銀行の封筒収集  ~ライフワーク~

-近畿 

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阪和銀行(消滅)

 1925年1月15日、田辺市に紀南無尽㈱として設立。1937年1月、新宮無尽㈱( 1925年11月17日設立。)を合併。1926年7月13日、福徳無尽㈱として設立。
 1941年8月20日、紀南無尽㈱及び福徳無尽㈱が合併して興紀無尽㈱になった。
 1951年10月20日、相互銀行法により興紀相互銀行になった。
1989年2月1日、普通銀行に転換し、阪和銀行になった。1993年8月5日、副頭取が自宅前で射殺されるという事件が起こったが未解決に終わっている。1996年11月21日、バブル経済の崩壊とその後の不動産価格の低下等により資産内容の悪化が急速に進み、中間決算の発表ができず、経営破綻した。銀行法第26条に基づき、大蔵省より戦後初めて預金払戻し以外の業務の停止命令を受けた。反社会的勢力の関りも噂された。1997年4月9日、破綻後に救済する金融機関がなかったため、預金払戻しのための金融機関である紀伊預金管理銀行が設立された。1998年1月26日、紀伊預金管理銀行に営業を譲渡、貸出金等の資産は預金保険機構が買い取り、その管理・回収は整理回収銀行に委託。2002年3月31日、紀伊預金管理銀行が解散した。
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みなと銀行

みなと銀行本店:Author:Fouton

 1999年4月1日、兵庫銀行の不良債権を引き継いだ、みどり銀行を救済合併した阪神銀行が、みなと銀行に改称。当時は、破綻処理におけるスキームが整備されており、みどり銀行の不良債権は整理回収機構に譲渡された。2000年2月、さくら銀行より2ヶ店の営業を譲受。同年5月、さくら銀行より、さらに2ヶ店の営業を譲受。同年7月、TOBにより、さくら銀行の連結子会社となった。同年11月、さくら銀行より、さらに10ヶ店の営業を譲受。同年12月11日、北兵庫信用組合(1955年10月1日、北但信用組合として設立。1985年8月1日、改称。)の事業を全部譲受。2001年1月、さくら銀行より、さらに10ヶ店の営業を譲受。同年10月1日、神戸商業信用組合(1955年12月15日、三和信用組合として設立。1957年7月、改称。)を合併した。
 2017年11月14日、関西みらいフィナンシャルグループとして設立。2018年4月1日、関西アーバン銀行及びみなと銀行と経営統合し、りそなホールディングス傘下の関西みらいフィナンシャルグループとなった。
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阪神銀行(消滅)

阪神銀行本店:Author:撮影:大木本美通 提供:神戸大学附属図書館震災文庫

 1949年9月6日、神戸市内の頼母子講8講が集まり、七福相互無尽㈱として生田区元町通6丁目に設立。同年10月1日より兵庫県全域を営業地域として開業した。しかしながら、営業基盤の構築を急いだために経営が悪化し、神戸銀行が全面支援した。1951年8月、本店を楠町2丁目に移転した。
 1951年10月20日、相互銀行法により七福相互銀行に商号変更。1955年3月、本店を三宮町2-18に移転した。
 1966年10月1日、阪神相互銀行に商号変更した。
 1989年2月1日、普通銀行に転換し、阪神銀行に商号を変更。
 1995年10月27日、バブル経済の崩壊や阪神淡路大震災の影響で経営破綻した兵庫銀行の受け皿銀行として、みどり銀行が中央区生田町1丁目に設立した。この当時は、受け皿銀行としての負担軽減スキームが確立されておらず、兵庫銀行の不良債権を引き継いだ。
 1999年4月1日、みどり銀行を救済合併し、みなと銀行に改称した。
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みどり銀行(消滅)

 1995年10月27日、バブル経済の崩壊や阪神淡路大震災の影響で経営破綻した兵庫銀行の受け皿銀行として設立した。この当時は、受け皿銀行としての負担軽減スキームが確立されておらず、兵庫銀行の不良債権を引き継いだ。
 1999年4月1日、阪神銀行に救済合併され、みなと銀行となった。
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兵庫銀行(消滅)

 1)山陽無尽㈱
 1912年10月25日、三木勧業信託株式合資会社として設立。1913年4月19日、三木勧業信託株式合資会社に改称。1915年11月15日、三木無尽信託株式合資会社に改称。1916年12月10日、三木無尽株式合資会社に改称。1919年7月31日、三木無尽㈱に改組・改称。1924年11月30日、三木金融㈱を合併した。
 1913年6月28日、山陽金融㈱として設立。1915年11月25日、山陽金融無尽㈱に改称。1941年9月12日、淡路無尽㈱(1913年12月24日、川本融通㈱として設立。1915年5月1日、大正融通㈱を合併。1916年10月1日、改称。)を買収。1941年10月30日、日の丸無尽㈱(1930年2月3日、設立)を合併。
 1942年5月1日、三木無尽㈱と山陽金融無尽㈱が合併して山陽無尽㈱となった。
 2)神戸大同無尽㈱
 1914年2月28日、西脇信託㈱として設立。1916年6月6日、西脇金融㈱を合併。同年8月23日、西脇無尽信託㈱に改称。1921年10月23日、西脇無尽㈱に改称した。
 1923年8月19日、神戸無尽㈱として設立。1942年7月30日、姫路船場無尽㈱(1914年4月1日、姫路船場信託㈱として設立。1915年11月27日、改称。)を買収した。
 1941年8月26日、西脇無尽㈱と神戸無尽㈱が合併し、神戸大同無尽㈱となった。
 3)東亜無尽㈱
 1925年5月22日、扇港無尽㈱として設立した。
 1928年2月21日、(旧)兵庫無尽㈱として設立した。
 1941年5月22日、扇港無尽㈱と(旧)兵庫無尽㈱が合併して東亜無尽㈱になった。
 4)兵庫無尽㈱
 1944年6月20日、山陽無尽㈱、神戸大同無尽㈱及び東亜無尽㈱が合併し兵庫無尽㈱になった。
 1951年10月20日、相互銀行法により、兵庫相互銀行に改称。1971年10月1日、業容を拡大し、高松相互銀行(1920年3月20日、志度商事㈱として設立。1949年4月20日、休眠会社であったものを寿殖産興業㈱に改組。1950年9月28日、寿殖産無尽に改称。1952年5月30日、相銀に転換し改称。)を合併した。
 5)兵庫銀行
 1989年2月1日、普通銀行に転換し、兵庫銀行に改称。1995年8月、バブル期に業績を拡大し第二地銀最大手となったが、不動産や株式に投資し、阪神淡路大震災も影響し、銀行として戦後初めての経営破綻となった。1996年1月29日、受け皿銀行として前年10月27日に神戸財界等が出資し新設された、みどり銀行に営業の全部を譲渡した。
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