-中国・四国
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鳥取銀行
1899年1月11日、鳥取融通合資会社が鳥取に設立。1903年9月20日、合資会社鳥取銀行に改称。1914年12月4日、大正鳥取銀行に改組・改称。翌年1月4日、開業。1921年12月15日、鳥取貯蓄銀行に改称。1948年12月1日、普通銀行に目的を変更し因伯銀行に改称。1949年10月1日、鳥取信用組合の営業を譲受。1949年11月11日、改称して鳥取銀行になった。
1961年5月、三和銀行鳥取支店の営業を譲受。1972年5月、富士銀行米子支店の営業を譲受。1974年10月1日、鳥取県信用組合を合併。1990年12月、本店を温泉町171に新築移転。1991年9~11月、山陰合同銀行の旧ふそう銀行3店舗の営業を譲受した。
山陰合同銀行
1889年8月31日、松江銀行が設立。1894年1月17日、米子銀行が設立。1941年7月1日、松江銀行と米子銀行が合併して山隂合同銀行になった。
1941年10月1日、石州銀行及び矢上銀行を合併。1943年、三菱銀行鳥取支店の営業を譲受。1945年3月1日、山陰貯蓄銀行を合併。1949年、富士銀行浜田支店の営業を譲受。1990年、協和銀行松江支店の営業を譲受。1991年4月1日、ふそう銀行を合併。1997年10月1日、山陰合同銀行に商号変更。 1997年10月13日、本店を松江市魚町10に新築移転した。
中国銀行
1878年12月9日、高梁市に第八十六国立銀行が設立。1879年5月1日、開業した。1897年7月1日、国立銀行営業満期前特別処分法により私立銀行として改組し営業を継続、八十六銀行と改称した。
1891年4月21日、倉敷銀行が設立。同年7月15日、開業。1919年1月30日、撫川銀行を買収。同年6月3日、貯蓄部を分離して福山貯蓄銀行へ移管(合同貯蓄銀行と改称)。
1919年9月12日、倉敷銀行、鴨方倉庫銀行、倉敷商業銀行、茶屋町銀行、天満屋銀行、日笠銀行が合併して第一合同銀行になった。
1920年1月1日、第一合同銀行が八十六銀行、甕江銀行、庭瀬銀行を合併。1922年6月1日、妹尾銀行を合併。同年10月17日、高信銀行を合併。1923年5月1日、高梁銀行及び東児銀行を合併。同年7月24日、下道銀行を合併。同年8月5日、成羽銀行を合併。同年11月18日、玉島銀行を合併。1924年1月1日、総社銀行を合併。同年7月28日、和気銀行を整理受託。1925年9月1日、坂出銀行を合併。1926年2月1日、西原銀行を合併。同年9月1日、山陽商業銀行を合併。1927年3月1日、福山銀行を合併。同年6月1日、姫路倉庫銀行を合併。同年11月20日、小田銀行を合併。同年12月17日、松永実業銀行を合併。1928年4月20日、西江原銀行を買収した。
1924年7月24日、作備銀行と津山銀行が合併して、山陽銀行になった。同年12月10日、阿哲銀行を買収。1926年2月20日、足守銀行を合併。同年3月15日、桑田銀行を合併した。同年9月10日、鞆銀行を合併。1927年9月1日、丸亀銀行を合併。同年10月6日、琴平銀行を合併。1928年1月1日、古町銀行を合併。同年5月1日、倉敷大橋銀行を合併した。
1930年12月21日、第一合同銀行と山陽銀行が合併して中國銀行になった。1931年3月5日、後月銀行を買収。1931年10月1日、香川銀行を買収。1932年12月27日、美作勝山銀行を買収。1940年5月20日、中備銀行を買収。1944年2月1日、岡山合同貯蓄銀行を合併。1945年6月1日、中国信託株式会社を合併。1957年3月26日、信託勘定を閉鎖した。
1990年10月1日、商号を中国銀行に変更。1992年3月、岡山市北区丸の内1に本店を新築した。
広島銀行
広島銀行本店の画像がございません。お持ちの方がいらっしゃいましたら、お問い合わせページよりご連絡いただけましたら幸いです。
1878年11月29日、尾道市に第六十六国立銀行が設立。(これを創業日としている。)1879年4月20日、開業。1897年7月1日、国立銀行営業満期前特別処分法により私立銀行として営業継続、第六十六銀行と改称した。
