銀行の封筒収集  ~ライフワーク~

国際開発金融機関

国際開発金融機関

 政府開発援助(Official Development Assistance:ODA)には、特定途上国に直接援助を行う二国間援助と、国際機関を通じて行う多国間援助がある。多国間援助機関は、無償資金供与中心の国連諸機関と、融資中心の国際開発金融機関(Multilateral Development Banks:MDBs)がある。多国間援助の場合、先進国がこれらの機関に対して資金を供与し、これをもとに各機関が途上国に支援を行っている。
 MDBsを通じた途上国支援は、 融資と政策アドバイスを組み合わせた総合的な開発援助機関として機能しており、また、IMFと並び、マクロ経済や構造調整に関するMDBsのプログラムは、各国の二国間支援に対して重要な基礎的枠組みを提供している。
 MDBsには資金を拠出する先進国と、融資を受ける途上国の双方が幅広く参加している。また、その融資の対象となるプロジェクトには、市場金利による長期のものや「信用貸し」と呼ばれるような市場を下回る金利での超長期のもの、助成金を通してのものといった形態で資金を提供している。
 ここでは、いわゆる狭義のMDBsのみではなく、準地域的なMDBsや多国間金融機関(MFI)についても掲載する。
 また、国際通貨基金(IMF)については、便宜上、国際開発金融機関に分類させていただくことをご了解いただきたい。

国際通貨基金

ワシントンD.C.19番街の国際通貨基金本部1:PD

 国際通貨基金(IMF :International Monetary Fund)の本部は、米国ワシントンD.Cの19番街とペンシルバニア通りの2箇所に置く。
 為替相場の安定を図ることなどを目的に1944年7月に米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで開かれた国際連合の「金融・財政会議」でブレトンウッズ協定が定められた。この協定に基づき、戦後復興策の一環として国際復興開発銀行と共に1946年3月に29ヶ国で創設された。

ワシントンD.C.ペンシルバニア通りの国際通貨基金本部2:Author:AgnosticPreachersKid

 1947年3月1日にIMF協定が発効し実際の業務を開始し、国際連合と協定を結び国連の専門機関となった。世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成している。
 基本的な使命は、国際金融・経済システムの安定性を確保することである。この安定性の確保は、次の3つの機能が大枠となっている。
1)世界及び加盟国の経済状況を把握・監視する
 国家、地域、グローバルなベースで、経済動向を把握し、加盟国政府や中央銀行と定期的に協議を行い、マクロ経済政策や金融政策面の援助を行っている。
2)国際収支が悪化した国に融資を行う
 対外支払いに困難が生じており、妥当な条件で十分な資金調達先を見つけることができない国に対して、融資を提供している。この資金支援は、各国が外貨準備の再構築、自国通貨の安定化、輸入の支払い(これらはすべて経済成長を再開するための必要条件である)によって、マクロ経済の安定性を回復するのを助けることを意図したものある。
3)加盟国に対して技術支援を提供する
 主として低・中所得国に対し経済の効果的運営を支援するため、制度の改善、適切なマクロ経済政策・金融政策・構造政策の立案に関する技術的な指導と研修を提供している。

国際通貨基金アジア太平洋地域事務所の入る富国生命ビル:PD

 1952年8月13日、日本は第二次世界大戦からの復興として、IMFに加盟し理事国になった。1964年、 IMFと世界銀行が共催で東京で年次総会を開催。日本は、国際収支の赤字を理由に為替制限ができる14条国から、それができない8条国へ移行。1970年、日本は任命理事となった。
 1993年、日本-IMFアジア奨学金プログラムを設立。2009年、国際金融危機を受け、IMFは日本と1,000億ドルの借入取極に署名。2012年、日本は、IMFに対する600億ドルの追加拠出にコミット。2012年10月、IMFと世界銀行は、東京で 2度目の年次総会を開催する。
 日本は、世界第3位の経済大国として、IMFに対し一貫して支援を行ってきた。2012年、今般の世界危機のなか、IMFの新規借入取極 (NAB:IMFの緊急時向け補完的財源プール)の第2位の拠出国となった。
 IMFのアジア太平洋地域事務所(OAP)は、1997年12月、東京都千代田区内幸町の富国生命ビルに開設され、当該地域の金融市場・経済動向の分析、広報活動、財界・金融に関する技術援助及び研修の促進、職員の採用を行っている。
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世界銀行

