿町、玉川村、平田村、矢吹町のうち天開、向通、陣ヶ岡、東川原、三城目、中沖、貝ヶ渕、奉行塚、白山、谷中、神田東、神田南、神田西、沢尻、中野目東、中野目西、東堤、堤、明新東、明新下、明新西、明新中、明新原、明新上、貝の久保、神の内である。
ひまわり信用金庫
1923年10月9日、有限責任小名浜町信用組合設立。1932年6月、有限責任小名浜町信用購買組合に改組。1933年5月、有限責任小名浜信用販売購買利用組合に改組。1934年7月、小名浜信用組合に改組。1950年4月、小名浜町信用組合に改組。1952年2月、小名浜信用金庫に改組。1974年8月、植田信用金庫との合併により磐洋信用金庫発足。1992年10月、平信用金庫との合併によりひまわり信用金庫となった。
2006年9月、本店所在地を二町目から平東支店の所在地に移転し統合。旧二町目の本店は本部とした。
シンボルマークのひまわりの花の花びらはいわき7浜、種子は合併当時のひまわり信金24店に由来し、いわき市の地形を描いている。
営業地域は、いわき市、双葉郡、北茨城市である。
あぶくま信用金庫
1950年9月12日、原町信用組合として発足。1951年6月11日、原町信用金庫に改組。1956年9月1日、本店を新築移転。1984年9月1日、あぶくま信用金庫に名称変更。1991年1月17日、本部・本店を新築落成した。2012年2月、金融機能強化法により信金中央金庫を通じて震災特例の175億円の公的資金が注入された。
営業地域は、南相馬市、相馬市、相馬郡、双葉郡、いわき市、仙台市(旧泉市、宮城郡宮城町、名取郡秋保町を除く)、岩沼市、亘理郡、名取市である。
二本松信用金庫
1948年7月、二本松信用組合設立。1952年2月、信用金庫法の施行に基づき信用金庫に改組。1969年12月、二本松市本町2に本店新築移転。2003年4月、新本部ビル落成に伴い、二本松市金色久保に本部機能移転。旧本部は本店営業部として営業している。
営業地域は、二本松市、本宮市、安達郡、福島市、伊達市、伊達郡、喜久田町、日和田町、西田町、熱海町である。
福島信用金庫
1918年4月、有限責任福島市信用組合設立。1951年、福島市信用金庫に改組。1950年8月、太陽信用組合設立。1951年、太陽信用金庫に改組。1959年7月、福島市信用金庫と太陽信用金が合併して福陽信用金庫となり、1970年7月飯坂信用金庫と合併した。
1913年、飯坂信用組合設立。1951年、飯坂信用金庫に改組。1950年7月、桑折信用組合設立。1951年7月、伊達中央信用組合と改称。1952年7月、伊達中央信用金庫に改組した。
1976年5月1日、飯坂信用金庫と伊達中央信用金庫が合併し、福島信用金庫となった。1987年4月、桃を象った新シンポルマークとロゴタイプに変更した。
営業地域は、福島市、伊達市、二本松市、本宮市、伊達郡、安達郡、浪江町のうち津島・下津島・南津島・羽附・赤宇木・昼曽根・川房、相馬市のうち玉野・東玉野、飯舘村のうち飯樋・比曽・松塚・関根・臼石・二枚橋・須萱・前田・佐須、白石市のうち越河、伊具郡丸森町である。