1879年4月21日、広島市に第百四十六国立銀行が設立。同年12月7日、開業。1897年1月1日、国立銀行営業満期前特別処分法により私立銀行として営業継続、広島銀行と改称した。1916年7月1日、豊田銀行を合併。同年10月1日、村上銀行の債権債務を譲受。1918年6月30日、賀茂銀行の本店及び2支店を譲受。同年8月1日、芸陽銀行の営業を譲受した。
1920年6月30日、第六十六銀行、広島銀行、角倉銀行、比婆銀行、広島商業銀行、双三貯蓄銀行、三次貯蓄銀行が合併して、広島市に藝備銀行が設立した。同年8月19日、登記。同年10月1日、開業。1925年6月8日、中国商業銀行を合併。同月16日、尾道諸品㈱を買収。1926年2月1日、加計銀行を買収。同年5月10日、仁方銀行の営業を譲受。同年10月1日、多川銀行の営業を譲受。1927年4月1日、広第一銀行の営業を譲受。同年6月、本店を紙屋町に新築移転した。
1927年9月1日、呉第一銀行の営業を譲受。1928年12月3日、伊予三島銀行、愛媛銀行、西条銀行を合併。同月31日、可部銀行の営業を譲受。1934年12月26日、備後銀行の営業を譲受した。
1945年5月1日、一県一行政策により広島県下に本店を置くすべての5行である、藝備銀行、呉銀行、備南銀行、三次銀行、広島合同貯蓄銀行が合併して藝備銀行になった。1945年8月6日、原子爆弾の被災によって紙屋町の本店を含む8店舗が全焼。同月8日、日本銀行広島支店に仮営業所を設け営業を続けた。
1950年8月6日、被災から5年後に廣島銀行に改称。1962年11月、帝国銀行広島支店の建屋を使用して本店仮店舗を営業。1965年2月、中区紙屋町に廣島銀行本店が竣工した。
1988年7月、広島銀行に改称し、ロゴマークも改めた。2018年2月13日、本店登記は変更せず南区西蟹屋1-1-7の本店仮店舗で営業。2020年10月1日、金融持株会社である、ひろぎんホールディングスを設立。2021年5月8日、本店を中区紙屋町1-3-8のひろぎんホールディングス本社ビルに移転した。
山口銀行
1878年11月25日、第百十国立銀行が設立。1879年3月10日、開業した。1880年、本店を赤間関市(後の下関市)に移転。1898年11月25日、営業満期国立銀行処分法により私立銀行として営業継続、百十銀行に改組した。
1891年4月13日、華浦銀行が設立。同年10月1日、開業。1922年9月16日、弥栄銀行を合併。1923年11月15日、宮市銀行を合併。1928年5月1日、周東産業銀行を合併した。
1897年5月7日、船城銀行が設立。同年7月15日、開業した。
1900年9月30日、大島銀行が設立。1901年1月4日、開業した。
1912年6月11日、矢部銀行が広島から移転し、宇部銀行に改称した。
1944年3月31日、百十銀行、華浦銀行、船城銀行、大島銀行、宇部銀行が合併して山口銀行になった。1965年、本店を下関市竹崎町4丁目に移転。
2006年10月1日、山口銀行と、もみじホールディングスが共同株式移転により、㈱山口フィナンシャルグループを設立した。
2010年10月1日、山口フィナンシャルグループが北九州金融準備㈱を設立。2011年9月9日、北九州銀行に改称した。
2011年10月3日、九州域内における事業を吸収分割により北九州銀行に承継した。
阿波銀行
1879年12月、久次米(くじめ)銀行が設立。1891年5月30日、休業。1891年9月、資産及び負債を関東と関西に分割決議。1892年2月9日、関西部を継承して(名)阿波銀行が設立。1896年6月19日、満期廃業により徳島市西船場町に阿波商業銀行が設立。同年同月21日、開業。1898年10月、貯蓄銀行条例に準拠し貯蓄部兼営を開始した。
1921年10月12日、貯蓄部を分離し、阿波貯蓄銀行として開業。1927年3月、本店が新築落成。1928年5月、徳島銀行の営業を譲受。1934年4月29日、二木銀行を買収合併。1943年8月1日、阿波商業銀行に合併した。
1964年10月1日、阿波銀行に改称。1966年7月、本店を徳島市西船場町2丁目に新築落成した。
百十四銀行
1878年10月7日、第百十四国立銀行が設立。同年11月1日、開業した。