ワシントンD.C.の世界銀行本部:Author:Shiny Things

 世界銀行は、途上国の経済・社会の発展を支援するために創設された。地球上から貧困を根絶するという基本使命のもと、地球環境の保全を図りながら、途上国に対し長期的に、開発融資、技術援助、政策助言等の援助を行っており、世界最大の国際開発金融機関である。本部はワシントンD.C.に置き、世界188ヶ国が加盟し、クライアントは原則として政府である。
 1944年7月、ブレトン・ウッズ会議において国際通貨基金とともに国際復興開発銀行( International Bank for Reconstruction and Development、IBRD)の設立が決定された。国際復興開発銀行は1946年6月から業務を開始した。設立当初、国際通貨基金は国際収支の危機に際しての短期資金供給、世界銀行は第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関とされ、両者は相互に補完しあうよう設立された。ソヴィエト連邦は決定には賛成したものの条約を批准せず、出資金を払い込まなかったために加盟できず、冷戦終結にいたるまで世界銀行の社会主義圏における活動は低調なものとなった。
 やがて、第二次世界大戦後の先進国復興が完了し復興資金需要がなくなるのに伴い、世界銀行は開発資金援助に特化した。また、国際通貨基金も1970年代以降為替変動相場制を採用する国が増加したことに伴い加盟国の国際収支から国内金融秩序安定へその監視助言業務の比重を次第に移した。それまでの財源の中心であった各国の拠出金に変わり、1968年、総裁に就任したロバート・マクナマラは、、世界銀行債を積極的に発行することで市場から資金を調達することに成功し、以後世界銀行の独立性は高くなった。
 世界銀行の規模が大きくなるにつれ、それを補完する機関が必要となっていき、その結果、1956年には世界銀行では融資できない民間企業に融資を行う国際金融公社(International Finance Corporation、IFC)が設立され、ついで1960年には世界銀行からの借り入れもできない貧しい発展途上国向け融資を目的とした国際開発協会(International Development Association、IDA)ができ、さらに1966年には、発展途上国と外国投資家との紛争を仲裁する国際投資紛争解決センター(International Center for Settlement of Investment Disputes、ICSID)が、1988年には、途上国への投資に対し保証を与え、さらにサービスや助言をも与える多国間投資保証機関(Multilateral Investment Guarantee Agency、MIGA)が設立されて、現在の世界銀行グループが形成された。

世界銀行東京事務所の入る富国生命ビル:PD

 日本は1952年8月に世界銀行に加盟した。以来、東名高速道路、東海道新幹線をはじめとする電力、鉄鋼、自動車、高速道路などのインフラ整備に、世界銀行から計31件、総額8億6,290万ドルの貸付を受けた。その後、1996年の借款を最後に日本は世界銀行から卒業し、借入国から資金供与国へと発展し、現在では第2位の株主として世界銀行に多大な支援を供給している。
 世界銀行東京事務所は、1970年に設立され、①資金調達、②広報対外関係、③職員採用、④世界銀行開催の各種国際会議の開催支援を活動の重点としている。
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アジア開発銀行

アジア開発銀行マニラ本部:Author:Eugene Alvin Villar

 アジア開発銀行(Asian Development Bank:ADB)は、アジア・太平洋地域の経済成長支援と貧困削減を目的とする国際開発金融機関である。国連アジア極東経済委員会(ECAEF、アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の前身)が1963年に開催した、アジア経済協力閣僚理事会の第1回会合において設立が決議され、1966年12月19日に発足した。2012年現在、域内外の67の国・地域が加盟している。最大の出資国は日本と米国であり、ともに出資比率15.7%を占める。
 マニラ本部のほか、世界30箇所に事務所を設置している(アジア地域19か所に駐在員事務所、太平洋地域3箇所に準地域事務所の他、フランクフルトに欧州代表事務所、東京に駐日代表事務所とアジア開発銀行研究所、ワシントンDCに北米代表事務所、東チモールに特別リエゾン事務所、2012年7月現在)。歴代総裁は日本人が就任している。
 ADBの主な機能は、開発途上加盟国に対する開発プロジェクト・プログラムを通じた資金融資や技術支援、無償援助(グラント)のほか、被援助国の開発政策策定プロセスにおける助言や調整等である。
 支援の財源は、「通常資本財源(OCR)」が大半だが、最貧国向けにOCRより緩和された条件で貸付られる「アジア開発基金(ADF)」、また、小規模な技術支援資金に充てられる「技術協力特別基金(TASF)」のように、使途を限った財源もある。

アジア開発銀行駐日代表事務所の入る霞ヶ関ビルディング:PD

 駐日代表事務所は、千代田区内幸町1丁目の大和生命ビル(その後のNBF日比谷ビル)から、2008年に霞ヶ関3丁目の霞ヶ関ビルディングに移転した。ADBの活動やアジア・太平洋地域に関する情報を日本に発信するほか、ADBプロジェクトに対する官民による協調融資の促進などの活動を行っている。
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