1896年5月19日、讃岐製糖大会社が銀行業務を営むため、高松銀行に改称。同年8月1日、開業。1915年4月7日、讃岐貯蓄銀行を合併。1921年11月18日、香川県下の貯蓄銀行兼営の9行の貯蓄業務を統合し、讃岐貯蓄銀行を設立した。
1898年10月7日、営業満期国立銀行処分法により第百十四国立銀行が私立銀行に転換し、高松百十四銀行に改組。1900年7月1日、高松貯蓄銀行を合併。1913年4月26日、大川銀行を合併。1920年12月15日、宇多津銀行を合併。1921年6月1日、高松商業銀行を合併。1921年11月18日、香川県下の貯蓄銀行兼営の9行の貯蓄業務を統合し、讃岐貯蓄銀行を設立。1922年12月17日、東讃銀行を合併した。
1924年3月30日、高松百十四銀行と高松銀行が合併して、高松百十四銀行になった。1926年4月、本店が後の丸亀町15-7に落成。1928年7月1日、小豆島銀行を買収。1934年8月15日、同盟銀行を買収。1936年2月16日、松山銀行を買収。1941年3月28日、多度津銀行を買収。1943年6月27日、讃岐貯蓄銀行を買収。1945年9月9日、高松信用組合を買収した。
1948年6月22日、百十四銀行に改称。本店は丸亀町15-7であった。1966年11月21日、本店を高松市亀井町5番地に新築移転した。2001年3月19日、前年に経営破綻した四国貯蓄信用組合の事業を譲受した。
伊予銀行
1878年3月15日、第二十九国立銀行が西宇和郡川之石浦(後の八幡浜市)に開業した。
1897年3月1日、第二十九国立銀行が、国立銀行営業満期前特別処分法により私立銀行としての第二十九銀行として営業継続、改称。1913年2月1日、岩松銀行を買収した。
1921年12月1日、第二十九銀行の貯蓄業務部門と貯蓄業務兼営11行(今治商業銀行、伊予周桑銀行、伊予農業銀行、内子銀行、宇和商業銀行、大洲銀行、大洲商業銀行、喜多銀行、松山商業銀行、八幡浜商業銀行)の貯蓄部門、愛媛貯蓄銀行、松山貯蓄銀行が合併して、伊豫貯蓄銀行になった。1926年3月1日、伊予相互貯蓄銀行に改称。1930年1月25日、実業銀行及び西南銀行を合併。同年3月1日、吉田商業銀行を買収。1933年3月1日、宇和島銀行を合併した。
1934年8月20日、第二十九銀行、大洲銀行及び八幡浜商業銀行が合併し、豫州銀行になった。1937年3月1日、内子銀行を買収。1938年2月1日、宇和卯之町銀行を合併した。
1941年9月1日、豫州銀行、今治商業銀行、松山五十二銀行が合併し、伊豫合同銀行になった。1944年12月15日、伊豫相互貯蓄銀行を合併。1951年11月1日、伊豫銀行と改称。1952年、本店を新築落成した。
1990年9月1日、伊予銀行へ名称変更。1992年4月1日、東邦相互銀行を合併。1999年10月1日、富士貯蓄信用組合の事業を譲受した。
豫州銀行(消滅)
1934年8月20日、第二十九銀行、大洲銀行及び八幡浜商業銀行が合併し、豫州銀行になった。1937年3月1日、内子銀行を買収。1938年2月1日、宇和卯之町銀行を合併した。
1941年9月1日、豫州銀行、今治商業銀行、松山五十二銀行が合併し、伊豫合同銀行になった。1944年12月15日、伊豫相互貯蓄銀行を合併。1951年11月1日、伊豫銀行と改称。1952年、本店を新築落成した。
1990年9月1日、伊予銀行へ名称変更した。
四国銀行
1878年10月17日、第三十七国立銀行が免状下付。同年12月8日、開業。同年12月17日、第百二十七国立銀行が免状下付。1879年2月1日、開業した。
1896年2月、第三十七国立銀行が高知第三十七国立銀行に改称。1896年9月26日、高知第三十七国立銀行が第百二十七国立銀行を合併した。
1897年3月1日、国立銀行営業満期前特別処分法により私立銀行の高知銀行として営業を継続。1916年5月、本店をに新築移転。1919年2月1日、土佐貯金銀行を合併。
1923年11月1日、土佐銀行を合併して、改称して四国銀行になった。1924年6月1日、関西銀行を合併。1930年3月1日、高陽銀行を合併。1944年9月9日、土豫銀行を買収。1945年4月24日、土佐貯蓄銀行を合併。1950年2月23日、高知信用組合の営業を譲受。1963年4月、高知市南はりまや町1に本店を竣工した。